| 根室の銭湯2000前半 |

根室海保の砕氷型巡視船てしおで根室海峡を行く。******6/3撮影
| 根室の銭湯 | 1999年前・後半 | 2000年前・後半 | 2001年前・後半 | 返せ北方領土 |
| 根室クラブM1 | 読んだ本 | 北海道新聞社 | 根室市役所 |
■自宅
■2000年6月27日(火)
自宅の前が噴火し、溶岩が空高く吹き上げられている夢を見ました。真っ暗な闇の中をオレンジ色の
光がドカーン、ドカーンと打ち上げられていく。それを見上げながら「危ないなあー」とつぶやいている自分
がいました。三宅島の噴火からもう17年。ちょうど有珠山が噴火したばかりです。火山は連鎖するんです
ね。ここのところ、とても素晴らしい天気が続いています。青い空、白い雲。それとこんな自然の中で遊べ
る子供たちを本当にうらやましく思います。根室は懐かしいぐらいきれいです。仕事の合間に写真を撮っ
てホームページに載せようといつも思います。でも、いつもデジカメを忘れてしまいます。
■自宅
■2000年6月26日(月)
忙しさで銭湯が疎遠になっています。衆院選がありました。根室は完全に公共事業引き込み型の政治
です。実家にいたころは考えられなかった。「皆さんの要求した公共事業は120%予算を付けてきました
。これからもそうします」と言っていた政治家が大差で勝ちました。でも予算が120%あっても、裏道は
がたがた、病院はぼろぼろ、学校はぎしぎしです。何かおかしい。
だだっ広い原野に立体交差があったり、信号のない国道に平行して高速道路をつくる計画があったり
何かずれている。税金の使い道で、首都圏のサラリーマンに怒られそう。それでも人口減少は止まらな
い。
■自宅
■2000年6月16日(金)
昨日、自分の車に初めて犬を乗せました。助手席に座ったその雌犬「オジョコ」は運転中、私の耳元
でハアハアと息をしていました。
■自宅
■2000年6月14日(水)
北方領土ビザなし交流でやってきたロシア人に、本場の黒パンを2ブロックもらいました。うーん、
本当にブロックですね。だれかノコギリ貸して下さい。
日曜日のバレー大会は恐れていたことが起きました。6人しかいない選手の一人、最年長の41歳、
Kさんがスパイクの時に相手とぶつかって、ひざの靱帯(じんたい)を切ってしまったのです。秋に転勤の
可能性がある私は、最後の市長杯かもしれないので、何としても試合をしたいところです。その試合は
無理やり続けましたが、Kさんは歩くのがやっと。「次の決勝戦は5人でやるので、Kさん、コートの中にい
てください」と言おうかと思いました。でも、それは残酷です。結局、不戦敗にしました。
それでも私は40前後の人たちとバレーを一緒にやっているのがチームの誇りと思っています。で
も、これを機会にバレーをやめるなんて言い出さないかちょっと心配です。
■あけぼの湯(根室市曙町)
■2000年6月8日(木)
銭湯紹介ページでありながら、最近は逸脱気味です。今日、あけぼの湯でこんなポスターを発見しま
した。笑顔のエアロビ風女性の胸元にこんなフレーズ。「銭湯には、健康に良いとされるマイナスイオンが
充満しています」。そうだったのか。銭湯歴10年なのに気付きませんでした。そんな素晴らしいものに囲ま
れていたのですね。爽快な気分なので、みそ汁作って寝ます。
■自宅
■2000年6月3日(土)
根室海上保安部50周年記念の巡視船体験航海に参加してきました。根室に来て海に出るのは
4回目。根室には定期的な遊覧船がなく、漁業の街にいながら海に出る機会がないので、今回のような
体験航海は貴重です。乗船した「てしお」は国内2番目の砕氷型の巡視船です。ちゃんと銃もあります。
保安部の人に「これでロシア国境警備隊に勝てますかね」と聞いたら「負けます」と即答。でも砕氷型なの
で、体当たりなら勝つそうです。
二時間の航海は野鳥専門家の方々と一緒でした。彼らは鳥を見付けるのが早い。みんな双眼鏡
を片手に「そこ」「そこ」とチェックします。おかげで根室の海にもぐる鳥の姿を観察できました。保安部の
人には「ちっとも働いていないね」と言われました。体験航海を取材してないのが操舵室から丸見えでし
た。私は休日でしたので。
海上保安部の皆さま、お疲れ様でした。
■自宅
■2000年6月2日(金)
今日も夜遅くまで働きました。お疲れ様でした。首都圏のサラリーマンの方々も帰りは遅いことと
思いますが、根室の私の自宅だと、職場から900メートルしか離れていないので、家に帰るぎりぎりまで
働くことができます。なんて充実しているんでしょう? 衆院選が始まります。政治は純粋に政治ゲームとし
て見るのなら面白いかもしれませんが、現実的な政治ゲームはあまり好きではありません。邪魔なだけ。
高校の友人から入籍したとの知らせが届きました。みんな腰を落ち着け始めています。高校の友人
は大学や社会人と違って、みんな同い年ですから感慨深いものがあります。おめでとう!!!
