弁護人提出の控訴理由書



弁護人提出の控訴理由書(別紙の公訴理由書をすべて掲載する)


第一、はじめに

 原判決は、刑事訴訟法二四八条に違反して提起された本件公訴は棄却されなければならず、かりに公訴提起が有効だとしても公訴事実の走行速度の証明はなく、百歩譲って被告人車の運転速度が控訴事実のとおりだとしても、その程度の走行速度は本件道路部分付近の交通の安全を害する抽象的な危険もないので、結局、本件公訴事実につき被告人は無罪である、とする弁護人の主張を退け公訴事実のとおりの事実を認定した。
 その判断は、理由を附することなく不法に公訴を受理した判決であり(刑事訴訟法三七八条二号、同条四号)、また判決に理由を附さず、判決に影響を及ぼすことが明白な事実の誤認があるものである(同法三七八条四号、同法三八二条)。
以下に、原判決の誤りについて具体的に述べる。

第二、事実関係

第三、控訴の理由

第四、むすび

被告人の意見

今年は、憲法施行五〇周年の年です。
 日本における速度規制において、法定速度が六〇キロメートルと定められたのも、憲法が制定キロメートル施行されたと同じ昭和二二年だということです。


一、昭和二二年一一月一八日制定、昭和二三年一月一日施行の道路交通取締法及び同道路交通取締令には、次のように定められているということです。

 道路交通取締法第一〇条
   最高速度は命令で定める。

 道路交通取締令一八条
   定員八人以下の乗用車は昼間六〇キロメートル、夜間五〇キロメートル
   その他の自動車は昼間五〇キロメートル、夜間四五キロメートル
   それ以外の諸車についてそれ以下の低速度
  (それ以外の諸車というのは、牽引車・無軌道電車・馬車等だとのことです)

 この法令の罰則は金三、〇〇〇円以下と定められていたということですが、最高速度違反には、その適用はなかったということです。その理由はよくわかりませんが、多分、速度違反の立証が不可能だったからではないか推測されているということです。
 これらの法規について知人に調べてもらったもので、原資料にはあたっておりませんので、詳細はわかりません。

 私は、法定の最高速度が六〇キロメートルと定められたのが、昭和二二年だということを知り、本当に驚きました。昭和二二年、第二次世界大戦後の荒廃した国土の中、自動車台数がどの位だったのか、道路状況がどうなっていたのか、自動車の性能は、等々、考えだせばきりがありません。私が、育った京都府何鹿郡佐賀村の村道は、すべて、砂利道だったことは間違いありません。そのころ自動車を保有している人は佐賀村にはなかったと思います。 昭和二〇年代半ばころはオート三輪車全盛の時代だったということです。
 わが国の幹線道路である国道一号線の全線舗装は昭和四〇年代の初めころだということです。昭和二二年当時、全国を我が物顔に相当なスピードで走っていたのは、あるいは、アメリカ進駐軍の車だけだったのかもわかりません。
 昭和二二年ころに、なぜ、このような最高速度が定められたのかは、今後の調査を待たねばなりませんが、それがそのまま五〇年間も同じだということに、感慨深いものがあります。


二、法定最高速度が六〇キロメートルでも、各都道府県公安委員会は、具体的な走行に適合した指定速度を定めることができることとなっており、その速度は、六〇キロメートルを越えてもよいこととなっております。従って、各道路に関して、具体的な走行に適合した指定速度さえ定められておれば、私のような不幸な事件に巻き込まれる人は少ないわけです。

