■T’s ROOM

      


            2005.7.12【容(形)の幻想】
  
     私は、よく物体を見る時にそれが自然だったり建築物だったり
     あるいは人物の様な有機体であっても不思議な感慨に陥る。
     恥ずかしいのですが、その対象が小さな点の集まりに過ぎないと
     認識してしまうのです。うまくは説明できないのですが、
     『瞬間・偶然・存在・生命・器・奇跡・意義・同時性・真偽・・』
     そんな言葉なのかもしれません。そもそも私自身の不確実性が
     深層心理の中にあり、そう感じてしまうのかもしれません。

     最近読んだ本の中に面白いことが書いてありました。量子の世界
     では、観測効果と呼ばれるものがあり、対象は一定の結果でわなく
     ランダムな表層をしめすですとか、新しい物質の最初の合成にかか
     わる結晶時間が、違う場所での2回目にはあきらかに短くなりこと
     が実証されているそうです。

     前記の記述との関連性について、御気づきいただきたいのですが、
     私の感性は、ひょっとすると間違いではなかったのかもしれない。
     形態の認識は、自他の相対性と更に時空をこえる記憶の伝達が
     限りなく繰り返されているということです。

     まてよ、ということは私はいったい、いつ、実存を視たのか?
     私の見ているものは、常にバーチャルでしかないのか、あるいは
     視るという行為、形を認識するという思考は現実なのか?

     さあ、またいつもどうり支離滅裂になってきました。しかし、
     今回は明確な答えをもっております。ここ2年ぐらい真理の経典
     と崇めます、昨今の宇宙論や量子論を遥かに超越した深淵な悟り
     『摩訶般若波羅蜜多心経』

     私は仏教徒ではありませんが、大いなる驚愕と哲理を覚えるものです。
     結論ありきのページですが、機会あるごとに真読しておりますが
     いまだに、悟りの境地遥かかなたなり、黄泉の國までもの感あり・・・

     

          2004.8.18 【私の健全な日常・・・・?】

     今回は、自身の健康法について思いつくまま書いてみます。
     私は日頃、暁の時刻午前5時前に目覚めます。年齢から考えますと
     少々早いのですが、30代後半よりその様になってしまいました。
     春から秋にかけ大体は早朝の散歩に出かけます。不精の性格から
     車で近隣の公園や観光スポット、湿原の朝日を拝みにでたりします。
     朝日に願いをというより、全身に両手を広げ、光を浴びます。
     体の細胞を透写するエネルギーは、あたかも宇宙を取り込んだ?気?
     そのものが体内に宿るようです。これが第一歩の始まり・・・・

     帰宅後、番茶に梅干と醤油をブレンドして飲み干します。
     おもむろにトイレで軽い排便、新聞をひととうり読みながら青汁を
     注ぎ込みます。眼を覚ますのに朝湯を15分、その後体操を10分、
     キントレを10分とこなし、正心調息法(深呼吸の一種)で精神を
     落ち着かせます。

     精力的に仕事をこなし、昼食は蕎麦がベストです。その後邪魔がな
     ければ昼寝を30分とります。午後からは、打合等外勤を主体に
     走り回ります。夕刻、5時には日々の反省と総括、6時前に事務所
     を消灯し業務終了です。均整の取れた日常がしめくられます。

     寸分の狂いも無い、すばらしい習慣が私の健康な肉体を創りあげますと
     ここで終わりたいのですが、そのあとがあります。

     現場上がりの愚か者は、仕事のつかれと明日への活力を求め、更には
     ありあまる情熱を一気に発散するため、つぎのステージへ雪崩込みます。
     注ぎ込まれる聖水についつい時をも超越し、繰り返し陶酔の世界へ足を
     踏み入れる。帰り道での後悔はもうすでになんの意味ももたず、翌朝へ
     の・・酔いが確定です。深い眠りと自身のイビキにつつまれ翌朝を向かえる。


     前日の不健全を取り返すべく、前記の行動の始まりを余儀なくされる。
     冷静に分析すると、さて、わたしは健康的な生活を送っているといえる
     のでしょうか、疑問です?