会社の冷蔵庫にサッポロビール「冬物語」がいきなり大量に入っていたので、二本ほどいただきまし
た。今日の最高気温は9度でしたので、根室はまだ「冬」が終わったばかりかもしれません。
■みなと湯(根室市海岸町)
■2000年5月28日(日) チシマザクラも22日に列島最後の開花宣言。根室・清隆寺。

驚きました。みなと湯に湯気がないのです。いつもは流し場に入ると数メートル先しか見えないので
すが、今日は一番奥の露天ぶろの出入り口まではっきり見えます。あふれるばかりあった湯気は、一体
どこに行ってしまったのでしょうか。帰り道は霧。きっと全部屋外に逃げてしまったのでしょう。
ようやく満開になったチシマザクラは、大雨でだいぶ散ってしまいました。カメラにも水滴がびっちりで
す。チシマザクラの花は咲き始めはピンクで、満開になると白くなります。木は何十年たっても3、4メート
ルにしか育ちません。だから、根室では本州のように「サクラの下で宴会」というわけにはいきません。そ
んなチシマザクラの花は地面から小山のように盛り上がって咲き乱れます。ここにしかないので、これも
北国らしくてなかなかです。今年の開花宣言は列島最後の5月22日でした。
■自宅
■2000年5月25日(木)
本社から職場に、乾パンが段ボール一箱分も届きました。災害用の非常食として備蓄せよ、という
ことなのかと思ったら、そうではなくて、福利厚生の一環で送ってきたそうです。そこでなぜ、乾パンな
のか。全く不思議なことです。つい何ヶ月前かにも、本社から毛布が届いたことがありました。「地方勤
務者は福利厚生面で本社に劣るから、その補完として送った」ということでした。でも、毛布ぐらい持って
います。それを考えると、乾パンは食べられるからマシですね。職場の人間は私も含めて「まったく」とあ
きれていましたが、その乾パンを食べだすと、これが止まらない。あっという間になくなって、結構な人気
でした。無駄じゃなかったかも?
あるお年寄りに、戦前に国後島でシマフクロウを見た話を聞きました。「あまりの大きさにクマかと
思ってフッフッと吹いた」そうです。世界最大のフクロウとあって大きいんだなと思ったのですが、クマを
見たら「フッフッと吹く」っていうのは初めて聞きました。
■自宅
■2000年5月23日(火)
かなり忙しくなっています。偽5000円札事件の話を書きながら、ビザなし訪問団員拘束事件の取材と
執筆および情報交換を繰り返しながら、十勝ワイン「ねむろラベル」が出たよという地方版記事を書
きながら、FMねむろ初決算は頑張ったよという別の地方版記事を仕上げ、そのころには偽5000円札の
記事の催促が来て、十勝ワイン記事の問い合わせも別のデスクから届き、その電話を受けているそば
で、電話二本が同時に入ったりと、それでいて行事のお知らせとか、もう少し細かい地方版記事がたくさん
あって、こういう状況なのに記者は出張で自分1人しかいない。そんな日が続いています。
これにサケマス、コンブ漁と漁業シーズンが重なっていまして、支局員が4人から3人に減らされて最
初の春夏期は、私の思ったとおりの状態になりました。銭湯行きたいです。今日も深夜の帰り道、濃い霧
に私は包まれまして、銭湯の湯気がとても恋しくなりました。
■自宅
■2000年5月19日(金)
今日は大騒動でした。今年最初の北方領土ビザなし訪問団が帰ってきたのですが、団員の元島民が
ロシア国境警備隊の敷地に入ったということで、島で一時拘束されたのです。これがどうして大変なのかと
言うと、「日本固有の領土」である北方領土で、ロシアが「施政権を行使」したからです。ビザなし訪問は
「主権問題と関係する施政権のことはお互い触れないことにしましょう」ということで始まったので、ロシア
が「ロシアの法律を適用させた」というのは問題なのです。
だから、日本もロシアも法に触れるようなことにならないように注意してやってきたのです。
根室でも役職のある人は、今回の騒動を「(敷地に入った団員は)秩序ある行動をするべきだった」
と、その団員のことを悪く言います。
でも違います。ロシア人は自衛隊基地のある根室を自由に歩いています。根室の人は「じゃあ、どうし
て日本人は北方領土を自由に歩けないのか」と本音では悔しい思いをしています。四島は日本の領土な
のに、その故郷を自由に歩いたことで事情聴取を受けてしまった元島民は本当に気の毒です。
それで、その拘束された団員。国後島沖では、日本が数年前に贈った希望丸という船でロシア担当者
の事情聴取を受けました。友好的な雰囲気だったようです。その団員は塗装の技術を持っていて、希望
丸に連れて行かれる時に「この船は俺が塗装した船なんだ」と話したそうです。でも、今の希望丸はすっか