 我が国の幹線道路の指定速度は、どのようにして定められているのでしょうか。

 道路交通法第二二条の道路標識等による車両の最高速度の指定については、「交通規制実施基準の制定について」(昭和四一年四月二一日付警察庁交指第一八号)「都市総合交通規制の推進について」(昭和四九年五月一六日付警察庁内規発第七号)に基づき実施されているが、さらに、統一的な運用を図るために、「速度規制の実施基準について」(昭和五四年七月四日警察庁内規発第一一号警察庁交通局長から各管区警察局長、警視総監、各都道府県警察(方面)本部長宛通達)を定めそれによって指定速度を定めることとなっています。
 対象道路は、「国道、主要地方道等都市間を結ぶ幹線道路(高速自動車道国道・自動車専用道路を除く)」となっています。
 規制速度は、特別の事情がない限り、この実施基準に定める「規制速度算出要領」に従って算出した速度とすることになっています。
 この実施基準の内容は、道路の所在場所について、大都市・中小都市・その他地域にわけ、さらに、市街地・非市街地域にわけ、さらに、商工地域・住宅地域にわけ、集落区間・非集落区間に分けております。規制速度の算出の項目は、車線数・民家の連櫨度・歩道の有無・中央分離帯・断面交通量(台数・往復・片側車線数)交差点の数、視距、勾配となっており、さらに、それらの項目の区分がわけられています。例えば、車線数の場合には、片側一車線は、一時間当たり五・四キロメートル、片側二車線は、八・七キロメートル、片側三車線以上は九・二キロメートルと定められており、歩道の有無の項目は、歩道ありが七キロメートル、歩道なし・歩行者多いが一・七キロメートル、歩道なし・歩行者少ないが五・六キロメートルと定められており、視距の項目では、見通しが非常に良いが七キロメートル、見通しが良いが五・七キロメートル、見通しが悪いが二・九キロメートルと決められております。
 規制速度の算出は、これらの適用表を用いて当該道路について各項目ごとに項目の区分欄の速度を選び、これを合計して速度を決めることとなっているということです(一の位は四捨五入)。
 私が走行していた国道は、その他の地域・非集落区間に該当しますが、この区分で最も早い速度を算出しますと、車線数が片側一車線以上で一〇・一キロメートル、民家はなしで一四・七キロメートル、断面交通量が一四・八キロメートル、信号交差点は一キロメートルの区間にないので一〇キロメートル、視距は見通しが良いに該当し五キロメートル、勾配はなしで六・九キロメートルを合算したものということになります。この合計の速度は、六一・五キロメートルとなりますので、四捨五入すると六二キロメートルとなります。しかし、この速度規制実施基準の「断面交通量」の項目は、交通量が多い程高い速度に決められることとなっております。従って、私が走行していた国道は、極めて走行量が少ないので一四・七キロメートルではなく、五キロメートルが適用されることとなるということです。
 その理由は、「実状として車線当たり交通量の多いところは、高い速度に応じ得る交通環境があり、車線当たり交通量の少ないところは速度を高めるべきではない交通環境下にあると理解される」からだということです。
 この規制速度において、修正できるのは、原則として一〇キロメートルの範囲で加え又は減じることができるということになっています。
 この規制速度の基準は、全国に共通する基準を設けたものであり、この基準の決め方は、まず道路幅員、交通量等の交通条件の異なる多数の地点について運転経験を有する多数の判断者によって、各自の自由な判断により当該地点における最も望ましい規制速度をそれぞれ選択させたのち、規制速度に影響を与える諸要素について各判断者の意識下にある重みを数量化して基準とする方式で定められおり、規制速度について総合化された判断が前提となっており、要素間の重みが数量化されて普遍的であること、この基準と実勢速度との関係について比較検証の結果は、この基準による速度規制は、おおむね実勢の七五パーセントタイル速度に相当するものであるとされています。