     どなた様か、御回答戴けます様何卒宜しくお願い申し上げます。

 

          H16.5.17『邂逅・・・巡りあわせとは?』

     人生の出会いは、幾多の選択肢を自らの創造でつくりあげるものと
     観じております。失敗も成功も、栄華も挫折も、全ては己自身の内
     に生じる起因が結果として顕れる現象に過ぎません。

     理想と夢を現実に昇華させるためには、あまねく幾人の方々との
     出会いが必要です。機会は縁であり、非常に象徴的な偶然です。
     様々な岐路に未来が用意され、運命はけっしてひとつではない。

     般若心経に宇宙(存在)が説かれております。真理はひとつで
     全ては密接につながり、驚嘆をおぼえるものです。
     意思は自己発生的に生じますが、他者(神なる存在)の計らいが
     無であることは逆説的にありえません。

     さて、なにを申し上げたいかと言うと、我々は自身であり他者で
     あるという相互の関係を、なんとか説明したいのです。
     仮に一人で孤島に生きたとして、人生の価値(意義)をみいだす
     ことができるでしょうか?誰も存在を認知してくれず、はたして
     そこに生甲斐がみいだせるのか問題です。
     
     煩悩も世俗の誘惑であり、欲も他者との比較から想起する現象です。
     それらが一切なければすばらしい世の中なのか、違います、
     理性も自己抑制との葛藤も必要なく、強い信念も入りません、更に
     達成意欲も充実感も得ることができないでしょう。

     かく言う私もけっして聖人ではなく、誰よりも未完な人間です。
     原理は悟ったつもりでも、“知行合一”にはほど遠い訳でして
     それゆえ、日々、内省の連続です。

     人には、それぞれ人生の役割があり道が与えられております。
     天命であり、限りなく演じきらなければなりません。それは自身が
     創りあげるひとつの仮想現実で、『強く念じれば・・・・』の
     無意識の潜在能力はありえると想っております。

     たとえば、存在そのもが夢だとしたら、夢が実は現実だとしたら
     そこに何の違いがあるというのでしょうか?愚かかもしれませんが
     ふと、そう考えてしまう時があります。死の瞬間にはたして境界が
     見えるのか、もっと言うと感じるものなのか・・・・・・・・

     あぶない、かなりいってしまってます。誰かわたしを止めて下さい!!
     人体はしょせん量子の集まりに過ぎず、隙間だらけの塊(かたまり)です。
     脳の思考もはたして自分自身の発信といいきれるえるのか?

     いずれにしても、このなんと不可解な実存世界に感謝です。あまりの
     難解さに一生かけても追いつきません。どうせ夢の中であることを
     願うばかりです。

     今回ルームの主題は、いったいなんだったのか? 夢は出会いに顕れる
     そして・・・最後は?サヨナラダケガジンセイダ!!?
     そんなかんじでしょうか?    


     2004年1月6日No.9 『年頭の所見ー生い立ちの考察・・・・・?』

     私は、生まれも育ちも釧路です。どちらかというと下町に位置
     します川上町が生誕の地です。その後、鶴ヶ岱、緑ヶ岡、大楽毛、
     三共、春採、芦野、文苑と市内一円に居所を変遷しており、全域
     を知る経験を過ごして来ました。ちなみに一番好きなのは鶴ケ岱
     です。春採公園、鶴ケ岱公園に挟まれ環境としての充実感が最高
     だからです。山坂の変化もあり、樹木の変化も顕著に感じます。

     人間の生育環境は、その後の感性に潜在的に影響を残すと思って
     おります。極端にいうと廻りが砂漠だけの人間とジャングル育ち
     の人間では、天と地の違いです。雪や氷ばかりと南国育ち、海岸
     地域と山林地域、都会と地方、同じ国の中でも様々な環境があり
     これを世界に広げると千差万別です。且つ、宗教、民族、言語を
     考慮すると凄い事になります。

     なにを申したいかというと、逆説的に文化や文明は与えられた環
     境が創り出しているのではないか、更には一個人の創造や感性は
     自身が発想しているのではなく、その人間が神によって与えられ
     た生誕地(その時をも連鎖させ・・・・)が、生み出す奇跡なの
     かもしれない。

     そう考えると、生まれ育つ環境は非常に大切であり、神がかり的
     にも捉えられます。御正月からとりとめもない話題で恐縮ですが
     あながち、ハズレテいるとは思えません。

     最後に、そうであるとするならば、私が生まれたかった地はやは
     り、日本であり釧路(時代も同様に)で良かった・・・・・・と

     言いたい所ですが、出来れば生まれはアメリカーワシントンDC、
     育ちはカルフォルニア,時は1960年代、仕事の拠点はきまり
     のニューヨークとかっこよく決めてみたいものですね!!!

