2007年1月5日
人を信じられない?

サイト掲載: 2007年 1月 6日

 「絶対に迷惑をかけない!」という人は、必ず迷惑をかける。というのが、私が長年にわたって得た知識の一つだ。
 いろいろな状況の中で、「絶対に迷惑をかけないのでお願いします」という人は、必ず迷惑をかける状況にあり、現実にも迷惑をかけてしまう。
 私達は、普通、「当たり前」のことについては、認識もしていない。
 私達は「空気」があるから、生きられる。しかし、普通に生活しているとき、「空気さん、ありがとう」とは言わない。空気があることは当たり前のことであり、認識すらもしていないことなのだから。
 しかし、アルプスなど高山に登ると空気が薄くなり、空気の有り難さを思い知ることになるらしい。
 多重債務者が、他人にお金を借りてほしい、あるいは、お金を貸してほしいという、お金を借りるので保証人になってほしい、と頼むとき、「絶対に迷惑をかけないから」と言ったという。
 それは、客観的に自分が置かれている状況からすれば、間違いなく「どうにもならない状況」にあり、「迷惑」をかけることが高度の蓋然性をもって明白である場合に、「迷惑をかけない」「迷惑なんかかけるもんか」「迷惑をかけないようにできる」という決意の現れとして「迷惑をかけないから」ということになるのだと思う。
 自分の頭がどこにあるか、自分の小指がどこにあるか、などということは、いつもは気にもしていないし、考えてもいない。
 しかし、「頭が痛い」「頭を打った」「包丁で小指を切った」などという「異常なできごと」があれば、どこに頭があり、どこに小指があるかを認識する。
 「迷惑をかけないから」と言われたから、それを信用した。
 という人には、私は、このように話す。
 そして、よく相手が言うことを考えたのかを、聞く。
殆どの人は、なんにも相手の状況を聞かず、ただ、「迷惑をかけないから頼む」と言われたということだけを覚えている。
 自分のことを話す、わかってもらえるように話すということが、苦手な人が多いように思う。
 「騙された」という非常に簡単な言葉だけで表現し、騙した人が悪いということだけを強調する。
 しかし、「騙されないように」ということは、あまり教えられていない。
 というより、「人に親切に」ということが、最も大切な人間の素養であるとされている。
 確かに、「人に親切に」することは大切だが、人を騙そうとする人に騙されないようにする「すべ」を身につけさせることはもっと重要だ。
 
当たり前のことを当たり前にしていないという家庭が多い。
 働いている子どもと同居し、働いている子どもが得ている給料を知らない。生活費を「1円も出さない」という家庭も多い。
 多重債務者となった子どもに同道してきた両親に、私は、必ず、「食事代として幾ら出しているのですか?」と聞くことにしている。
 「全然、出していません」という人が、これまた非常に多い。半数以上は、食事代も出していない。
 私は、聞く。
「どうして食事代を出さないの?」
「あなた、給料10万円ももらっているのでしょう。どうして食事代も出さないの?」
「あなた、学校どこまでいかせてもらったの?」
「高校を中退しました」
「高校を中退して、その後働いているのね」
「はい」
「どうして、食事代も出さないの?」
しつこく聞く。
「未成年のあいだ、学校に行っているあいだは、親が、あなたを養わなければならない義務がある。でも、働いて給料をもらっているのに、なんで、あんたをやしなわないかんの?」
「親から、食事代出せと言われたことないの?」
驚くことに、「食事代を出せ」と言われたことすらないという子どももいる。
このように、しつこく聞いていると、横から親が子どもだ食事代を出さない「言い訳」をする場合も多い。
「お母さん、あなたは黙っていてください。私は、この人に聞いているんだから」
「あなたね、一人で生活したら、どんなに節約しても10万円はかかるのよ。家賃、食事代、ガソリン代、電気・ガス・水道代、車の保険代等々、10万円以上はかかるわよ。どうして、食事代すら出さないの」
私の声がだんだん大きくなる。

 相談者は、親から、叱られたことすらないような人が多い。
 基本的な生活のすべが身についていない。
 基本的な生活のやり方は、もともと、保守的なものだ。
 人として生活する最低限のことが身についていない。
 この先、この国は、どうなるのだろうか。
 私は、どんな場合にでも、「自分ならどうする?」と考えて、人の話を聞くように、「一人では絶対にきめない」「必ず、家族と相談する。わからないことは、わからないままきめない。専門家に相談する」ということを、話すことにしている。
 しかし、それでも、騙す人は、ますます騙す技術を磨き、騙される人は、「騙された私が悪い」と考える。