りはげています。そこで、ロシア側から「今度はペンキを持ってきて下さい」と言われたそうです。
■自宅
■2000年5月15日(月)
今年初めてトキシラズ(春に沖合で獲れるシロザケのこと。秋に川に帰ってくるシロザケよりも若いの
で、脂が乗っていておいしい)を食べました。とてもジューシーでした。土曜日には漁協が「トキ」の即売会
をやっていたので、実家に一匹送りました。2500円でした。築地なら一匹7000円以上はするようです。
それにしても雪印ナチュレを食べたい。近所の地場コンビニ「タイエー」は、いつも売り切れている。
商品棚に値札がちゃんとあるのに、深夜は100%空っぽです。POS、どうなっているのでしょう。あれば
絶対買うのに。
■自宅
■2000年5月12日(金)
根室で偽5000円札を使った容疑者が逮捕されました。青森県と道内各地で偽札の被害が相次いで
いたようですが、この市民の結束が固い根室で使ったことが、捕まる原因になったのかなと思います。こ
この人間観察力と口コミ情報の早さは目を見張るモノがありますから。
■別海温泉郊楽苑(別海町)
■2000年5月10日(水)
霧が凄い。今年は凄いです。トキシラズ食べたいです。今年の水揚げはまだ少ないようです。
■あけぼの湯(根室市曙町)
■2000年4月30日(日)釧路に捕鯨調査船「日新丸」がやってきた。

船内には肉の加工場も。 クジラも捕鯨船を歓迎。

釧路で捕鯨船の見学会があったので、釧路に住む大学バレー部同期、Kを誘って見学しました。
花咲港ではなかなか見ることができない巨大な船でした。印象に残ったのは、船内のクジラ肉加工施設
です。根室の中型サケマス漁船も船内に加工施設がありますが、ここまで大きくはないでしょう。実際に
クジラを捕まえるのは、この船よりずっと小さい僚船で、そのまま海上で日新丸に受け渡します。船室
とかの内部をぐるりと回って出てきた甲板には、グリーンピースの反論理性を非難する写真が展示し
てありました。「クジラを食べるのは野蛮人」と主張する彼らの船が捕鯨船に体当たりしてくる姿や、引
き揚げられるクジラに身体を縛って一緒に船に上がろうとするメンバーの写真が並んでいました。
おみやげとしてクジラの髭と、クジラ肉を扱った漫画「美味しんぼ」13巻の抜粋をもらいました。
その後、港湾で働くKの案内で、釧路西港をぶらつき、接岸している巨大貨物船を見て回りました。
紙の原料のチップや製紙工場の発電に使う石炭、酪農のエサなどを運ぶ貨物船と、それを陸揚げする
ベルトコンベアーや貯蔵施設を教えてもらいました。花咲港に魚を持ってくる漁船はまだ私にも理解でき
ますが、あんなでっかい船は人間の扱う範疇(ちゅう)を超えています。まるで、ジェット機を初めてみた子
供のような気分でした。人間ってすごいです。
■自宅
■2000年4月28日(金)
黄金週間は休んでいいといわれました。本当に大丈夫なのでしょうかね。いいなら休みますけど、
想定外だったものですから、一体何をしたらよいものか。でも、5連休だから、有名観光地は混雑しそう
ですね。それならば、今静かなブームの道東、それも根室ですかね。根室でも堪能しますか。5月1日
は北洋サケマス漁船が出漁します。先日、飲み屋のカラオケで、ある人がこんな歌を歌っていました。
「演歌〜を〜聴きなが〜ら、手酌酒〜」。今度自分でもやってみますかね。
今日は雪でした。本当です。
■みなと湯(根室市)
■2000年4月23日(日)
今日は朝は晴れていましたが、昼から曇って、午後3時ごろから雷雨になりました。そして夕方には
雨がやんで激しい濃霧になって、その霧が上がるとまたシトシト雨が降り始めました。3日分の天気を楽し
みました。
地元の民謡大会に行って来ました。舞台で歌ったのは、お年寄りばかりでしたが、根室に来てから
はお年寄りと顔を会わせる機会が多くなったので、最近はそのしわくちゃの顔から、若いころの顔を想像
する能力が身に付いてきました。
銭湯のコインロッカーで100円拾いました。お金を拾うのは久しぶりです。
■自宅
■2000年4月22日(土)
休みの日ぐらいはしっかり本でも読もうと思うのですが、5ページぐらいで寝てしまいます。根性が足
りないのか。ちゃんと勉強をし続けなければいけません。思うに、高校や大学の勉強の賞味期限は
5年ぐらいだと思います。それだけ過ぎたら習ったこともほとんど忘れてしまいます。たまに思いだす
ようにしようと思います。
■みなと湯(根室市)
■2000年4月21日(金)
仕事が休みだった今日の夕方、太平洋沿岸までジョギングしました。スキーウエアを着て走った