     何故なら、今頃、英会話のCDを聞く必要もないからです。

     次回、英文でのroomを御期待頂き終了です。

 

      NO.8 2003年 9月20日【建築家の思考とは?】

     私達は、仕事柄、日常的に建物の形態とそのあり方について
     意識を巡らせます。例えば、ほんの小さな器を俯瞰的に見て
     しまったり、関係のなさそうなロケットまでもを形として捉
     える事があります。建築は形、空間、時間の経過と様々な要
     因のバランスです。その意味では、彫刻、絵画、デザイン、
     演劇、音楽等と密接に関連しております。

     「自らが意識する」に関わらず、蓄積された記憶の中に蘇る
     残影が多々あります。メタボリズムはその点を指摘しております。
     マニエリスム、バウハウス、これらも一つのポストモダンだった
     のかもしれない。形而上的なアバンギャルド、アールヌーボも
     過去の延長上であり、さらに古典的なゴシック、バロック
     ロマネスク等は、ルネサンス様式へと集約される。

     近代建築のモダニズムは、その後多岐にわたり解体と変遷を
     遂げる。ディコン(O.ゲーリィ)、ソフト.テクノロジー
     (R.ピアノ)、エクレクテック(J.ヌーベル)、アーバ
     ンデザイン(T.ファレル)、デュリアティ(A.スタジオ)
     その他、オーガニックテク、アブストラクト、ニューウェーブ
     「イズムは様々な方向に展開する。」
     こんな風に一応は、建築家らしく語ったりも致します。

     しかし、実際の設計では、コンセプトは抽象的に折衷要素を含み
     明確なコンテクトを見出すことは、不可能に近い。
     ひとつのデェティールが全体であったり、全体が実は部分だった
     りも致します。空間も外と内の結界は相互に干渉するものですし、
     時間を加えますと更に、重層的な位相が生まれます。周期的な螺旋
     は、その瞬間と角度にも異相が存在すると考えております。

     さあ、この辺で私自身も何を言ってるのか解らなく為ってきました、
     端的な話、表現する行為は、実際に触れて頂いた第三者に委ねる
     しかありません。それが建築物の価値観です。

     「いかに、人々を感激、感動せしめるか・・・・・」、この熱き
     想いが全てと想っております。!!!

     今回、ちょっとシュールに気取ったままで、ルーム終了とさせて頂きます。

     NO.7 2003年 9月20日【宇宙の創造主、天、神】

     神(創造主)の言霊、潜在意識〈唯心論)は現世を容認するか?
     人間の脳(智慧、思考、思想)は、果たして神の呪縛(包容)と
     無関係でありえるでしょうか、思考スル事の始まりは全て因果の
     始まりであり、是非(功罪)の決定(けつじょ)を免れません。

     存在そのものが奇跡であるある以上、繋がりを否定するのは自らを
     否認することです。愚かな精神に罰は下る。・・・・・・・

     世界に起こる全ての諸問題は、絶妙なバランスをもって関連している。
     一個人(大統領もスラムの住人も)の思考は、自然(空間)を媒体に
     全て相互に抵触しております。存在するもの全て、草や木、岩までも
     何故なら、宇宙の始まりに帰るとき、それらは一点に集約され且つ、
     その後の創造過程も、一連の構成要素に違いがないからです。

     平たく表現いたしますと、「天は常に見ている」わけで実に公平に
     世界を導くと言いたいのです。古今東西、普遍の法則です。
     それらは、世界全体に作用する罰もあり、一個人にのみ下ることも
     あると考えております。

     さて、ここからやっと前ルームの続きに発展する訳ですが、今の現実は
     世界全体の現象に対して考えるべきと思います。
     21世紀を迎えた私達は、高度情報化社会に遭遇しており、経済行為が
     判断の基準として最優先に価値化されていると考えます。

     先進国はもちろん発展途上国までもが、呉越同船の感にあります。
     当然、情報化がもたらすスピードと一元化が、弊害として表面化した副産物
     といえます。この段階において資本主義経済の競争原理は新たな局面を迎えた
     と判断するべきと考えます。ケインズがとなえる需要創出の法則は限界を
     きたしております。恐らく経済学者も現在の世界的デフレに対し同様に
     見解を持っているのでしょう。

