「次元座標の計算に入ります。……X=………」
 
 澄んだ声のアナウンスが響いた。
LEDがしきりに明滅する。
 
「そこのブースをつかってくれたまえ。私はこっちを…」
 
 小柄な女はそう言ってSAYに目配せした。
 
「母様は修理工作車の方に指示をお願いします」
「わかってる。……物資がもう少し必要だな」
 
 細い指は素早くキーボードの上を走り出した。
 
「…もうまかしてなんか居られないわね…頼りない雷牙になんて……」
 
 雷牙だった者は、小さくつぶやいた。一度頭を振るとさっと髪の色が変わる。
Tシャツの下の平たい胸がいつのまにか丸みを帯び、瞳は黒曜石のように輝いた。
 
「…ほぅ。あんたは?」
「あたしは『 興貴 』…雷牙の姉よ」
 
 少年の姿を捨てた少女はクスリと微笑んだ。
 
「じゃ、お前さん達は現場に向かってくれ。…そこの頼りなそーなにーさんも呆気に取られてる暇なんて無いぞ?
…あの小娘…何とか引き摺り下ろさなきゃならないようだな…」
 
 ショウと興貴の目の前に空間を越える扉が開かれる。
二人は素早くそこへ飛び込んだ。
 


 
 虚ろな目で彼女は、その広い吹き抜けの部屋を見下ろした。

……ココハナンテ狭インダロウ…広イトコロヘイキタイ…コンナ壁ニ囲マレタトコロナンテイヤダ……
 
 着実に修理されていく窓に目を向ける。
あそこを壊せば外に出れるかもしれない。
 ゆっくりとそちらに手を伸ばす。
翼を大きくその窓に向かって振るう。
 
 「くっ!」
 
 誰かが気合の声を上げる。
氷が吹き上がって風に吹き散らされる。
 
……ドウシテ邪魔スルノ…? …帰リタイダケナノニ………
 
 キッと声のしたほうを睨み付ける。大きな刀を杖にして何とか立っている男…
こいつが自分の邪魔をするのか…?
 
「……邪魔をするな…っ!」
 
 彼女は吹き荒れる竜巻と化した。
 


 
「あんた達、無事っ!? ……でも無いようね…」
 
 飛び込んできた少女は開口一番そう言い放った。
風が強い。目も開けていられないほどに。
 
「シールドっ!」
 
 ショウは右手の腕輪をかざして叫んだ。光の粒子が凝縮して風を阻む盾になる。
 
「…長くは持ちませんよ? ……でも少しは役に立っておきませんとね…」
「……わりぃな…」
 
 自分の前で防御結界を展開した青年に、フェンリルは戸惑いながらも苦しげな笑みを帰した。
 
「村雨…どのくらいかかる?」
『座表計算ですの? 兄様……正確に出そうとすれば、約…10分といったところですわ』
「……7分…それ以上は持ちこたえられそうに無いな…俺だけじゃない…他の奴等もだ」
『わかりました。7分…いえ、5分で何とかして見せます!』
 
 一言二言通信して、フェンリルは上空の娘を見あげた。
先ほどの戦いで自分も周りも傷ついている。
 隣で、亀裂の部分の気圧の維持に集中しているミチアキの額には玉のような汗が浮かんでいた。
こっちもそう長くは持ちそうに無い。
 
 目の前の展開にリッキーは戸惑っていた。
尋常じゃない状況…それはわかっている。
けれど、パニックを起こした頭には自分が今何ができるのか…全く考えがつかなかった。
 
「……俺は……何をすれば……くそっ!!」
 
 頭を抱える。いくら考えても答えが見出せない。
 
「あのメカ…まだ使えるわね! 壊れてても部品はまだ生きてる。 借りるわよ!?」
「ちょっと待てよ! 菊一文字はまだっ!」
「うるっさいわねー、部品さえ残ってりゃいくらでも直るでしょ? 最悪でも電脳部分さえあればボディなんでなんとでもなるじゃない!」
 
 興貴は菊一文字に駆け寄ると、手早く構造を調べる。
 
「俺は…今何をすればいい?」
 
 フェンリルに声を掛ける。今は彼だけが頼りだった。
 
「………あんたは許せねえ…が、そうも言ってられない状況みたいだな……
  それに……これが終わらねえとアイツが…直らねえしな!」
「あの小娘を手伝ってやれ。修理の腕ならお前のほうが上だろう?」
 
 うなづいて駆け出す。菊一文字の傍らに…
 
「右の太股だ。そこにグレネードランチャーが仕込んである」
「りょーかい♪良く知ってるわね、解体手伝って!」
 
 慎重に手早く、二人は部品を外しはじめた。


 
 …まずいなー。
ちらっとそんな考えが頭を過ぎった。
5分なんて言っちゃって良かったのかしら。
しかも、安全な空間座標探してたら変な数値が出て来ちゃったし……
 …ま、いっか。ちょっと風穴開けるだけだもんね?
変な事なんて起きない…おそらく…きっと……たぶん。
 