冬とは違って、今はスキーウエアを着なくても手袋をすれば寒くないので、走るにはちょうど良い季節で
す。夕方の気温は3、4度ぐらい。吐く息の白いこと。根室高校の前を通って、30分ほどで折り返しまし
た。引き返す途中、部活帰りと見られる高校生の集団を追い抜きました。すると、何人かが私に向かって
「がんばです」。高校の先輩と思ったのでしょうか?照れくさかった。根室は温かい街です。
みなと湯では、旧北海道拓殖銀行の根室支店長で、今は北洋銀の根室中央支店長のFさんに
会いました。会うたびに「カード作って!」と言われるのですが、今日は言われませんでした。
■別海温泉郊楽苑(別海町)
■2000年4月16日(日) 雪が積もった根室・明治公園

愛車シビックに不調の兆しがあります。仕事で酷使しているためか、最近はエンジンのかかりが
以前より悪くなってきました。キュルキュルキュルと繰り返す時間が微妙に長くなってきています。そし
て、排気ガスはポポポポ、という感じです。何か懐かしい気もします。なぜでしょうか。そうだ、学生時
代に3人で共同所有していた旧シビックの音でした。私が社会人に入ってから買ったシビックが、
「人気の?年型シルバーです」と高く買わされたあのシビックが、学生時代のポンコツ・シビックに近づ
いていようとは。走行距離6万3000キロ。燃費はいいのに、どうしたのでしょうか。根室の潮風の影響
か??? 1年前に根室から転出したS先輩は、3年間の根室滞在で車のマフラーが錆びて落ちました。
■自宅
■2000年4月15日(土)
すっかり雪も解けたなあと思っていたら、今朝起きると一面雪景色でした。こういうのをなごり雪と
いうんでしょうね。積雪は6センチ。東京の雪みたいにぐじょぐじょでした。この時期は南北の季節の差
がはっきり出る時です。例えば、今朝の根室は氷点下だったりと。でもいいですね。こんな住み易い場
所はないと思います。寒ければ着ればいいけど、暑かったら服はぬげでも、皮膚までは脱げませんか
らね。そんな私はすっかり寒冷地仕様の身体になってしまいました。根室以外には適応できないかもし
れない。寒いと脂ものってきたりして。
■あけぼの湯(根室市)
■2000年4月6日(木)
湯上がりのあとにゆっくり外を歩ける季節になりました。夏だなあと思います。昼間は国道の温度
計が7.6度を示していました。路面温度は17度もありました。暖かいので銭湯に行くときは思わず、
半袖で出掛けようとしてしまいました。
市内は年度末の慌ただしさがどこかに過ぎ去って、ほんわかムード。そして私もほんわか気分。
ただし、銭湯にいる時だけですけど。仕事ではとてもそんな気にはなれん。
こんな根室の4月を来年も味わえるでしょうか。日本一遅いチシマザクラが咲くのは5月下旬です。
■別海温泉郊楽苑(別海町)
■2000年4月2日(日)
気がつくと、あっという間に4月です。北海道も西の方は有珠山噴火で大変なようですが、ここ根室
は混乱もなく、新年度を迎えました。今日はカーテンを2年ぶりに洗濯しました。洗っている間、外は雪が
ちらついていました。ぼーっと見ていたら、そのうち寝てしまいました。
有珠山の避難所は大部屋で暮らすのも大変でしょうから、簡単な仕切りがあればいいと思います。
温泉地なのに風呂に入れないというのは何とも皮肉なことです。
先日、1999年限定の「ファンタ・ピーチ」がいつまで残っているのかと思っていたら、文化会館の
自販機が「2000年限定 ファンタ・さっぱりアップル」に変わっていました。ちょっと残念です。最東端の
地ですし、いつまでも残ってほしかったです。田舎でたまに見掛ける「メローイエロー」のような存在に
なってほしかったです。
■みなと湯(根室市海岸町)
■2000年4月1日(土)
ここは小さいながらも露天ぶろがあります。その露天ぶろに浸かっていたら、入れ墨のおじさん
が入ってきました。「ぬるいかい?」と聞かれたので、「大丈夫ですよ」と答えて、世間話などをしばし
楽しみました。話をしながら、つい目が肩の入れ墨に行ってしまうので困りました。
今日開幕したプロ野球パリーグ。西武の松坂投手は15年ぶりの10代の開幕投手だそうです。
15年前は高知商出身の日本ハム津野投手です。同姓なので応援してました。
■あけぼの湯(根室市曙町)
■2000年3月29日(水)
ヘルスケミカルが提供する今週のお湯は「梅の湯」。月一回の「お楽しみ湯」以外は、いつもこの
会社の入浴剤が入っています。この梅の湯。これが残念なことに、梅の香りがしないのです。いっその
こと梅干しをたくさんいれてほしいほどです。また、湯の色は最悪でした。赤紫はやめてほしい。血の池に