     端的な実例がアメリカです、私は経済をほんの一端しか理解しませんが
     どうみても崩壊寸前を軍事力をもって解消しようとしております。
     (アダム・スミスの「見えざる手」を軽視した罪)
     そこに全ての過ちと無理が生じています、各国の首脳も周知の事実で
     国連もWTOもすでに調整の域を越えています。政治家は責任を背負う
     者程、深刻に認識しているはずです。

      しかし、だからと言って自暴自棄に至って良いのでしょうか?
      強いものが生き残る理論が成立するのでしょうか、非!!
      ありえません、神が創造主が許しません。人類は発展するために創生された
      のですから。

      ある意味、エイズもSARSも環境問題も、神の審判と言えます。
      今必要なのは、慈悲と慈愛のある共生の社会です。
      警笛を鳴らす勇気と崇高な信念、世界を導く指導者(指導国)です。

      アメリカですか、EU諸国、ロシア、中国、それとも日本どこも可能と
      思えません。地球号は消滅する危機に直面しております。
      刻一刻と破滅への序曲が聞こえます、経済行為は生態系をも侵害し
      神の領域にさえも容赦なく介在して来ております。

      ただ一つ、残されている最後の選択肢、可能性は・・・・・・・
      またしても答えの出ないままルーム終了です。


      しかして、更なる挑戦は続く・・・・・・・。

           NO.6 2003年06月11日【昨今の所見と感慨】 
     
       ルームも気がついてみますと半年も経過しております。「余りにも
       忙しく・・・・」とコメントしたいところですが、実際は存亡の危機
       との葛藤に日夜明け暮れているというのが実態です。困窮極まりて
       それもまた楽しからずやと、痩せ我慢の出だしをお許しください。
       
       さて、最近のイラク戦争、北朝鮮問題、小泉内閣の政策、経済問題と
       話題に事欠かない現状ですが、どこから言及すればよいのか迷って
       しまいます。しかし、間違いないのはどの問題も根幹にアメリカの
       思惑が見え隠れすることです。今の世界情勢も国内問題も全て米国の
       覇権主義〈軍事力を背景とした)がイニシアチブを握っております。
      
      大国、ロシア、中国、フランス、イギリス、ドイツにおいても対応は
      同じです。国連の権威はなきに等しく目を覆うばかりで、世界経済は
      米国(ネオコン参謀)主導のもとに思いのままです。今の戦争は大儀
      なき経済戦争が平然と行われているのが現状です。
      
      日本の為替、株価、金利政策、防衛政策どれも米国の恫喝に屈した結果に
      他なりません。しかし、世界の経済を支えるのは基軸通貨をもつ米国で
      あり、かつ需要(消費)大国もかの国です。この相対矛盾にどのように
      対処するかで苦労しているのが、その他の先進国と成る訳です。
      
      割愛して単純に表現すると現状認識は、以上のようなものと確信するの
      ですが、ここからが大変です。最後の拠り所は、アメリカの大統領を
      選出するアメリカ国民の良識と見識にすがるしかないということです。
      ブッシュ大統領といえども、選挙という民主主義の禊(みそぎ)を避け
      て通ることは出来ません。
      
      さて、そのアメリカ国民の見識ですが、世論調査によると現在も70%近く
      がブッシュ大統領を支持しております、絶望的です。
      いや、まだあきらめません、信頼できるアメリカメディアが存在します。
      CNN、ワシントンポスト、ニューヨークタイムズです。
      彼らがきっと良識ある客観的な報道で国民を煽動するはずです。
      冗談はやめてください、もうとっくにオイルマネーを操るス-パーユダヤ
      に買収されてます。(ロックフェラー対モルガン=ロスチャイルド)
      
      結局、最後は金という結論ですね。武力で略奪した資源を甘受する者が
      世界を制覇してゆく、どこまでも・・・・・・
      いや実にすっきりしました。平和理想主義なんて甘っちょろいことが
      まかりとうるはずがありません。ましてや、世界が一つになんて夢の
      また夢なんですね!!理想や希望なんて子供じみた言葉はほんの小さな
      世界なんですね。「世界がもし100人ならば・・・」なんても考えるだけ
      やぼですね、なぜなら現実に推定70億もいて、皆さん結構それぞれに
      好き勝手なことを主張するんですもね。
      
      「よかった、よかった、思い切りあきらめがつきました。すっきりです。」
      
      
      
      
      尚、この続きは,・・・・・・・・ 近日公開!!!!!!