 
 風は益々強くなる。
 
「………くっ…」
 
 ミチアキは肩膝をついた。もうこれ以上は無理らしい。
 
「ミチアキもういい、あとは下がってろ!」
 
 フェンリルは飛び出すと、右手に持った太刀を振り上げた。
壁を水が駆け上がり、窓の当たりで凍り付く。
 不意に目眩がした。 傷の痛みに意識を集中させて何とか踏みとどまる。
 
「そこまでして何でやるんだよ! くだらねーことには命賭けないんじゃなかったのか!?」
 
 白髪の少年に、フェンリルは悲壮な笑みを返す。
 
「それでもやらなきゃならんのさ…俺は ゲートキーパー だからな…俺 の命はこういう時のために取っておいてあるんだ よっ!!!」
 
 叫びつつ太刀を振るう。軌跡が氷の刃となってプリシアの翼を掠める。
 
「…あんた気に入ったぜ! 俺もとことんまでやってやらぁ!」
 
 光が少年の右腕に凝縮する。
 
「いけぇぇぇぇぇぇっ!!!」
 
 突き出した手のひらからまっすぐに強い光が伸びた。
 


 
 「トリガーはこれね? …照準は…もうっ!目見当でいいわっ!」
 
 取り外したグレネードランチャーを興貴は構える。
銃口の向く先は白い翼の暴風。
 
「ファイヤっ!!!」
 
 引き金を引く。打ち出された弾丸は、天井に当たって油を撒き散らした。
間髪入れずに炸薬が火を吹く。
 
「いやぁぁぁぁっ!」
 
 風が炎を巻き上げる。
引火した翼の火を消そうと、プリシアは狂ったように羽ばたいた。
 氷の刃が砕け散り、光は四散する。
暴風が真空を伴って吹き荒れる。
 
「…うぁっ!!」
 
 吹き飛ばされてショウは床を転がった。 腕が、胸元が、風に引き裂かれる。
 
……まずいですね………
 
意識が次第に遠のいていった。
 


 
「……っちガチガチに固めやがって・・・」
 
 白髪の少年は舌打ちした。ここからじゃあの風は破れない・・・・
 
「・・・・・・・・・・・残る手は一つしか無いか・・・!」
 
 たくさんの光の欠片がゆっくりと彼の周りに凝縮していく。
全身が光に包まれていく。
 
「……ニィ…?」
 
 ようやく身を起こしたフェイの目の前で、少年は次第にその姿を変えていく。
光は鎧のように彼の身体を包み、背中には畳まれた白い光の翼が…………。
 
「……ぅっ………」
 
 急激な脱力感に襲われて、彼はよろめいた。
明滅しつつ次第に光が薄れていく。
 
 ・・・力が残っていないのか?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ならば!
 
「我が、血肉を使うまでだ!!!」
 
 叫びとともに彼は飛び立った。
背中の翼は、根元を真紅に染めて広がる。
 六枚の血塗られた翼は、彼を守り、彼を高く舞い上がらせた。

「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
 
 右手を突き出す。傷口から大量の鮮血が吹き出し、光とともに一本のランスに変わる。
風に全身を引き裂かれながら、それでも突っ込んでいく。
 
「………煩いわね」
 
 ぴたりと彼の前で風が止まった。
 
「人の真似をするんじゃ無イッ!!」
 
 プリシアは大きく翼を振るう。
巨大な真空の刃が光の翼を切り落とす。
 
「ニィィィィィッツ!!!!!」
 
 おちてくる少年に向かってフェイは飛び出していた。
だが、間に合いそうも無い。
 すでに力を使い果たし、意識を失いかけている彼が、コンクリートの床に強く叩き付けられる瞬間が脳裏を過ぎった。
 