入っているみたいです。いっそのこと名前を変えましょう。「地獄湯」。これじゃ客が来ねえか。そのうち
「うそつき歓迎」とか呼び込んだりとか。
■自宅
■2000年3月28日(火)
機械のように働き続け、やや勤続(金属)疲労。こういう時は、おもいっきり運動するのが一番です。
そこで、「ちくしょう、死ぬまで運動してやる」と走り出しても、人間なかなか死ぬまではできないもの
で、そこで、「ああ、自分は人間なんだなあ」と感じるのでした。
■自宅
■2000年3月26日(日) 太平洋岸に流氷再来。向こうの島まで渡れそう
流氷の上を渡るのは楽しいと聞いていましたが、ほんとに楽しいです。向こうに見える友知(ともしり)
島まで行けそうな気もします。実際行けるでしょう。命が2つあれば絶対やります。足場が弱い流氷に
乗ってしまったら、いっきに海にドボンですけど、そのスリルがまた溜まらない。市内の学校では「流氷
に乗ること」は悪いこととされています。では、大人が流氷に乗って遊んだら、どうなるのでしょうか。だ
れかに怒られるのでしょうか。
「根室署は二十六日午前、根室市友知の太平洋岸で流氷に乗って遊んでいたとして、同市流氷
事故防止条例違反(流氷歩行)の疑いで、同市の会社員A容疑者(二七)を逮捕した。調べでは、A
容疑者は「違反という認識はなかった」と話している。・・・・」
結局、ソロリと沖を目指しかけましたが、足場が悪く、10メートルぐらいで引き返しました。
そして風向きが変わった翌日、同じ場所に流氷はありませんでした。
■あけぼの湯(根室市曙町)
■2000年3月18日(土)
なんと番台でサッポロビール「グランドビア」の試供品を配っていました。こんなこと初めてです。卓球
台があるとなおうれしいです。
今週は首都圏にいる両親が遠路遊びに来ました。根室は初めてです。弟子屈で車で待ち合わせて、
ストーカー殺人犯で有名になった屈斜路湖や摩周湖、養老牛温泉などを巡って、標津で国後島を眺め、
それから風蓮湖砂州のシカの大集結を見に行きました。知人から勧められたとおり、圧巻でした。見渡
す限りシカがいるような場所もありました。そこはシカまでの距離が遠く、手持ちの200ミリ望遠レンズ
では良い写真を撮れませんでしたが、ほかの写真も現像すると、なかなかのものでした。
両親は私のアパートにも立ち寄りました。母は私自慢のアロエを見付けて「根室のアロエは白いのね」
というので、「白いわけないでしょ」と表面の白いほこりをふくと、ずっこけてました。
■自宅
■2000年3月15日(水)
先日、札幌に行って来ました。高校を卒業して札幌に来たときは「やっぱり田舎だな」と思ったのです
が、根室に来て2年が過ぎた今では、いやいや都会に見えること。いつもガラガラの食堂に通っている
せいか、座席が半分以上埋まっているレストランにはとても入りにくかったです。本屋巡りや映画鑑賞は
久しぶりだったので良かったです。サッポロファクトリーの複合映画館の繁盛ぶりには驚きました。
札幌では私が根室にいることにちなんで「北方領土の元島民は国に甘えている。国のために個人
が財産を失うのは当然だ。国が滅びたら終わりだ」と言われたので、酒の席でしたが、ちとムキになって
反論してしまいました。戦後55年間も政治の駆け引き材料として元島民を翻弄しているんですからね。
そもそも個人を守らない国なんていらないです。
■あけぼの湯(根室市曙町)
■2000年3月4日(土)
新潟県警本部長の「うそつき」事件。こういうこと、あります、あります。うそつきの保身野郎は最
低です。警察や公務員だけじゃなくて、民間にもいるでしょうね。日本中にはびこっているんじゃないん
でしょうか、全く。厳しい就職難で、大変な思いをして入った職場が、こんな幹部ばかりだったら、そりゃ
若手社会人は嫌になるでしょう。流氷の下に沈んで、頭をよく冷やしてもらいたいです。
■光洋湯(根室市光洋町)
■2000年3月3日(金)
昨日、ピカチュウがなんて自己紹介するのか、で職場で議論になりました。私は「ピカチュウでちゅ
う」と、みんなに主張したのですが、ほかの人は「なにか違う」と言います。根室はテレビ東京系の中継
がないので、だれも分からず、どうやって確認しようかと悩みました。でも、熱心な人はいるもので、札
幌の知人からビデオを送ってもらっている地元の若ママに電話すると、即答でした。「ピ、カ、チュウ」だ
そうです。
■自宅
■2000年3月1日(水)
某高校の卒業式に行ってきました。来賓あいさつで、市の幹部は「この学校は来年校舎が改築
されることになりました。北海道庁の関係者の皆さまには心から感謝を申し上げます」。って、それを
卒業生に言ってどうすんの???