  NO.5 2002年12月2日 【年の瀬に万感の想いをこめて?】
      
       今年度,最後のROOM更新です。
       最近の経済状況を反映し,当事務所も最も厳しい1年の内に
       今年度も終わりを迎えつつあります。為替,株価,市中金利
       消費指数,GDP,どれ一つとっても低調の落ち着きです。
      
       私共,零細企業には,それらの動き,なんの関係もない様に
       感じますが,ほんとうにそうでしょうか?
       国債,日本紙幣の乱発,更に限りなく0に近い金利,すでに
       発行の国債利子,市中銀行の貸し燻り,医療及び年金保険等
       の引き上げ,アメリカ国債の買い上げ,間接還元(大手用)の
       ODA維持等々・・・・上げればキリガナイ外的圧迫環境。
      
       昨今のデフレ環境下,今後予想されるハイパーインフレ,アメ
       リカ経済(基軸通貨ドル)の破綻懸念,想像されるイラク戦争
       勃発,いつ狂気に走るか北朝鮮(金正日),アメリカの経済
       属国日本の弱体化(アメリカグローバルスタンダードの策略)。
      
       よ−し,この辺でやめといてやろうじゃないか!!!
       ばかばかしくて,マトモニ生活できやしない。『正直者は馬鹿
       をみる』を典型でこなす日本国民。(当然,私も含めです。)
      
       誰も答えの解らない,盆と正月が一遍に来たメチャクチャな
       状況です。逆に考えると,メッタニ遭遇出来ない奇跡的な
       体験です,なんか,有り難い気がして来ます。(支離滅裂。)
      
      しかし,よく考えてみるとこの世情にでも元気いっぱいの企業
      は,いくつも存在致します。泣き言わずに自己改革せねば!!
      やってやろうじゃないか,『一寸の虫にも・・・・・』の魂。
      
      書けば書くほどつらくなりますが,私はけっして諦めません。
      いつか,私の頭上に¥¥¥¥¥マークの嵐が吹き荒れると信じ
      ,更に田中氏(ノーベル賞受賞)の様にとぼけた会見を出来る
      ことを夢想し,ただ前進あるのみです。
      
      現実は,「一歩進んで二歩さがる」そんな感じも致しますが,
      ながーい目で見ていただけますよう,『何卒,ご容赦の程・・』
      訳の解らないままROOM終了とさせて頂きます。
     
      追記:次回は,新年早々,元気いっぱいの登場,ご期待願います。
     

NO4.2002年11月 1日 


    『みんなのいえ』,ここ2,3年前の邦画です。ココリコの
    田中が主演している映画があります。皆さんはもう,御覧に
    なりましたか?最近,近しい方から薦められ,邦画はあまり
    観ないのですが,チャレンジして見ました。

    仕事柄,幾つもの場面で普段の仕事を想起させるヶ所があり
    笑えるような,笑えないような複雑な心境でした。(建前)
    実際には,ほとんどのやりとりや会話,非常に面白かったです。

    例えば,大工のお父さん(田中邦衛)とデザイナー(唐沢寿明)
    が玄関の扉でもめる場面−外開きか内開きかの両主張に
    オーナー(田中)が困り果て『両方に開くスィングドアでどう
    でしょう?』と発言する折衷案のぎりぎりの展開。

    田中のお母さんが,風水に凝っていてトイレが1.2階に4ヶ所に
    なってしまい,奥さん(八木)が激怒するシーン。

    田中が唐沢のオフィースを訪ねると,黒人の女性が裸でうつ伏せ
    にベットに横たわり,困り果てる場面。さらに唐沢がそれには
    気にせず,彼女が仰向けに寝返りをうったところで、『御客様に
    失礼じゃないか!!』と叱り付ける,意表を突くセンス。

    題材がありうる設定であること,監督(三谷)の体験に基づく
    リアリティーが余計に,ストーリーを面白くしている結果と思います。

    最後に,私が一番面白かった場面なのですが,唐沢扮する
    デザイナーがショットバーで見かける一コマなんですが,女性客
    の注文にバーテンダー(真田広之)が,速く飲みたい女性客を
    尻目に,何度もカクテルを作り直す(都度捨てながら)のシーン
    があります。その時,バーテンダーが何回もつぶやくのです。

    「これは,自分の問題ですから・・・・・・」
    要するに,こだわりを表現しているのですが,それを見た時
    顔ではわらいつつも,真から笑えない自分に一瞬の戸惑いを
    感じました。その真意はともかく・・・・・・・?