 この「速度規制実施基準」は、昭和五四年七月に出されたものですが、私は、なるほどとして納得できないことが残念です。

その理由は、後述します。


三、平成三年三月、国際交通安全学会は「自動車の走行速度を規定する要因に関する調査研究」という報告書を公にしています。
「まえがき」には、道路交通の日常的観察において「国民総犯罪」といわれるほど、規制速度と実勢速度は著しくずれているのが現状である。これと一致して、違反取締り件数の第一位が最高速度違反であるということが、大多数の運転者が、意識的であるかどうかはともかくとして、規制速度を越えた速度で走行していることを示している。本調査研究は、このような規制速度と実勢速度のずれがどうして生じるのかを明らかにするため、学際的アプローチによって実験調査を行い、適正な規制速度の決定のあり方の検討に資するため、提言としてとりまとめた、と書かれております。
 この報告書の冒頭には、「速度と事故との関係は、一般に考えられているほど単純なものではない。この関係に関する研究では非常に速い速度と非常に遅い速度では事故に巻き込まれる率が比較的高く、平均速度かそれよりやや高い速度では事故に巻き込まれる率が最も低いことを示している。速度制限に関する論文によると、事故率と事故に巻き込まれた車の平均速度からのずれとの相関が非常に高い。これは、速度そのものではなく、分散こそが速度による事故の重要な要因であることを意味する」と書かれています。
 この報告書には、日本における速度制限の決定は、専ら「道路要因」「環境要因」そして「安全設備」といった「ハードウエア」要因に基づいており、驚いたこと、人間的、社会的、経済的要因といった「ソフトウエア」要因が含まれていないと書いています。
 これは、前述した「速度規制の実施基準」のことをさしていると思われます。
 この報告書には、実際の「走行速度調査」の結果が掲載されています。
 歩車道の区別があり、分離四車線で、規制速度が五〇キロメートルと六〇キロメートルの郊外部幹線道路における平日の昼・夜、日曜の昼・夜、雨天の昼・夜の実際の走行速度を調査し、その平均値と、八五パーセンタイル値が出されています。
 その調査結果では、一般道路の幹線道路においては、実勢速度と規制速度の乖離が大きく、非幹線道路や高速道路では平均速度でみる限り規制速度と大きくずれていません。
 一般幹線道路では、平均速度においても最高規制速度をかなり上回り、速度分布の八五パーセンタイル値をとれば規制速度とは大幅な乖離が生じています。その他の道路種別でも八五パーセンタイル速度は最高規制速度を上回っていると結論づけています。
 私が、この表をみて一番驚いてたのは、昼間の速度よりも、夜間の速度のほうが高いということです。速度規制五〇キロメートルの幹線道路において、昼間の八五パーセントタイル値が九〇キロメートルであるのに、夜間は、九七キロメートルになっています。その他でも昼間と夜間の速度に一〇キロメートルの差がある事例があります。平常の日よりも日曜のほうが速度が高くなっています。

 私の感覚では、やはり、昼間よりも夜のほうが遅い速度で走行するのが当たり前と考えていました。なぜなら、見通しがきかないからです。昼間よりも夜間のほうが早い速度で走行できるというのは、人通りが少なく、走行車両も少ないからかもしれませんが、やはり、見通しがきかないところで高速運転することは危険だと思います。勿論、照明設備が完備しており、昼間同様の見通しがきく道路であるならば、別かもわかりませんが、私が走行する北海道の郊外の道路は、それほど夜間の照明設備は整っていませんので、やはり、夜間のほうが速度は遅くなければならないと思っていますし、現実にも夜間のほうが遅い速度で運転しています。

 この報告書を読んで感じたことは、規制速度が五〇キロメートルであろうが、六〇キロメートルであろうが、八五パーセンタイル値にはそれほど差がないということです。又、高速道路においても、規制速度が八〇キロメートルであっても、一〇〇キロメートルであっても、八五パーセンタイル値にはそれ程差がないということと、規制速度と八五パーセンタイル値の間にも殆ど差がないということです。
 このことは、それぞれ運転者が走行している実勢速度は、運転者の大多数、即ち、八五パーセントの人が、走行している速度は自ずから定まっているということだと思います。 原審における松宮教授の証言における「相場速度」というものが、これだと思います。
 この報告書の提言は、次のようになっています。

 速度規制を設定する場合には、次の点を考慮にいれるべきであろう。

 速度規制がなく、自由に走行できる条件では、運転行為には個人差が大きく、従って「適正速度」も個人によってとらえ方が異なる。しかし、速度規制と他の交通が存在すれば道路・交通状況に応じて、多くの運転者はほぼ同じような速度で走行できる。しかも、実際の走行速度は、多くの場合、規制速度を大幅に上回っている。
 規制速度の設定にあたっては、現実に大多数の車が走行している実勢速度をまず考慮に入れるべきである。例えば、欧米で採用されている「八五パーセンタイル速度」を参考にしたらどうだろうか。
 大部分の運転者の走行速度(実勢速度)よりも低い制限速度は、現行の取締り方法を変更しない限り、運転者の走行速度を低めるのには効果的ではない。ここで、とくに強調しなければならないのは速度制限という法的規制が軽視され続けていると、交通安全維持に有効な他の法的規制までが効果を失うことになるということである。
 速度違反の取締りは、画一的、無条件的であってはならず、交通、環境状況に応じて、とくに危険な速度違反を重点的に取締ることのできるような方法を適用すべきである。ここで、参考にすべきは、推定的速度制限と絶対的速度制限という区分である。日本の現行の速度制限は、後者のみであるが、前者も考慮する価値があるように思われる。すなわち、走行速度が制限速度を越えていても、その速度がとくに危険ではないと、交通管理者が判断することができれば、それは、速度違反とはみなされないのである。