 突然光が吹き上がる! 魔法陣のように丸く描かれた紋様は、白髪の少年を優しく包み込み……ゆっくりと床へと下ろしていった。
 
「……まだ、ねむるわけには…いかないんですよ…わたしもガーディアンですから……私の命もこのために………」
 
 破損個所から火花を散らしつつ、菊一文字は上体を起こした。
 
「お前…安全装置はどうした!? バックアップは!!??」
 
 慌てて駆け寄るフェンリルに、菊一文字は静かに言う。…LEDがゆっくり明滅する。
 
「…そんなもの、とっくの昔に外してますよ。…最後まで戦えなきゃ意味が無い。
……貴方でもきっとそうしたでしょう? …フェンリル…いや、鋭雪兄さん‥………」
 
 LEDが輝きを失っていく。
フェンリルはキッと上空の白い翼を睨み付けた。
 
「…まだおわんねぇのかよ……」
 
 村雨からの通信はまだ無い。
ゲートの展開にも時間がかかる。……それに、膨大なエネルギーも。
チャンスは一度しかない。絶対にミスは許されない。
 
 ただ微笑んでいる白い翼の少女を見上げてフェンリルは小さく舌打ちした。
 



 
 ゆらりと「彼」は立ち上がった。
 
「…単純な意志しか持たぬ精霊の分際で………」
 
 いつもの穏やかなモノとは違う、低く…そして凍り付くような呪詛の呟きがその唇から漏れる。
 
「……傷をつけたな!! この私に傷をっ!!!!」
 
 黒い髪が瞬時に真っ白な光の色に染まる。
額には複雑なルーン文字を組み合わせた紋章が浮かび、全身から溢れ出した光は、彼の周りに衣のようにまとわりついた。
 
「許さぬぞ小娘!! この痛み、何倍にもして償わせてくれるっ!!!」
 
 元ショウであったものは、凍てつくような瞳でプリシアを睨み付けた。
叫びとともに周りの床が、彼の溢れる力に耐えられずひび割れる。
 
『兄様! 準備が出来ましたわ!』
 
 叫ぶ村雨に、フェンリル…いやゲートキーパー『鋭雪』はうなづいた。
 
「全権委任モード承認完了。 これより全ての機能は我[GDES-000fen『鋭雪』]が管理する。
……転移ゲート…Cクラスを展開。S区画第2ブロック…座標軸はx=15………」
 
 小さく呟きつつ彼は意識をデータの流れに集中する。
力が次第にプリシアの背後の空間に凝縮していく。
 
「はぁぁぁぁぁっ!!!!」
 
 『ショウ』が叫ぶ。 光弾が唸りを上げてプリシアに迫る。
プリシアはそれを必死に風を操り叩き落とす。
 
「……くっ!」
 
 流れ弾が鋭雪を掠めた。
素早く体勢を整える。失敗するわけには行かない。
 
「……頼むっ!開いてくれぇっ!!!」
 
 宙にむかって彼は片手を突き出した。プリシアの背後に虚空が口を開ける。
 
「滅びろぉぉぉぉぉぉっ!!!!!」
 
 叫びつつ『ショウ』はプリシアにタックルする。
そしてそのまま、開いたゲートへと飛び込んでいった。
 それを追うように風がゲートの向こうへと流れていく。
 
「………やった…のか?」
 
 大きな脱力感と強い痛みに襲われて、鋭雪はぺたんと座り込んだ。
ぽとっ…と彼の膝の上に「何だか良くわからないもの」がおちてきた。
……何だか良くわからない…本当に……いやいやまぢで。
………生き物だとは思うのだが。
 
「ぴぎー。」
 
なんか声を上げている。喋ったのかもしれない。
目の前でゆっくりとゲートは閉じていく。
途中で閉じるのを止めたような気がするが、もうどうでもよかった。
…疲れきった彼は考える事をやめた。
 

 
「ふぃー……なんとか成功ね」
「あぁ、よくやってくれたよ。 意外と優秀だな…私の助手にならんか?」
 
 コンピューターに囲まれたその部屋で二人の女は大きく伸びをした。
 
 ……違う……終わってなんかいない……成功なんかじゃない…
 
 村雨は思った。口には出さなかったが。
 
 …大失敗だわ……座標思いっきりずれてるし…なんか変な生物とか巻き込んでるし……おまけに………なんか閉じないし。
 
 人の身体を持っていたならおそらくひどく冷や汗を掻いている事だろう。
無理矢理に開いたゲートは何だか変な形で安定してしまっていた。
……最悪な結果である。
 
 …でもまぁ……ばれなきゃいいか♪ てへ♪
 
 ……良いのだろうか本当に……。
良くない良くない……全然良くない。
 
「様子を見てくるよ…あいつら、本当に良くやったさ」
 
 小さな転移ゲートを開く。
花月はその中に身を躍らせた。
 


 
「……菊一文字…?」
 
 リッキーはその鋼の身体にそっと触れた。
ぱちっと火花が一度散り……そして全く動かなくなった。
 
「…おい、起きろよ……全部終わったんだ…だから………」
 
 彼は答えなかった。ただの金属の固まりに戻ったかのように……
 
「返事しろよ! 菊一文字!! お前ガーディアンだろ!? ガーディアンが先に倒れてどうするんだよ!おい!!」
 
 ゆさゆさと肩を揺さ振る。
しかしLEDはもう輝きはしなかった。
 
「………良くやったさ。菊一文字は。……未完成の身体でそこまでするとは……」
 
 ゆっくりと花月は歩み寄り、優しい笑みを浮かべた。
 
「あんたこいつのマスターなんだろ!? 何とかしてくれよ! 修理してくれよっ!!」
 
 叫ぶリッキーに彼女はそっと首を横に振った。

「…損傷が激しい……これでは元どおりにはならんな…」
「……何とかならねーのかよぅ…なんとか………」
 
 花月はそっとひざまずき、菊一文字の頭部からいくつか部品を取り出した。
 
「………命には終わりがある。…人だけじゃなく機械にもな」
「‥………そんな…‥……………」
 
 呆然とたたずむリッキーを背にし、彼女は歩き出した。
 
「村雨…後始末を頼む。 救護ロボットもこっちへ回してくれ。……私はラボに篭る」
 
 短く通信をいれると、彼女は空間の穴を開き、その向こうに消えた。
 
「……直してやるさ。 私はいつでもお前の「母親」だよ…菊一文字」
 
 データの蓄積されたチップを抱きしめて、彼女は小さくつぶやいた。


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