「由利弁護士のひとり言」開設に当たって

 弁護士法第一条
 弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。

 私は、宮崎の日掛けの事件の相談を受けた。今年の1月14日ころのことである。一人の女性が家族を含めて約10名を巻き込んで日掛けからの借入の保証人にしたり、名義を借りて借入をしているという。日掛けのひどい取立のため、大勢の人が家にもいられず、避難せざるをえないような状態だという。私は、ともかく、安心して生活をするために「介入通知」(弁護士が相談を受けているので取立等しないでほしいとの通知)を出した。1ケ月以内に宮崎の地元の弁護士に相談にのってもらうようにするから待って欲しいという内容だ。大分の知人の弁護士から紹介をしてもらった弁護士に事情を話して依頼した。断られた。又、別の弁護士に依頼した。一応、その弁護士は相談に乗ってくださるということだった。

そのため、私は、辞任の通知を出した。

しかし、その後数日してから、又、私のところに「なんとかしてほしい。請求にこられて家にも帰れない」という連絡が次々と入るようになった。私は事情を聞いた。「相談にはのってもらったが、受任はしていただけなかった」ということだった。
私は、思いあまって、福岡の同期の弁護士に宮崎の弁護士を紹介してもらうよう頼んだ。その弁護士は、「なんで、あんたが、宮崎の事件をやるのか。それが間違っている」と言われた。
私は、又、別の宮崎の弁護士に事情を話して頼んだ。しかし、断られた。ともかく、「同時廃止の自己破産の申立て事件について、一人35万円の弁護士費用と5万円の裁判所への費用の半額20万円をもってきていただかなければ受任できない」との話だった。

 私は、愕然としている。

 私が、宮崎の事件をやることは、不可能だ。極めて不十分なことしかできないだろう。しかし、現に、家にも落ち着いて住んでいられない、日掛け業者の厳しい取立にさらされている人がいるという状況の中で、「弁護士の受任通知」があれば、「むき出しの取立」からは、開放されるのだ。落ち着いて生活できるようになってから、弁護士費用を少しずつ払うしかできないのではないか。

 私のホームページをみて、「自分は金がないから一人で調停をやったり、裁判をやって頑張っている。絶対に負けない」という意見をメールで送って下さった人がいた。私は、その方に、「今、困ってる時に助けてくれる弁護士がいるか、いないか、それが問題だと思います」とのメールを送った。その人は、「それは、いないとはっきり言えます」と迷わずメールを返して下さった。

「弁護士法第一条は、死んだ」と言えば、それは、言い過ぎだろうか。

 勿論、大勢の弁護士さんが、弁護士法一条の精神にのっとって活動して、活躍しておられると信じている。しかし、これらの現実に直面して、私は、思った。「弁護士法第一条は死んだ」

 私は、もう、弁護士としても一番の働き盛りを過ぎた。無理もきかない。

 私も、人の子、人に憎まれたくない。

 私は、こんなことをいうと、村八分にされるかも知れない。事情も知らないで、よくそんなことをいうと、言われるだろう。それでも、私は、何か意思表示したい。それは、法律的な問題ではない。人間としての生存権の問題なのだと思う。
 それで、私は、生身の人間として言いたいことを言うために、「由利弁護士のひとり言」というコーナーを設けた。