    それから,しばらく事務所でそのフレーズをつい使ってしまう
    自分が,ほんとうにくだらない奴と思い,反省の今日この頃です。


     NO3.2002年 7月18日 
     
     久しぶりのページ作成です。今回は本職を離れた内容で最近考えている事を
     書いてみます。政治,経済に関わる私見を少々展開したいと思います。
     
     いきなりですが、皆さんは日本国憲法第9条についてどう解釈致しますか?
     条文そのものではなく,その精神あるいは立法の経緯についてです。
     最近何人かの政治家,学者,歴史家が文献等でこの問題に深く言及してお
     りまして,嫌がおうでも関心を持たざる終えません。
     
     私自身は,右翼でも左翼でもありません。しいて言えば均衡を求めるリベラ
     リスト(自由主義者)と自負しております。過度の理想主事者でもありません,
     リアリズム(現実主義)の呪縛は拭い去れない力を持っております。(人間の欲望)
     
     いくらかの救いは,日本国の潜在能力と神風の御加護です。その拠り所は
     現在の我が国ではなく,歴史にみられる先哲の聡明さと胆識に実証されている
     事実です。私はその信念において,いい意味でのナショナリストと自己分析致しております。
     
     共産主義,自由主義,専制政治どれにも理想と現実のギャップはあります。
     あるいは一個人での変遷もありえます。だからといってニヒリズム(虚無主義)
     に逃避するつもりもありません。その時代背景のなかでそれぞれのケースを
     いかに咀嚼するかが,私にとっての課題です。
    
     能書きはこの辺にして,本題に帰ります。9条を見詰め直すという視線において
     今回の世界貿易センタービルのテロ破壊事件は象徴的な出来事と考えます。
     一国のあり方,グローバルな立場での国のあり方、今現在の世界の現実における
     思想的,政治的,外交折衝術等の思考として非常に考えさせられます。
    
     戦後アメリカライズされた日本の民主主義教育で育てられた私には,過度の
     状況判断であり,選択に窮する難問です。
     しかし,せめて自己の思想だけでも保守しなければ精神の平衡が保てません。
   
     かなり引っ張りましたが,ここで私の結論を申しあげます。
     「日本は,緩やかな自主憲法改正ととりあえずアメリカ主導のながれに追従する。」
     世界情勢の分析と過去の歴史を冷静に考えると,今のところ,こう判断致します。
     確かに,アメリカに対して幾ばくかの欺瞞と倫理的違和感を感じておりますが,
     かといって,イラク,中国,ロシア,北朝鮮,テロ諸国等などの国々を容認する
     事は出来ません。秩序を守ることが,至上命題と考えます。(国益を維持する方法論としても)
   
     アメリカが世界の警察と自負している点は,正義に反するとも解っておりますが,
     ではどこの国が世界を現実的為政者としてリード出来るのでしょうか。
     比較論になってしまいますが,自由,一定の平等,博愛の成熟度,軍事的抑制力に
     於いて,現状では唯一の国と判断するべきなのではないでしょうか!!
   
     あくまで我が国の,「自主的決断という大儀と義命は,主張すべき」という大事な
     要諦が原則必要と提言しておきますが。・・・・・・・・・・
   
     大事は意外に,簡潔にひも解くことができます。これだけの情報社会に埋没しない
     為に最後に一言,「日本以外に定住するとしたら,どの国を選びますか?」
     多分,アメリカと答える人が一番多いと推察致します。留学生,旅行者,サクセス
     ストーリーを求める人間,皆悔しいですが同回答という思われます。
   
     哲学や思想,宗教が示す正義は,やはり政治,経済の世界趨勢に同義悟とはならない。
     呑気なつもりはないですが,だからこそ逆説的に天なる神は偉大とも言えます。
     「いつまでも,理想を追及するという崇高な人間の輩出に可能性を持たした世界を
     創造したのだから。」と時折,楽天的に「夢」観ております。
  
