2007年1月6日
公務員の守秘義務はどうなっているのだろうか?

サイト掲載: 2007年 1月 6日

 今年最初の驚くべき事件報道は、幸せ一杯の家庭で育った歯科医師の二男が、妹を殺害したという報道だった。
 二男が、逮捕された後、どのように供述しているのかが、相当詳しく報道されている。
 密室で、警察官と対峙して、供述している内容が、なぜ、このように詳細に報道されるのだろうか。
 供述の変遷までのが、このように詳細に報道されることは、警察官が最も大切な「守秘義務に違反している」ということではないだろうか。
 平成21年から、裁判員制度が開始される。
 そこでは、一般の市民が、裁判に関与して判決に対して重要な役割を果たすこととなる。
 裁判員制度になるかどうかには関係なく、現在の裁判においても、判決を下す裁判官は、事件に対してまっさらな状態で対処し、初めて、裁判に提出される証拠により判決を下すこととなっている。
 マスコミは、いろいろなことについて、特に、権力に対して、果敢に対峙して、国民に事実を報道する使命を持っている。
 しかし、原則を守らなければならないことについて、もう少し、鋭い人権意識を持つべきではないだろうか。
 権力の最たるものである警察から、まだ、法律的には「無実」であると推定されている被疑者の供述の変遷を事細かに聞き出して報道することは、やめるべきではないだろうか。
 捜査官に守秘義務違反を求めることは問題である。
 犯罪被害者が発見され、犯人が誰かが不明であるような場合に、広く国民に捜査への協力を求めることは必要である。
 しかし、逮捕された人の供述の内容が、変遷が、裁判前に詳細に報道されることは、法律的には非常に問題であると思う。
 捜査官からではなく、種々の取材により判明したことを報道することは、許されると思うが、それも限度があると思う。
 守秘義務の名のもとに、なぜこんなことを「明らかにしないのか」というよう取扱がなされていることが多い。特に、「個人情報の保護」が声高く叫ばれるようになってから。
 犯人とされる人が属する家族のプライバシーが、むき出しで明らかにされることは、それが真実だとしても、個人情報の違法・不当な侵害となるのではないだろうか。
 裁判の結果、事実だとして、非難され、処罰されるのは「犯人」のみのはずである。
 逮捕された直後から、社会の批判の対象となることを、なぜ、甘受しなければならないのだろうか。
 犯人とされる人が属する家族の「将来」を「破壊する」ことは、許されることではない。
 むしろ、「犯人」とされる人か属する家族は、誰に何も言われなくても大変な心労と苦悩に苛まれていると思う。そういう家族に対して、温かい思いやりを持つことができる社会こそが、重要だと思う。
 日本が、「村八分」社会だということは、以前から指摘されていたと思う。
 しかし、個人個人が尊重される、そのような社会を目指すならば、このような現象について、識者とされる人や法律家は、もっと声をあげるべきではないだろうか。
インターネット社会において、この必要性はますます大きくなっていると思う。