2010/3/8(寅さん誕生日1928年)
今年も丹頂の家の湯たんぽサービスが好評でした。なにせ暖かいし、朝になったらこのお湯を使用して顔も洗えるというきれ物です(笑)今日ラジオを聞いていたら今年のバンクーバーオリンピックの最中にアフリカの貧しい国で働いていた日本人女性が亡くなったそうです。彼女は岩手県・遠野の出身でまずしいそのアフリカの国で、故郷遠野でむかし使用されていた「かまど」を各家庭に設置したそうです。考えてみるとかまどはいまから約6000年ほどまえの縄文時代には竪穴式住居には調理するためにあった訳ですから、それを使って女の人は煮物や焼き物をこさえていたと思います。それがなぜ現代にか?というと、もちろん火の生活はしているのですが、水を煮沸してのむ風習がないためにコレラや赤痢で抵抗力のない小さな子供達が死んでしまっていたそうです。それで彼女が普及させたかまどは煮炊きをしながら動物の排泄物の混じった水をHot Watrerにしてくれます。これだけでも効果絶大で近隣の村で病気が発生しても、その村の子供達はだれも亡くならなくなったそうです。つまり、日本人が過去から受け継いできた民族的風習が今アフリカの貧困にあえぐ国の人達に重宝がられている事を伝えたかったのです。湯たんぽバンザイ、かまどバンザイ、まさ「MOTAINAI」のルーツです。
明日の夜は地方に出かけますので「今日の出来事」はお休みします。

今日で最後のSL冬の湿原号レポートです。2010年のSL冬の湿原号運行10年目の記念運行でしたが、無事3/7釧路駅到着15:10定刻到着で今期の営業運転が終了しました。あとは14日&15日に某旅行エージェントからの貸切が入っているのと、16日&17日にJR函館運転所と旭川運転所からきているSL機関手さんの国家試験で走る4運行が特別運行となります。しかしながらSLC11ー171号機&C11ー207号機が釧路客車庫にいる間、夜勤でこのSLに投炭する専門の人がいるのだそうです。その人は今夜も時間後とにSL達に石炭を食べさせなくてはならないわけです。俺にとっては8年目の乗務でしたが、今年は5勤務の予定が機械のトラブルなどもあって4乗務になりました。それでもSLのおかげで懐かしい顔にもたくさん出会えたし、鶴居村のPRも列車の中で実施する事もできたのでまずまずだったかなと思います。特に今シーズンのメインイベントは茅沼駅から標茶方面に発車してまもなく40年間の眠りをさました旧釧路川の蛇行部分に通水がされた事で、いままでただ単に凍結していた旧釧路川が川の流速とともに命を復活させました。いわゆる釧路湿原自然再生事業茅沼地区旧川復元地です。この場所ではお客様に「今・なぜ川を復元させるのか?」の部分を列車の中から説明しました。自然再生推進法によって、今後里山の復元やホタルの沼などが日本全国で復活してゆきます。その時に、この釧路湿原での情報公開制度(デイスクロージャー)が大いなる見本となる事でしょう。すでに次年度のSL冬の湿原号での企画を考えております。ぜひ、皆様に公開できるようになったらお知らせいたしますね。とりあえず、これで俺のSL冬の湿原号レポートを終了させていただきます。

