キーワードは「考える!」



 日本に欠けているもの、それは、「考える」というキーワードではないだろうか。

 日本では、「考える」のは、上に立つ人であり、指導者であり、庶民は、それに従っていればよいということになっているように思う。

「すべて、国民は、個人として尊重される」(憲法13条)

「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」(憲法13条)

個人として尊重される国民の権利の中で、最も大切なことは、「考える権利」を持つということだと思う。

生きていく上で、考える権利を持つということが、何にもまして重要である。

しかし、日本では、「国民には、考える権利」が認められていないように思う。

その例として、次のようなことがある。


1、交通規制

 道路交通法は、速度規制・駐車違反等数々の規制をしている。

 最も、多くのドライバーが毎年罰金なしい反則金を支払っているのが、速度規制と駐車違反である。

 速度規制は、定められた規制速度を超えて走行した者について、罰金・反則金という規制がされている。

 しかし、誰が考えても、「雨の日」「濃霧の日」「雪の日」「真夜中」と、快晴の日とで、同じ走行速度でいいわけがない。

 自動車学校で、運転技術を教えられる時、イギリスの一般道の練習において、教官が、信号で止まったとき、教習生の目に「パッ」と手を当てるという。そして、教官は、教習生に何を尋ねるのか。この問に、きちんと答えてくれた人はいない。

「今、あなたの後ろの車は、どのような車ですか?」と尋ねるという。

 信号で止まるとき、バックする時、必ず、バックミラーで後ろをみるということは、極めて重要なことだ。

 しかし、免許取立てで、思わず、後方の確認をすることなく、バックして何かにぶつかったなどという経験のある人はいると思う。私もある。信号のない交差点の手前で待っていたところ、突然、自分のほうに車が向かってきたため、あわててバックしたところ、後ろにも車がきており、ぶつかってしまったこともあった。

 考える運転が、交通事故を減らすと思うが、どうだろうか。


2、仕事において

 武富士の会長は、「武富士の仕事について、皆さんは自分で悩んでいると思っているかもしれませんが、当社の仕事に悩み等ないのです。迷いなのです。やれば良いのですから。どうやったら良いのだろう、これは、正に迷いなのです。悩みほど深くはないのです。」と話している。

 仕事について、悩むということは、考えるということである。

 この会長の話は、「仕事は、やればよい。悩みはない」と断言している。

 消費者金融の仕事は、非常に難しい。確かに、本当に、自分でお金が必要な人が、お金を借りにきて、その人にお金を貸すのなら、問題はない。

 しかし、今、自分ではお金は必要ないにもかかわらず、他人に利用され、騙されて、お金を借りさせられる人が多い。それは、「名義貸し事件」として表面化する。

 名義貸し事件として表面化した事件では、何億円という被害額となるものが多い。

 私が関与した事件でも、3億円を超える名義貸し事件が、二度もあった。

 警察官の仕事も、交通規制に関していえば、警察官に「考えることを停止」させるという仕事となっている。警察官には、是非善悪の判断は許されていない。いかなる理由があろうとも、形式的に違反した場合には、検挙せねばならないのだ。

 警察官という仕事は、非常に、個人のやる気と、根気が必要となるものだ。

 一方で、「考えるな」ということを強制し、片方で、「考える」ことを求めることには、矛盾がある。警察官のやる気をなくしている最大の原因は、「交通規制」に関与することだと言えば、いいすぎだろうか。

 人生のすべては、「考える」というキーワードにかかっていると、私は思う。

 よりよい人生、よりよい社会、よりよい仕事、すべて、考えることから、始まる。

考えることを禁止された人は、やがて、精神的に追い詰められ、自分をごまかし、自分の良心に恥じるようになると思う。

これは、私のひとりよがりな考え方だろうか。