四、私は、原審において、ごく当たり前の一人の自動車運転者として、日頃考えていることを述べました。しかし、そこには、客観的な裏付けがあるわけではなく、それは、あんただけの勝手な考えだと言われたときに、反論する資料を持ち合わせませんでした。
 しかし、この裁判を受けている間、いろいろな方から助言を受けたり、資料の提供を受けました。
 特に、「自動車の走行速度を規定する要因に関する調査研究」という報告書に書かれていることは、私が日頃考えていたことが、実際に多くの運転者の走行行動と同じであることを裏付けていました。しかし、私はこの報告書の中で、前述しましたが、一般幹線道路においては、昼間よりも夜間のほうが一〇キロメートルも走行速度が速いということに驚きました。 これは、運転者の感覚として夜間のほうが人通りも少ない、交通関与者も少ないという経験から来ることではないかと思います。それと、本州方面の自動車専用道路の照明設備は極めて完備しており昼間と同じ位に見通しがよいという話も聞きました。しかし、夜間は、やはり危険だと、私は思います。その意味では、ドイツの道路交通法に定められているという「視認距離の範囲内で止まれる速度」で運転せよと教えるべきだと思います。

 又、私は、この間、歩行者の側からみて、車の速度が歩行者にどのような影響を与えるかということについても考えさせられました。歩車道の区別のある道路の場合は、大抵、集落地域であるため最高速度は四〇キロメートルとなっていますが、郊外の道路は、歩車道の区別がないのが殆どです。歩車道の区別がない郊外の道路、六〇キロメートル規制の道路の、道路端を歩行者が歩いている場合、六〇キロメートルで走行することは、歩行者には相当な風圧をかけ、歩行者が「こわい」思いをするであろうということです。やはり、六〇キロメートル制限の道路でも、道路端に歩行者がいる場合には、四〇キロメートル以下というよりも、何時でも止まれる速度にまで下げるべきだと思います。元々、郊外の幹線道路は、歩行者がいないことを前提として規制速度が決められていることは、前述の実施基準でも明らかです。歩行者がいる場合には、それに対応した走行が求められることは当然です。

 しかし、このようなことは、自動車学校においても教えません。勿論、歩行者を守るために安全な速度でと言いますが、具体的な教育はされていないのではないでしょうか。自動車の走行速度によって、歩行者にどのような影響を与えるかなどは、もっと、もっと、具体的に教育する必要があると思いました。
 これは、前述した報告書に、「大部分の運転者は、安全速度(あるいは危険速度)を自分で判断することはできず、規制速度を安全速度の目安としているようである」ということに該当することであると思う。何が危険で、何が安全かは、経験によって体得することが多いと思いますが、危険な目にあって知るのではなく、あらかじめ何が危険かを教えることこそが、交通取締りにおいて重要だと思います。
 この報告書には、道路と車両の技術的開発に関する提言として、次の二つがあげられいます。

・道路の安全対策として、最新の化学技術を応用して、交通状況や天候などに対応して変化可能な可変速度標識を導入することが望ましい。

・車両の安全対策として、速度の出しすぎや衝突の危険を運転者に知らせることのできる車内警告装置を開発し、できるだけ速やかに多くの車に装備すべきである。さらに、近い将来は、最高速度制限を越えた速度では走行できないような装置や道路・交通状況によって走行速度が自動的に制限されるような装置が開発されるべきであろう。


五、原審判決は、速度違反の罪は、いわゆる「抽象的危険犯であるが、この規定は、処罰の対象となる行為が、規範的な理解による解釈の余地を残さず、画一的に規定されていることから、この規定の処罰根拠とする抽象的な危険がない場合を想定することはできない」という事で、私は、有罪の判決を受けました。