2010/3/6(日刊スポーツ創刊1946年)
今日もSLネタですが、釧路駅を11:09にスタートしたSL冬の湿原号は1時間13分後に終着標茶駅1番ホームに到着いたします。そしてまずお客様をおろして車掌さんが車内確認をします。その後、扉が閉じて3人の車掌さんの1人が長クツをはいて列車後方のポイント切替場に走って移動します。無線機で連絡を取りながら列車はバックします。そして標茶駅近郊の踏切の遮断機がおりて、そこでポイントを切替ます。そこから再び2番線に進入して降り返しの準備を完了します。そこで車内スタッフは何をしているかと言いますと、ご覧のように昼食をとっています。車内販売員&機関手さん、そして車掌さんも休憩時間です。しかしながら駅ホームには鉄道マニア(通称テツちゃんor鉄マニ」が写真撮影をしているので、カーテンをしめて昼食をとります。俺がSLに乗務する時にはカミさんがつくってくれるでっかいオニギリ2ケをほおばっております。食事の後は軽く食後の睡眠をとったりします。しかし機関手さんたちは、帰りの準備でSLに給水したりボイラーの下の石炭の燃焼灰をかき出したりしています。そして出発25分前である13:30に車両のドアがOPENして復路のお客様が列車に乗り込んできます。さて、もう一頑張りです。往路定刻13:55になって汽笛一声釧路駅にむかって出発進行です。ポッポ!明日はいよいよSL冬の湿原号ラストラーンです。沿線にはたくさんのカメラマンが待っていることでしょう。

2010/3/5(日清食品の会長生まれる1910年)
今日は3月のあらし「March Storm」で、湿り雪が20cm程ふりました。折角道も乾いてきていたのですが、再びグチャグチャの鶴居村になりました。雪は昼ころまででやみましたが、村内の各地で除雪車が動きまわっておりました。まだまだ何度も雪はふるのですが、これで風が強いと電線着雪や農家のD型ハウスが倒壊したりします。そして昨日夜遅くにSL運行協議会からTELがあり、機関車が故障したのだそうで「ガイドさんの乗務はありません」との事で、本日のSL乗務はありませんでした。もっとも土曜日6日に鶴居村PRデーなので準備をしたりする事もできたので俺にとってはよい休日でした(笑)その替わり、お客様からの除雪依頼が入ったので、腰痛にムチうって作業してきました。夕方6:00頃に夕鶴の撮影コースとして有名な菊地牧場の横を通ったのですが、いつもの撮影コースには人っ子1人いなくて、つい先日までは駐車スペースさえない状態だったのがまるでウソみたいでした。そんな薄暗さの中を50羽を超えるタンチョウ達が夕鶴V字型大編隊を組んでねぐらの雪裡川に向かって飛んでいました。明日はSL車内のPRデーです。

2010/3/4(ミシンの日)
SL冬の湿原号の解説者は色々おりますが、2001年に成立した自然再生法に基づく釧路湿原茅沼地区の旧川復元の事まで列車のなかで説明できると人はおりません。それはたまたま俺が1997年の河川法改正に伴う「釧路湿原の河川環境保全に関する検討委員会」に所属していた事に起因します。明治9年と言いますから、いまから90年前に我が国の河川法が治水と利水を目的として成立します。以後、小さな改正はありましたが、1997年の河川法改正により今までの「治水」&「利水」に「河川環境の保全」が付け加わった事が釧路湿原を取り巻く環境を大きく替えることになりました。つまり90年間の間「川」は機能の対象としか見られてこなかったのですが、97年の改正により「環境」というより新しい視点の川作りが求められるようになりました。それまでは釧路湿原の下流域の約5,000f、東京山手線の内回りと同じ面積だけが河川域だったのですが、この法律改正により釧路湿原の純湿原面積18,920fが全面積が川となったのです。そして2001年に成立した自然再生推進法により2003年に「釧路湿原自然再生協議会」が発足しました。この協議会にも俺は参加していたので、「なぜ今直線化した川を再び蛇行した川にするのか?」「それは誰の何のためにするのか?」を実に長い時間をかけて論議してきました。2002年には我が家の家族が東京・渋谷代々木に行って「どうして川を再び蛇行させるのか?」を多くの人の前でパフォーマンスをしてきました。その時2年生だった我が家の長男信吉も、この4月からは中学3年生になります。多くの国交省釧路開発建設部治水課長も移動して行きました。しかしながら地元に数人しかいない、この10年間の湿原再生の議論を聞いてきた人が少なくとも数人いれば、これからの湿原再生の人達にメッセージを伝えて行く事ができます。今日も緩急車の外で40年ぶりに流れをとりもどした秒速流量29.3立方b=29・3tの流れの釧路川の説明をしております。
特に最近は親水思想の高揚で水と親しむ手法や公用が語られています。地球温暖化や湿原保全にも寄与している釧路湿原の自然再生に関してお客様がとても興味を持ってくれております。

