| 根室の銭湯・2001後半 |
晩秋の落石・浜松海岸。「北の国から98」ロケ地***11月上旬撮影
| 根室の銭湯 | 1999年前・後半 | 2000年前・後半 | 2001年前・後半 | 返せ北方領土 |
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■自宅
■2001年12月17日(月)
先日、釧路発根室行きの新しい最終列車に初めて乗りました。便利ですが、寂しい汽車です。
午後9時すぎに釧路を出て、根室到着は午後11時半です。最終が2時間遅くなりました。この汽
車は1両のワンマン列車。厚岸を過ぎると乗客はわずか数人です。無人駅に次々と停車しますが、
乗る人も降りる人もいません。みんな2列掛けの座席で横になって寝ています。列車は黙々と闇の中
を走り続けます。駅に止まっても、窓からは何も見えません。
午後10時半すぎ、「あねべつ」という駅に止まりました。うとうとしていると、おばちゃんの声が車内
に響きました。「きっと寝てると思うのー」。運転士と一緒に客室へ中年の女性が入ってきました。パジ
ャマの上にジャンバーを羽織ったような格好です。そして私のそばで寝ていた中学生ぐらいの男の子
のそばまで来て「ほら、あんた、起きなさい。起きなさい」と頭をバコバコ叩きます。その子はむくっと
起きあがり、まわりを見回しました。「あんた、降りるよ。切符は?切符は?」。おばちゃんはでかい声
で叫びます。客はみんな起きました。その子はもうろうとしながら、出口の方に向かいます。運転士は
「良かったね」と一言。息子を迎えに来た母親なのでしょうか。2人は汽車を降りると、闇の中に消えて
いきました。静かになった客室で私はまた睡眠に入りました。そこから根室まで、まだ1時間かかりま
す。
■中標津??温泉
■2001年12月9日(日)
バレーの試合。8チームのトーナメント戦で、準決勝で逆転負け。とても悔しい。最後かもしれな
いのに。みんな頑張ったのですが、結果がついてこなかったです。全身に塗り込んだサロメチール
が湯船のなかで、痛かったです。
■みなと湯
■2001年12月8日(土)
明日は中標津でバレーボールの大会です。チームとして初めての遠征試合です。強い相手を
求めて遠くに行くのは良いことです。わくわくします。これが終わると、来年6月まで試合はありませ
ん。ぜひ優勝して、チームをステップアップしたいところです。でもひょっとしたら、これがこのチー
ムでの最後の大会になるかもしれません。勤務先の人事異動は3月1日と9月1日。私はもう根
室に丸4年もいるので、たぶん、間違いなく3月に転勤だと思われます。次だ次だと、言い続けて、
もう2年ぐらいになりますが、今度こそ、次で根室から出ることになるでしょう。それだけに気合いを
入れようと思います。
■自宅
■2001年12月7日(金)
先日、放し飼いの憎たらしい犬がいる「焼き肉屋H」に入りました。こあがりに腰を下ろすと、注文
を聞かれました。「牛サガリ、ロース、カルビ、豚ロース。あっ、それと犬のサガリも」。 、と言いたか
ったですね。
■みなと湯
■2001年11月24日(土)
先日、いつものようにジョギングをしていると、焼き肉屋の前で「キャンキャン」と、最近姿を見な
かった白犬が襲ってきました。放し飼いの2匹。頭に来たので、蹴飛ばしてやることにしました。えい。
ふりかぶって前にけった私の右足の甲に、犬のあばら骨の感触が伝わりました。弱々しい骨です。
心優しい私。右足は、そこで止まりました。犬が悲しそうな目をして私をみつめます。急に弱気になっ
たようです。私は心の中で言いました。「今日は許してやる。だけど二度と吠えるんじゃないぞ」。そし
て勝ち誇った気持ちで、走り出しました。ところが背後でまた吠えるのでした。負け犬野郎。こういう
犬は焼き肉にするしかない。それ以上、相手にしませんでしたが、走りながらふつふつと怒りがこみ
上げてきました。
■自宅
■2001年11月12日(月)
5歳年上のいとこの結婚式で、久しぶりに東京に行きました。結婚記念に根室らしいプレゼントを
と思って、名前入りの特製大漁旗を持っていきました。とても喜んでくれてうれしかったです。ところが、