卒業式はなかなかいいものです。今日、印象的だったのはロシア語を教えるロシア人のT先生。
とてもおおらかで気さくな40過ぎの女性です。卒業式の終了後、私は、この先生と教え子とが一緒の写
真を撮ろうと職員室で先生に呼び掛けました。しかし、「写真は嫌です」と冷たい。私は「日本語ができな
いから言葉が通じないし、生徒との付き合いも浅いのかな」と思いました。
でも、どうしても写真が撮りたかったので、頼み込んで出てきてもらいました。すると生徒に冗談を言
ったりして、笑顔を作ってくれました。写真は10枚ぐらい撮ったでしょうか。T先生の顔を見たら、ん。笑
顔とは裏腹に目が真っ赤でした。私は全く意表を突かれました。
実は、T先生、卒業式の予行練習の時から涙ポロポロだったそうです。「T先生は教師としてのプラ
イドもあって、涙を見せたくなかったんですよ」と、別の先生が解説してくれました。正門でのお別れの
時は、もう完全に涙、涙でした。
■みなと湯(根室市海岸町)
■2000年2月26日(土)

氷山ってのはオーバーですけど、根室の沿岸に大きな氷の山ができました。流氷が北風に押されて
沿岸氷にぶつかって、その沿岸氷がめきめきと浜沿いにのし上がって山になったようです。「こんなの見
たことない」と80歳の漁師さんが言うんだから珍しいんでしょう。新聞の1面トップで出たためか、今日は
家族連れからカップル、写真家まで数十人が常時集まって大混雑でした。特に子供は大喜びで、この氷
山に登って遊んでいました。一応、海の上だから危ないと思うんですけどね。でも、そんな危なさが
面白い。私こそが率先して、氷山登りをしていたのでした。
氷山も凄かったけど、情報提供の電話も面白かったです。仕事上、あちこちから「凄いのがあるんだ」
と教えてくれました。まず、商工会議所のトップ(っていうと一人しかいません)の方の会社の社員から電
話がありまして、「**です。うちの社長から伝えるように頼まれまして」っと何やら緊急事態のようす。私
は「これは、この会社が何か大きな事業でもぶち上げるのか」と思ったのですが、それがこの流氷のこと
でした。
また、ある人は「あのな。おらの知り合いの漁師が、海の近くで仕事してたんだけど、陸(おか)の方さ
見て作業してたら、何か海の方で音がしているな、って。それで振り返ってみたら、ほんの1時間でもんの
すごい山ができてたのさ。こんなの見たことねえべ。あんたも早く行けえ。高さは13メートルはあるさ」。
その高さの根拠は分かりませんが、その興奮ぶりが何かおかしかったです。
みなと湯。短い時間にちゃっぽん。ここはなぜだか洗い場の湯気が強烈。2.5メートル前が見えない。
■自宅
■2000年2月24日(木)
流氷が来て寒くなったせいか、最近は死亡チラシがよく入ります。先日は私が大好きな「ショウガラ
ーメン」を出していたラーメン屋「白樺」のおじいちゃんが亡くなりました。わき水を使ったまろやかな薄
味のスープとショウガの組み合わせは他になく、あれが食べられなくなるのはちょっぴり寂しいです。カウ
ンターのテーブルのガラスの下に白樺の丸太が敷き詰めてあって、ラーメンを食べる時は白樺を見なが
ら、という趣向でした。店内すべてを白樺にしたかったそうですが、消防法に引っ掛かるそうです。
いつ行っても客はなく、ほとんど知られていない幻の店でしたが、本当に幻になってしまいました。
きっと、天国でもショウガラーメンを作っていることでしょう。
■自宅
■2000年2月21日(月)
根室の落石(おちいし)沖の太平洋流氷地帯で「クラカケアザラシ」が漁網に掛かり、見てきました。
死んでいたけど傷もなく、きれいでした。ベーリング海から流氷に乗って南下してきたようです。捕獲し
た漁師さんは、これを剥製にして保存すると言っていました。
仕事が受難続きのためか、思わずバッハの「ヨハネ受難曲」の2枚組みCDを買ってしまいました。
指揮はジョン・エリオット・ガーディナー、歌はモンテヴェルディ合唱団です。この悲愴(ひそう)な歌声
と、オルガンと弦楽器の物憂げな演奏を聞いていると、私の心は知らずと洗われていく思いです。買
ってからの1週間、ずっと聞き続けています。いい曲は何度聴いても良いものです。もし「ヨハネ受難
曲」が効かなくなっても、値段は高いけど「マタイ受難曲」がありますし。さ、すべてを忘れ、寝るとしまし
ょう。
■あけぼの湯・休業
■2000年2月15日(火) 自宅前の吹き溜まり。これは序ノ口です。

たまに早く帰ったので銭湯でゆっくりしようと思ったら、猛烈な地吹雪で臨時休業してました。プール
も真っ暗で、速攻で店じまいしたようです。昨年の大雪では、どこよりも早く市役所の除雪車が撤退して