2010/3/3(耳の日)
今日3/3〜3/7まではSL冬の湿原号車内解説ウイークです。もちろん、現在俺が務めている会社の業務の一環です。珍しく、今日は業界ネームではカニさんと呼ばれている「C11207号機」でした。これは前照灯であるライトが左右についているので、その格好がカニさんの目のように見えるからです。これに対して「C11171号機」は頭に1つ目だけがついているので1つ目と呼ばれています。本日もやはり中・台のツアーのお客様が多くて、まるで日本の旅行会社(JTBや近ツリ)さんは片隅で小さくツアー客が座っているような有様です。今年も車内には釧路公立大学の留学生が乗り込んで中・台のお客様にインタープリテーションをしておりました。それで今日驚いたのは昨年まで、この冬の湿原号のメイン期間手さんであった小林保則さんが塘路駅で客の誘導をやっておりました。俺にSLの色々な事を教えてくれた先生がOBになって自分が昨年まで動かしていた煙を運転している後輩達にためにサポートしている姿がとても印象的でした。俺もあと4日間頑張ります。面白いネタがあったらUPいたします。

2010/3/2(ひな祭イブ)
TOYOTAの社長がアメリカ議会の公聴会を終えて、中国に飛び、そして日本に戻ってきましたね。そしてバンクーバーからのオリンピック選手達も戻ってきました。日本にも「TUNAMI」という世界共通語を生み出したチリ地震の津波の影響がジワジワ広がっています。そして現地では750名の死者がでているそうですが、まだ詳細は不明です。先のハイチの震災では20万人を越す人命が奪われました。どうも、こう考えてみると地球はある一定の地殻変動の周期をもっているような気がします。先の中国四川大地震は昨年の北京オリンピックだったし、その前にはサはリンなどでも大地震が続いています。さて、今日は少し我が家も国際化という話しです。実は先日利用していただいた台湾&香港からのお客様ですが、玄関でクツをぬぐ習慣がないのでクツを履いたままで部屋にあがろうとします。もっとも我々がホテルに宿泊する時には、部屋の中ではサンダルやスリッパに履き替えますが、ドアを開けた瞬間にクツを脱ぐことはしまねんね。そして彼らは必ず自前の室内用のサンダルとかスリッパを持参します。おそらくホテル据え置きのサンダルで地肌にふれる物からの感染症の予防のためだと思います。そんで、我が家でも次女奈津子がご覧のように「Please Put Off Your Shoes!!」と張り紙を玄関に張りました。俺はこの表示を張った事がうれしいのではなく、身近に外国人が我が家にきてくれることが我が家の子供達に「○○人がきた」から「世界市民や地球市民が我が家に来るよ!」という感じを持つことが貴重な事だと思います。ますます世界が近くなって、日本人からも多くの世界レベルのアスリートや研究者がでている、そんな機会が子供達に未来を開いてくれると思います。蛇足ですが、もう1枚これを打ち込んでいるPCの横にも「CAUTION」Please Dont Touch!!と書いてあります。さて、明日3日から7日までSL冬の湿原号に乗務いたします。早春の釧路湿原レポートをお届します。