その後の片づけの混乱で、大漁旗が見当たらなくなってしまいました。私もそうですが、皆とても心配
しました。縁起物なので、盗まれたりしたら残念と思って、根室に戻ってからも気になっていました。
でも今日見つかったということです。そのいとこはバイオリン弾きで、結婚式でもその音色を聞かせて
くれたのですが、大漁旗はそのバイオリンケースに入っていたということです。酔っぱらって忘れて
いたのかもしれません。とにかく見つかったという朗報は本当にうれしかったです。しかも、そのケース
に入っていたバイオリンは???万円もするという高価な物だそうなので、大漁旗もだれかの手に
よって大事にしまわれたのでしょう。
■寿湯(根室市弥生町)
■2001年11月4日(日)
私は余裕がある時は連日、夜に近所を走っています。きれいな天の川(ほんと!)を見ながら、
ぼーっとゆっくり走るのはとても気持ちよいです。通りすがりのだれかの車から「頑張れ」と突然声を
かけられたり、あまりにも物音がしない根室の夜なので、通行人を追い抜くときに驚かれたりするの
ですが、それもこれも私には田舎暮らしの楽しさの一つです。でも、一つだけ許せないのが焼き肉
屋の前で放し飼いになっている白い犬です。私がその前を通ると、ある時は自販機の陰から、ある
時は花壇の植え込みから、突然飛び出してほえるのです。びっくりして心臓が止まるほどです。犬の
地点に近づくと心臓がバコバコします。聞くところによると、午後8時半を過ぎると、飼い主が鎖を外す
ようです。近所の人の話です。そして先日も、その焼き肉屋の手前100メートルで、犬がいるか
どうかじっと目を凝らしました。いません。良かった。犬の代わりに歩道の中央に白いゴミ袋が捨てて
ありました。人間が置いたにしては不自然です。「犬の仕業に違いない。きっと近くにいる」。そう思っ
て、まわりに注意しながらそろそろと走りました。そしてゴミ袋の手前5メートルに接近。何事もない
様子。「今日はいないな。良かった」と思いました。その時です。キャンキャン!!!!。突然、そのゴ
ミ袋が吠えて私を襲ってきました。うわ。何だこれは。よく見ると、それは、まさにその犬でした。私が
たどり着く100メートル手前から、歩道の中央で微動だにせず、私を待っていたのでした。
■自宅
■2001年10月28日(日)
明治乳業のアロエヨーグルトを毎日食べています。最近、中身が変わりました。「これまでよりも
マイルドになった」ということです。私にはヨーグルトに水を足して薄めただけのように思われます。
アフガン空爆。罪のない人間を殺しといて「誤爆だった。だれにも間違いはあるものだ」はない
でしょう。殺される方はたまったもんじゃないです。ビンラディンを捕まえるまでに、あと何人の一般人
が死ぬのでしょうか。
■あけぼの湯
■2001年10月22日(月)
休みの日に寝てばかりいてはだめだ、と思いたち、近くの本屋で「眠りを減らせ!〜短眠型人間
ほど健康で自信にあふれている」という本を買ってきて、自宅で読みながら・・・気がつくと寝てました。
■自宅
■2001年10月19日(金)
サンマのシーズンも根室は終わりです。もう魚群は本州の方に南下してしまったようです。今年は
豊漁で値段が安いのが悩みで、市場の人にも「ちゃんと買って食えよ」と言われていたのですが、この
前、友人から8匹もらったので、また私の冷凍庫は再び満タンになりました。今年も結局、サンマを1
匹も買わずに終わりそうです。もらってばっかし。ちっとも魚価アップに貢献していませんね。HPを見
た皆さんは私の分もサンマを買って下さい。草々。
■あけぼの湯
■2001年10月8日(月)
豊漁のサンマ。この前、市場の人に言いました。「値段が安くなって大変ですね」。すると「そうだよ。
あんた。サンマはちゃんと買って食べてよ」。すいません。今シーズン、いまだに買って食べたサンマは
一匹もありません。一回もらうと大量にあるものですから、独り暮らしの私には十分で・・・。
■あけぼの湯
■2001年10月2日(火)
魚も牛も鳥も、天然のものを見直しましょう。今は牛のエサが問題になっていますが、魚だって同じ
です。養殖の輸入サケ・マス(トラウト、銀ザケなど)はどんなエサを食べているか分かりません。動物