大変驚いたのですが、今回はまだ動いているようです。いつも悩まされるのが根室特有の巨大な吹き溜
まり。昨年は私の車だけ雪山に埋まって泣きました。見たところ今は風向きがいいようで、私の車は無
事。このまま風向が変わらないことを祈りましょう。
氷点下10度と寒いせいか、積もった雪はサラサラです。撮った写真は暗くてよく分かりませんね。
屋外は寒くて5分が限度でした。
■光洋湯(根室市光洋町)
■2000年2月13日(日)
あっという間に2月も半ばまでやってきました。2月は1年で1番好きな月です。とりわけ根室は
素晴らしい。雪があって、天気がいい。これ最高です。
今日は歩くスキーで2時間半、風蓮湖上を歩きました。今度こそ海に注ぐ出口を見ようと、磁石を手に
北へと進みました。その出口は砂州と砂州が切れた湖の河口部分で、幅は100メートル程度の距離で
す。夏場は海水が入り込んでいるので渡ることはできません。でも、凍っている今なら横断できるは
ず。1時間ほどで別海側の砂州に着きました。それから、根室に向かって歩いて出口を探すこと十数分。
行き止まりの小高い丘を越えると、根室まで氷が・・・。ところが、そこに見えたのは、海で泳いでいる
鳥たちでした。潮の干満の関係からか、湖の出口だけは凍らないようでした。勉強になりました。沖には
流氷が来ていました。
帰りは日が暮れたので、月明かりを頼りに真っ白な湖の上をまっすぐ戻りました。
■あけぼの湯(根室市曙町)
■2000年2月6日(日)
昆布湯でした。仕事で家に帰るのが遅かったので、わずか10分しか入ることができませんでした。
今年は昨年のような濃い出汁は出ておらず、さっぱり風味に仕上がっていました。袋の中に詰められ
たコンブは固めです。根元に近いコンブでしょうか。いずれにせよ、今年はコンブの価格が史上最高値
をつけた年で、コンブとともに湯に浸かっている時間は、とてもぜいたくな一時でした。牛乳ぶろなんて
めじゃないですね。閉店間際のわずかな時間しか入れなかったのが心残りです。
仕事では腹の立つことがあり、ちょっとむしゃくしゃしていました。でも、帰宅してメールを開くと、自分
の出身高校のバレー部が10年ぶりに県大会ベスト4まで勝ち上がったという吉報が入っていました。
学校数が百数十校にも及ぶ激戦地域だけに、とてもうれしかったです。そして懐かしかったです。10年
前の同じ大会で、県ベスト4に進んだのがまさに自分たちでしたから。あの時もちょうど10年ぶりで当時
とだぶって見えます。夜10時を過ぎていましたが、「お祝いはその日のうちに」と思って、私が3年生の時
からずっと高校で教えている顧問のM先生に電話しました。もう寝ていましたが、うれしそうでした。
■みなと湯(根室市海岸町)
■2000年2月5日(土) 風蓮湖のど真ん中です。全面結氷してます。すごいです。感動です。

北海道の冬はスキー!。でも、根室には山がない、というわけで、先週の日曜日に釧路で歩くスキー
を買ってきました。歩くスキーは普通のスキーと違ってかかとが上がるので、歩きやすいのが特徴です。
今日は買ってから最初の休日で、そのデビューの日。天然記念物の野鳥がたくさんいる風蓮湖の氷上
で二時間ほど滑りました。スキー場と違うのはリフト券がいらないこと、うるさい音楽がないことです。周
囲は真っ白でしーんとしています。時々、カラスが飛んできます。たまに氷上に積もった雪が解けている
場所があって、そこに板がズボッと埋まったときはヒヤッとしましたが、この時期は寒いので、氷が落ちる
ことはないでしょう(だからワカサギ釣りができる)。今までは屋外での運動は歩道を走る程度でした。こ
の歩くスキーがあれば、夏場には行けない湿地帯も行くことができます。おもちゃを買ってもらった子供
のようにワクワクしています。
みなと湯。混んでました。明日は市内一斉の銭湯感謝デーです。私注目の昆布湯が登場します。
■自宅
■2000年1月30日(日)
学生時代に自転車旅行で知り合い、札幌の自室で朝まで飲んだ岩手の友人が、昨年4月に急逝して
いたことを今日知りました。今年は年賀状が来ないので仕事が忙しいのかなと思っていたら、年賀状の
礼状と、その友人が出勤直後に急に亡くなったとの報告が、親父さんから届きました。彼の元に届いた私
の年賀状を見て送ってきたのでしょうが、いったい私が誰なのかは、家族はもちろん、その友人の周囲
のだれもおそらく分からないことでしょう。だから手紙を書かなければいけません。
飲んだのは6年余り前でした。同じ貸間の他の住人も集まりました。岩手大で「月の輪熊」の研究
サークルに入っているとかで、面白い話を聞かせてもらいました。つまみとして作ってくれたもやしとゴボウ