     是非,評論と反論,御示唆頂けます様,掲示板いっぱいに開き24時間体制で用意
     しております。特に酷評は大歓迎です,何卒宜しく。
  

     NO2.2002年 3月20日 

        今回は,私の生い立ちについてかたらせて頂きます。釧路に生まれ,
        小学校の3年生までは共栄小学校に通い、俗に言う下町育ちです。
        当時は,朝,学校に出たきり,カバンを持ったまま遊び続け「てっぽう玉の・・・・」
        とよく言われました。

        近所の悪がき何人かで,探偵団を結成し,遠くまで遠征し危険な川や
        崖みたいなところで,夜暗くなるまで泥んこになって遊んでいました。
        帰りがけ,沈む夕日をながめ鼻をふきふき家路についたものです。

        そこでわたしが言いたいのは,果たして今,何人の子供たちがそんな風に
        遊んでいるかです。短いエッセイの前段にも色々なキーワードが含まれています。
        「下町育ち」,「てっぽう玉」,「悪がき」,「探偵団」,「川,崖」,「泥んこ」,「沈む夕日」

        ここがポイントです。設計のコンセプトを考える時,意外にも潜在的な記憶が
        情景として浮かび,何らかの形となり建物に投影されるからです。かくしてそれは
        感性の問題として真価を問われる事になります。

        クライアントとの打合せ場面でも,同様に感性が要求されます。
        求められている建築空間や外観打合せにも,深い理解力が必要だからです。
        変な思い込みや勝手なエゴイズム,ましてや自身のおしつけ等は、勘違いも
        はなはだしいと言えます。

        良き設計者は,いつの時代も「良きクライアントに巡り合う」。それは,やはり
        感性の積み上げでしかありません。我々はその意味でいつまでも,「遊び心」を
        失ってはいけないのです。
        当然,裏付けとなる建築学も学びつづけることになります。

        軽く書き上げるつもりが,最後は肩の荷がおもく感じてきました。
        深く深呼吸で・・・・・・又,次回へ

     NO1(2002年2月15日)

        今回HPを更新するにあたり、私自身のページを開設致しました。
        HP自体が本意ではないのですが、仕事の性質上気難しく表現
        されていますので、このページはリラックスさせて頂きます。

        私は、がんらい非常に楽天家であり、以外に多趣味な性格です。
        音楽は演歌(吉 幾三)からクラシック(作曲者不問)まで
        スポーツは麻雀(指の体操)から足場の昇り降り(現場監理)まで
        酒は焼酎(できればいいちこ)から日本酒(北の勝冷酒)、
        ウィスキー(コンビニの角サン)、ブランデー(ディスカウント限定
        でXO)、ビール(はまりのチリビール)まで・・・・・

        本はもちろんコーチャンフォー指定で雑誌から宗教書あらゆるジャンルの
        分野を読みます。(ある意味、設計者には専門書より発想が生ま
        れる可能性大です。)

        ちょっとした気分転換には、犬や魚群や大工さんなんかも1時間くらいは、
        かすかな夢の実現としてチャレンジしたりもします。但し、ほぼストレスが
        増大という覚悟も必要です!!

        通常言うところの、飲む、打つまでは文中にもうらしました。
        最後の女性についてですが、私はどうも性格的にシャイでセンチメンタル
        で、ナーバスなタイプの為、割愛させて頂くと言う事でこの場を終了させて
        もらいます。・・・・・・・・・

        日常は、日の出の散歩、深夜の読書、昼間の雄たけび(仕事不調による)
        視点の異常(焦点をはずれ一点を見つめるー疲れた時ですよ!)
        なんていうところも多々あり、きっと退屈させません。

        どうでしょう?私のイメージはあなたの中で浮かび上がって来ましたか。
        写真を掲載できないのが残念ですが、よーく判らないと言う方は
        とりあえず、今回の大河ドラマで織田信長を演じている男優を頭に
        描いて下さい。あたらずともと遠からずと申し上げておきましょう。

         かなり脱線しましたので、今回はここまでということで悪しからず!!!

            追記:気分のすぐれない方は、遠慮なくトイレへ直行する事を
               お勧め致します。以上。