2010/3/1(暴力団対策法成立1992年)
今日から弥生3月ですね。如月20日から開始した、チャイニーズユーザー対策と、その後の週末対応でドタバタしておりましたが、いよいよ再び「今日の出来事」を連載する事ができるようになりました。彼を我が家で見ている方も多いと思いますが、旭川出身で現・苫小牧にいる佐藤教生君です。彼は普段は会社の寮に住んでいる人なので、あまり希望の食には縁がないのか、我が家にくるときには食事の注文がよく入ります。それで彼の今回のリクエストは「源乳シチュー食いたい!」との事だったので、早速音羽橋を超えたところにある○川牧場さんに聞いたら「今日ならあるよ」と言う事だったので、早速出かけてわけでいただきました。このシチューの作りかたは、まったく水を使用しない事がポイントです。だから煮こむと崩れやすいダンシャク系のジャガイモは使用できません。しかもできてからの味付けは、牛乳からのでる甘味をいか塩とココショウーで抑える事ができるかどうかにかかっています。実は前回彼が来た時のリクエストは「カニカレー」だったので、ちょうどそのときにもハナサキカニが手に入ったので、たっぷりと身入りのよいカニカレを作りました。俺が、この源乳シチューを作ったのはたしかテレビの取材でコント武田君がきたときだったのでかなり以前の事だったので俺も懐かしかったです。今の我が家では常であれば夕食提供はしておりませんので、まさに俺が家にいるときだけに、こんな物を食べることができます。彼以外に大阪からの夫婦さんも来ていたのですが大満足してくれました。これからは日1日と暖かくなるので、このシチューも今期の製造最終日でした。By The Way昨日はチリ地震津波がでてこちらでも海岸線から人の姿がきえました。それとバンクバーオリンピックが終了しましたね。次回は2014年にロシアのソチだそうですね。これを読んだかたでソチの事を知っている人がいたら、どんな町なのか教えてください。これを日本語では「ソチにまかす」となります。

2010/2/25(未知との遭遇1978年)

1週間のご無沙汰でした。ご覧のチャイニーズ&香港パワーの皆様との5泊6日のサポートを今朝終了する事ができました。まるでお盆と正月が一度に来たような感じでした。事務室も風邪ひきさんに占領されたり、茶の間も1人部屋として提供する状態でした。今回のメンバーさんの中には、南極に4回行った人や、台湾では1・2を争う夫婦カメラマンさん、そして弁護士さんまで参加されておりました。数日間で俺が彼らの行動で日本人ではこうは言わないだろうとと言う点をレポートすると「佐藤さん、阿寒丹頂の里でのエサまき時間を個人がお金を出すから、やってもらえないだろうか?」とか、朝6:30にサンクチュアリーに朝日の時にタンチョウを飛来させる方法はあるますか?」など様々でした。毎日のように音羽橋とサンクチュアリーそして阿寒の丹頂の里で徹底てきに鶴さんを撮影していました。

2010/2/19(連合赤軍浅間山荘事件1972年)
今日は38年前に特殊思想が反社会的行動を引き起こすという事件をテレビジョンというマスメディア媒体にして、リアルタイムに日本国中に配信した記念すべき日だったかもしれません。高校3年生の俺が理科室で見た光景をいまでも鮮明におぼえています。その後、その組織の幹部の一部は北朝鮮に出国したり、さらに日本に出戻ったりもしました。そして今日は我が国最年少15歳の少女がランクは滑走選手中最下位だったかもしれませんが、世界を経験した日でもありましたし、男子フィギャーで銅メダルを獲得した日でもありました。バンクバーで世界のアスリートが熱戦を繰り広げている最中にも、我が国にも世界各国からお客様は見えております。この御夫婦様は香港からお見えのかたで、世界的に有名な音羽橋からのタンチョウ撮影をするのが夢でしたという方です。本日朝はあいにく曇り空で、朝日は見えずで、おまけに雪も舞う天気でした。それでも念願かなって「感激」だそうです。そして今日は2つの発見をしました。信州・地獄谷のスノーモンキは動物写真家の岩合光昭さんのアメリカで発売された写真集が元で世界的に話題を作りました。そして鶴居村の音羽橋では地元の○○○○さんの画が有名なのだそうです。とてもすばらしい事ですね。そして2つ目は某弟子屈町の民宿らしいですが、そこの宿主様が客を連れて橋にきてましたが、この宿主様はあれだけ外国人のお客様が見えている橋の上で、自分が周囲に気をつけるように啓発する立場なのに自らがタバコプカプカでした。もつともモラルの無い人が、モラルのある人をガイドしているようなものです。あきれ果てました・・・・・明日からは台湾からの撮影ツアーのお客様が見えるので、しばらく今日の出来事をUPできないかもしれませんので、あしからず・・・・・