突然、お父さんに会えなくなった!
お母さんに会えなくなった!子ども達

サイト掲載: 2017年11月13日

私は、相談者に「重い腎臓病の人にとって、どういうことが一日一杯、一番幸せだと思うことって何かわかる?」と聞く。相談者は、いろいろなことを言うが、正解を答えた人はいない。
正解は「それはね、朝起きて、おしっこがシャーシャーと出ること」なのだ。
おしっこがシャーと出ることは当たり前のこと、特別意識することではない。しかし、重い腎臓病で利尿剤を飲んでいる人にとっては一番重要なことなのだ。

親子で暮らしている子どもにとって、お父さんがいる、お母さんがいるということは当たり前のことで意識してなんかいない。
ところが、突然、ある日、お父さんか、お母さんが、子どもを連れて家を出る。その日から、お父さんか、お母さんが、どちらかに全く会えなくなる。
どうしてなのか、幼い子どもには、何がなんだかわからないことが起こってしまうのだ。

「わが子に会えない 離婚後に漂流する父親たち」(西牟田靖著)という本には、突然、わが子に会えなくなった親の思いが綴られている。「自殺しようと思った」「うつ病になった」「四国八十八ケ所巡りをして気持ちを落ち着けた」「仕事に行けなくなった」等々、大人の親の思いが綴られている。
成人した大人が、このようなに精神的に追い詰められるのだ。
幼い子どもの小さな胸のうちに、どんな思いが渦巻いているのだろうか。
私が相談に乗った人の事例を、相談者の同意を得て、紹介したい。

親子断絶防止法

今、子どもに会えなくなった親たちが、国会議員、弁護士、臨床心理士などの支援を受けて、親子断絶防止法という法律の成立に奔走している。
9歳の娘と何年も会えていない、3歳半の子どもが妻に連れ去られた、2歳の子どもが妻に連れ去られた、5歳の息子が妻に連れ去られた、6ケ月の子どもが妻に連れ去られた等々、突然、子どもに会えなくなった親が「親子断絶防止法」を国が作らないのは、憲法違反だという訴訟を起こそうとしている。
突然、お父さんに会えなくなった、突然、お母さんに会えなくなったというのは、子どもにとって最大の虐待ではないか。
子どもを叩いたなどという暴力の行使だけが虐待ではない。
幼い子どもに将来にわたって拭いきれない傷を負わせることは、最大の虐待ではないか。

私は、父親の顔を知らずに育った。
私が生まれて、すぐ下の弟が生まれて、その下の弟が生まれてすぐに軍隊にとられ、シベリアに抑留されたのだという。
父親の写真は一枚もなかった。だから、父親の顔も知らない。
私が50歳にもなったとき、私と同い年の従兄弟が、父が家に来たことを覚えていると教えてくれた。父は妻に会える、子どもに会えると胸を踊らせてシベリアから帰ってきたのだろう。しかし、そこで父は母から離婚を言い渡されたのだろう。それで父は自分が写っている写真をすべて持ち帰ったのだろう。父の写真がないことについては母は何も言わなかった。

私は小学4年生のときに、母が再婚した。そして、新しい父親の子ども、私の弟が生まれた。母の結婚は今でいう「できちゃった婚」なのだ。
私の家に来た人は、みんな口を揃えて、「〇〇ちゃんが生まれてよかったねこれで、あんたの家もうまくいくね」と言った。
私とすぐ下の弟は、「なんなんだ。いらない子どもなのか」と思った。
新しい父親は、おとなしい人だった。あまり叱られた記憶がない。
私は、いたずらをした。当然、それが発覚したら、親たるもの叱るのだ当然だ。しかし、新しい父親は怒らなかった。私は、「なんで怒らないの、やっぱり自分の子ではないから、どうなってもいいんだと思っているんだ」とひねくれて考えた。
そして、私の祖母や母の姉妹など、「瞭美ちゃんはかわいそうだ。お父さんが違うから」と言った。私は、別に新しい父親に苛められているわけではないし、なんで、かわいそうなのかはわからなかった。
私は、毎日、日記を書いていた。その日記に、私は、「本当の父親に会いたい」と書いたようだ。その日記を見た母は、「あんたは、こんなこと思っていたの。あんたがこんなこと思っているんだったら、お父さん(新しい父親)と別れる等々、大騒動となった。
私は、それから、日記を書かなくなった。
私は、下の弟を背負って子守をした。
みんなが「可愛い」「可愛い」ということから、足をつねって泣かせたりした。
私が、20歳になったとき、実の父から手紙がきた。「会いたい」という。しかし、私は会うことはできないと考えた。もし、会うと言えば、またまた、大騒動になるのではないかと恐れた。それに、私をここまで育ててくれた新しい父親にも申し訳ないと思った。
私は、「お父さんのことは全くわからない。私には、父親が二人、母親が二人いる」しかし、今は、会えないと手紙を書いた。父からは、「初めての子どもでとても、かわいがった。ちゃぶ台の周りをよちよち歩きしている姿が今も目に浮かぶ」というような手紙がきた。
しかし、私には、なんの記憶もないのだから仕方がない。
私は、おじいちゃん、おばあちゃん、伯父さん夫婦、伯父さんの子ども3人叔父さんと、弟の9人の中で育った。母は、ほとんど家にはいなかった。仕事で朝早くから夜遅くまで働いていたのだという。
私は、自分の経験から子どもの気持ちが少しはわかると思っている。
それは、本当に少しなのだ。
なぜなら、私には、ほとんど毎日顔も見ない母の他に、おじいちゃん、おばあちゃん、3人の従兄弟、弟がいたからだ。
寂しくなかった。
しかし、今の核家族の中で、子どもたちが、突然、訪れた突発的な出来事にどのように対処しているのか、到底、私が想像することはできない。