性たんぱくを使っている可能性もあります。とても食べられたものではありません。私は買いません。
■自宅
■2001年10月1日(月)
ウサマ・ビンラディンとかいろいろありました。私は報復は報復を呼ぶだけなので無差別の報復攻
撃には反対です。そんなことはアフガンの庶民の立場に立てば分かり切ったことだと思います。
ところで根室の魅力は銭湯だということを改めて感じました。根室にいる東京出身の友人が言いま
した。「最初は根室がいやだった。でもある時から根室が好きになった」。それは何か。それはあけぼ
の湯でした。ある日、初めて行ったあけぼの湯の番台で彼は気付きました。財布がない!!!。その
時、番台のおばちゃんが言いました。「あれ、どうしたの。お金は次の時でいいからね」。彼はその時の
ことを「初めてだよ。それでも次回でいいってういうんだから」と言います。その彼は今は地元のコンブ漁
師の娘と結婚し、幸せな日々を送っています。こういう田舎の良さは大切です。転勤して別の場所に行
ったら、この文化を広げてたいです。
■自宅
■2001年9月7日(金)
根室市の「広報ねむろ9月号」の表紙に私の写真がどーんと載っています。地元のマラソン大会
でハーフマラソンを走った時の情けない顔をした写真です。各世帯への配達が進むにつれて、反響
は広がります。今日などは会う人、会う人に「広報ねむろの写真、あれ、そうでしょ」などと言われま
した。市役所広報担当の確信犯と思われるのですが、そのTさんは「いやあ、偶然ですよ」とにやり
としてました。仕事で街の人に会うと必ずこの話題になるので、いつもより時間がかかります。
■あけぼの湯(根室市曙町)
■2001年9月3日(月)
銭湯料金が1日、360円から370円に道内一斉に値上げされました。10円分だけ、お湯が温か
くなったような気がしました。
■あけぼの湯(根室市曙町)

3年連続日本一。花咲港サンマの水揚げ。***8月下旬撮影
■2001年8月19日(日)
先日、バスに乗っていると、子供たち数人が片側2車線の道を横切ってバスに乗り込んできまし
た。すると、席に座っていた年配の男性が怒鳴りました。「危ないだろ。横断歩道を渡りなさい。一体
なにを考えてるんだ」。子供たちは無視です。「聞いているのか。お前たち。なんだあ」。すると、その
後からバスに乗ろうとした仲間の子供が叫びました。「あっ。これ違うバスだよ」。子供たち数人はそそ
くさと降りていきました。客の男性は「まったく」と吐き捨てました。バスの運転手も「まったく」と漏らしま
した。走り出したバスの運転が少し荒くなったような気がしました。私は会社の前で降りました。出勤
途中だったので、朝から気分悪いことだと思って歩いていると、背後から突然、私を呼ぶ声があります。
「だめだよ、そんなんじゃ」。振り向くと、仕事関係の知人でした。「だめだよ。そんな暗い顔してちゃ。下
向いて歩いていると、いい仕事できないよ」。私は、すみません、と謝りました。
■自宅
■2001年8月7日(火)
観光バスに軽トラックが正面衝突して、20歳の地元コンブ漁師の後継ぎが亡くなりました。事故後、
ずっと現場にいたら、近所のおばさんに声を掛けられました。地元ですから、だれが事故にあったのか
はすぐ分かります。おばさんも知っていたはずです。それでも「バスの乗客の方は大丈夫だったの?」
と聞いてきました。私。「バスの方はみんなけがもなかったそうです。でも軽トラックの運転手の方が」。
そこまで言うと、そのおばさんは「いやっ」と声を絞り出して、顔を手で覆って向こうの方に走っていきま
した。
■自宅
■2001年8月3日(金)
当HPは消えていました。一体何があったのかというと、私が利用している接続業者のサーバーに
ウイルスが入り込んで、すべてのHPデータが失われたのです。このため、HPが消滅していました。
もう一回、データを送り直したのでとりあえず復旧しましたが、手元に残していなかった古い写真は
ほとんどだめになりました。もう少し探してみますが、たしか大半を業者サーバーに移したうえで、手元
のデータは消去していったと記憶しています。
また、今話題のウイルス「SirCam」付きのメールが今日は15通ぐらい届きました。感染したパソ
