ネズミ捕りの発想はナンセンス

秦野 章


 私も交通警察に捕まったことがある。場所は高速道路から新宿へ坂を降りたところだ。この地点はどうしてもスピード違反になるのだが、ちょうど降りきった所で覆面パトカーが待っていて捕まったのだ。私は怒った。「こんなアホなこと」と。
 今はそこでやっていないようだが、覆面での取り締まりは感心しない。新聞記者は、あれを「ネズミ捕り」と名づけたが、ドライバーからみると非常に卑怯なやり口だ。だから私が警視総監になった時は、署長会議で「ネズミ捕りはやめよ」と指示してやめさせた。昭和44年9月12日付『毎日新聞』が、「ネズミ捕りは禁止すると警視庁が決めた」というような記事を載せていた。
 交通取り締まりも大切だ。交通事故が減るにこしたことはない。しかし長い目でみれば、交通違反が少しぐらい減っても、その見返りに権力が卑怯になり、悪質化すれば、ことはもっと深刻だ。
 それにネズミ捕りは、捕まえやすいからやっているのであって、交通事故の防止とはあまり関係ない。「この場所は一番飛ばしてくるから、ここに網を張って捕まえてやる」というだけで、必ずしも事故を減らすというのではない。
 なぜネズミ捕りが復活したか。件数稼ぎに最適だからだ。来た車は全部ひっかかる。では、全部を捕まえるかというとそんなことはできない。捕まえたのを調べている間に、他の車はどんどん走り去るから、運の悪い者だけが件数稼ぎの餌食にされる。これはナンセンスだ。ある意味で権力の乱用である。
 交通取り締まりはなんのためにやるか。それは事故を減らすためだが、取り締まりの前提として、「事故はスピード違反によって起こる」という抽象論がある。スピード違反一般が交通事故の原因だというわけだ。それならスピード違反を一件でも多く捕まえればよい、というわけで現場では、「じゃ、どこか稼ぎやすいところをめっけるか」となる。
 しかし、本当はスピード違反一般が即交通事故の原因ではない。あのスピード違反、このスピード違反が、なるべくして事故の原因となるのであり、そういう違反者は、捕まった時、なぜ自分が捕まったか納得するものだ。
 よく批判される件数主義は、やはり問題だ。件数主義で、法律を厳密に適用して逮捕を続ければ、権力はますます嫌われ、結局、自分で自分の首を締めることになる。


出典:講談社「何が権力か」より