 わが国の司法は、三権分立の一翼を担う役目を有しております。

 昭和二二年に定められて以来、一度も変更されることなく連綿と続いている法定速度の六〇キロメートルという制限が、合理的なものであるのか否か、或いは、現最高裁判所裁判官である井嶋一友氏が、法務局の刑事局長時代に、このままでは、刑事司法に対する信頼が失墜するとまで言われた現在の速度違反取締の状況に対して、「この規定が刑罰根拠とする抽象的危険がない場合を想定することはできない」として判断を放棄することは、許されないと考えます。

 一九六五年(昭和四〇年)、ラルフ・ネーダーは、GMの欠陥車コルベアを告発する「どんなスピードでも危険だ」という本を出版しました。
 自動車は、いかなる速度であっても危険なものであることは間違いがありません。しかし、自動車が社会的に有用なものとして利用されている以上、その危険をどうすれば、少なくし、多くの国民が合理的なものとして利用できるか、それに対する回答が、裁判所に求められていると私は思います。犯罪者は、全国民のごくわずかであるのが普通です。
 自動車運転者は、その大多数が犯罪者である、検挙されるか否かは別として、実質的にはその大多数が日常的に犯罪を犯している。それは、異常です。

 私は、去る四月二四日午前一一時五九分ころ、釧路から帯広に向かう国道で、登坂車線と、走行車線とがある、片側二車線の上り坂で、最高速度六〇キロメートルのところ、二二キロメートル越えているとして検挙されました。登坂車線には、タンクローリーが何台も走行しておりましたが、走行車線は、私の車一台のみで、坂を上りきったところの斜め前の空き地に、パトカーが止まっておりました。釧路から帯広間で、片側二車線というところは、極めて少ないのです。あんなに立派な道路をなぜ、六〇キロでしか走ってはいけないのでしょうか。
 私が、その時走行していた速度は、極めて安全な速度でした。私は、その日、夫の伯母が死亡したことから、お通夜・お葬式に行くために走行しておりました。車両の交通量が多くなる区間に入る迄の間、ほぼ、八〇キロメートル〜九〇キロメートルの速度でずっと運転しましたが、その私の車両を追い越して行った車も相当数ありました。

 私は、平成九年五月二〇日、釧路地方裁判所北見支部・釧路地方裁判所網走支部に行きました。北見から網走に行くについて道々一二二号線(北見・美幌間)を走りました。この道路は、いわゆる裏道で信号がないこと、交通量が少ないため早く走れるということで教えてもらったものです。そこに一部「砂利道」がありました。その砂利道は、時速六〇キロでは走れませんでした。車体が横にずれるような感じがし速度を落としました。時速五〇キロ位が丁度よいという感じでした。私は北見支部を一時三〇分に出発し、二時三〇分迄に網走支部に着かねばならないということで急いでいました。しかし、それでも、砂利道は、時速六〇キロでは走れませんでした。私は、網走支部に二時四〇分にしか着けませんでした。
 砂利道でも、舗装道路でも、全く同じ法定速度であるということは現実に合わないことは経験上明らかです。

 私は、先に述べました提言のうち、次の項目は、特に重要と思いました。

「大部分の運転者の走行速度(実勢速度)よりも低い制限速度は、現行の取締り方法を変更しない限り、運転者の走行速度を低めるのには効果的ではない。ここで、とくに強調しなければならないのは速度制限という法的規制が軽視され続けていると、交通安全維持に有効な他の法的規制までが効果を失うことになるということである。
 速度違反の取締りは、画一的、無条件的であってはならず、交通、環境状況に応じて、とくに危険な速度違反を重点的に取締ることのできるような方法を適用すべきである。」

 私は、原審から一貫して「科学的で、合理的で、納得のいく交通行政が行われなければ、交通事故を減少させることはできないと思いますし、運転者が真に『責任』を自覚して運転することはできないと思う」と主張しています。
 私のこの主張が、多くの既に公にされている刊行物によって裏付けられたことに感激しています。
 裁判所が、多くの運転者から、畏敬と信頼を獲得できるような判決をして下さるようお願いします。



被告人