の炒め物が、とてもおいしかったことを覚えています。その後もたまに連絡を取っていました。ご両親の悲
しみは察するところです。同世代の友人が死んでいく年齢まではまだ50年早く、勘弁してほしいです。
■自宅
■2000年1月29日(土)
ANK東京―中標津便の航空運賃が今の片道3万100円から、4月には3万5000円に値上げさ
れることになりました。往復では若干の値下げだそうです。でも、片道3万5000円はひどいでしょう。
エア・ドゥなら札幌―東京を往復してお釣りがくる料金で、3万5000円は高すぎます。しかも往復を使お
うにも一日1、2本しかない路線で、このうち1本は朝7時35分に羽田を出発する早朝便で、とても
使えるような時間帯ではありません。4月からは東京が遠くなりそうです。
それでも悔しいことに他の飛行機がないので、ANKを使わざるを得ません。そうであるのなら値上
げ金額の元をとることを考えなければいけません。機内サービスのジュースで換算すると、1杯100円と
して49杯分。これに機内誌(400円ぐらいか?)、新聞(1部120円)などを組み合わせることもできるで
しょう。今度、東京に行くときは、しっかり元を取らせていただきます。
■自宅
■2000年1月27日(木)
今朝は仕事の都合で、釧路で朝を迎えました。最低気温はなんとマイナス22度でした。
午前中に根室に帰るのにちょうど根室に車で出張する同僚がいたので、一緒に乗せてもらおう、と
朝8時半に生協富士見店の前で待ち合わせました。その時間。そして、10分、15分。同僚の車は来ま
せん。渋滞がひどいようです。耐寒服ではなかったので、寒さで頭がじんじんします。生協は開店前で、
中には入れません。逃げ場がないのです。自販機であたたかいお茶を買って、ほおに当てて暖をとり、
少しでも暖かいロードヒーティングの上に立って、か弱い太陽の光に当たるしか有りませんでした。
そして、マイナス20度近い寒さの中で待つこと30分。全身が凍り付く寸前。「つのー」と、同僚が呼
ぶ声が信号の向こうから掛かりました。死ぬかと思いました。
■あけぼの湯(根室市曙町)
■2000年1月25日(火)
マイナス10度の月夜です。雪の上を歩くとキュ、キュ、と鳴き砂のような音が出ます。湯船で花咲小
の先生に会いました。この小学校の校庭には現在一周200メートルの手作りスケートリンクがありま
すが、今度は長靴アイスホッケー専用のリンクを作るそうです。この寒さなら水を撒いたらすぐに凍る
でしょう。冬の根室は天気が良いので気持ちが良いです。
それにしても、スキージャンプの板の長さが日本が不利に変わったのは納得できないです。
■あけぼの湯(根室市曙町)
■2000年1月15日(土)
北方領土・国後島出身のBさんが92歳でなくなりました。この人は終戦当時、国後島のウエンナイ地
区の青年団長だったそうで、島がソ連軍に占領された後の晩秋、島民180世帯の島外脱出を指揮しまし
た。ひそかに根室の漁船と連絡を取り、ソ連の警備が手薄な嵐の晩に島を脱出したのですが、船が転覆
して数人が亡くなったそうです。自宅におじゃますると、息子さんがいました。終戦当時、小学1年生だった
そうで、「父は祖父母の墓が国後と根室に別れてしまったことを最後まで気にしていた」とのことです。
こうやって、一人また一人と元島民が亡くなっていきます。ビザなし交流も進み、「ロシア憎し」だけでは
解決できないことに気付いた今、元島民は怒りの矛先をどこに向けたら良いのでしょうか。しかも街だけ
は、さびれていく。「見捨てられた」と感じるのも無理はありません。この街の人間の温かさは、夕張の炭
鉱街に似たものがあるような気がします。
■自宅
■2000年1月13日(水)
先日、根室市役所や根室市観光協会の方々と一緒に、根室が大々的に中継されたNHK「ゆく年くる
年」のビデオを見ました。すごかった。根室のイベントは年明けのトップを切って、5分近くも全国中継さ
れました。わたしは準備段階から世紀越えイベントを見てきたので、とても嬉しかったです。納沙布岬
の花火も豪快でした。
根室に続いたのは長崎のハウステンボス。経済力の違いか、ここの花火は根室の何倍も派手なもの
で、一緒に見ていた一堂も「負けてるぜ」と口をそろえました。ただ、市役所の課長だけは「あれはアップ
で撮っているから大きく見えるんです」と主張。そこで、我々はテープを巻き戻して、もう一度見直しました。
誰もが「うーん。やはりハウステンボスの方が大きい」とうなりましたが、その時、課長は「いやあ、やっぱ
り長崎の花火は小さいなあ」と独りごちていました。
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