コンから自動的にメールを発送してくるそうですが、受け取った人もだれから来たのかが分からず、本
人に知らせることができません。添付ファイルを開かなければ感染しないので、自分は今のところ大丈
夫なのですが、邪魔で困ります。
■自宅
■2001年7月19日(木)
これを読み返してみると、ちゃんと銭湯に行った時の方がいい雰囲気で書けていると思います。
ここのところの根室は忙しいです。将棋の羽生さんがせっかく王位戦で根室まで来てくれたのに、
その姿を便所帰りの後ろ姿しか見られなくてかなり悔しかったこと、でも、浜で初水揚げの花咲ガニを
もらってうれしかったこと、午後10時半のがらがらの居酒屋で遅い夕食を食べた時、カウンターに某
スーパーの店長がいて、やはり遅い夕食を一人で食べていたこと、コンビニの夜食弁当よりなじみの
居酒屋で晩飯食った方がうまい、と思ったことなど。ほかにも韓国サンマ漁船の北方領土での操業
問題や、日ロ首脳会談の行方とか、今週も街の話題はたくさんありました。今日の最低気温は8度
でした。
別海町の酪農家と牛乳の話をしました。私「本州のファミリーマートという大手コンビニで、根室ブ
ランドの牛乳を売っているんですけど、あまり売れていないようです。どこよりもおいしいのは間違いな
いんですが、根室という名前が良くないようです」。酪農家Aさん「どうして?」。私「正直言って、首都圏
の人たちは根室と聞くと、北方領土、拿捕(だほ)、銃撃というイメージです。演歌の題材になっても、
牛乳の爽やかなイメージにはなりません」。Aさん「うーん。根室の名前じゃだめなのかねえ」。私「十勝
と比べると宣伝が下手ですし」。Aさん「じゃあ銃撃牛乳だ」。酪農家の方々のためにも、根室ブラン
ド牛乳の発展を願ってやみません。
■自宅
■2001年7月18日(水)
くだらない夢を見たので自己嫌悪になりました。
■自宅
■2001年7月15日(日)

仕事で別海に行きました。内陸で暑かったです。その帰り、根室に戻ってくるとひんやりと寒い
空気が車の外から入ってきました。ああ根室だ、と思いました。実家の方は39度もあるようです。
それを思うと昼間でも20度がやっとという根室はいいところです。私は暑さよりも寒さの方が好きなの
で、就職場所の選択は間違っていませんでした。SLも良かった。適度な涼しさにSLの蒸気。むかし
の日本もこんな感じだったのでしょうか。
■あけぼの湯(根室市曙町)
■2001年7月10日(火)
択捉島のサッカー少年「アリョーシャ」と2年ぶりに再会しました。2年前の北方領土ビザなし訪問で
家庭にお邪魔した時にいた15歳の少年で、2回目の根室訪問です。私は現在、この取材の担当
ではないので、根室港に出迎えに行けませんでした。なので、せめて帰りだけは、と、わずかの時間
を作って見送りに行きました。すぐに岸壁で彼を発見。私が「アリョーシャ」と声を掛けると、彼はアー
と声を上げて「おみやげ受け取った?受け取った?」と何度も聞くので、「知らない。何それ」と言うと、
「通訳の人に渡してもらうように頼んだんだ。その人を探しに行こう」。すると、通訳のTさんが持った
ままでした。そして昨年、アリョーシャのお母さんが根室に来た時に私が贈ったサッカーボールの話や
ら、お母さんを通して彼からもらった「切り株に彼が描いた風景画」の話やら。こっちからはフィルムぐら
いしか渡せませんでした。彼はポケットからロシアのロック音楽のテープを取り出して私にくれました。
別の仕事もあったので客船の出港まで残れず、握手して別れました。
会社に戻って、プレゼントを開けると別のテープとタオル。アリョーシャのお母さんたちと根室のホテル
で一緒に飲んだ時の写真も入っていました。彼の手紙もありました。3日付です。「サッカーボールあり
がとう。僕にはボールがなかったけど、今は一番きれいなボールの持ち主です。ロシアの音楽のカセッ
トを贈ります。去年もらったカセットはよく聴いています(たしか吉田拓郎を渡した)。僕は根室に来まし
た。すぐ東京に行きますが、9日に根室へ戻ります」。見送りに行って良かったです。
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