「一緒に幸せな国へ」裁判所に責任はないのか?

サイト掲載: 2017年11月20日

 私は、先日、昨年6月に無理心中で母親に殺された9歳の女の子のことを知った。 朝日新聞の2017年11月14日付けの記事によると次のように報道されている。


1 Aちゃんの母親は、2002年に結婚し、2006年にAちゃんを出産した。
Aちゃんの母親は、Aちゃんの父親と結婚する前から患っていた精神疾患が出産後悪化し、入退院を繰り返していた。 その間、Aちゃんのお父さんの実家に身を寄せ、Aちゃんの面倒を見てもらっていた。実家を出るとAちゃんは、保育園に預けられ、お父さんが送り迎えをしていた。


2 2009年、Aちゃんが3歳のとき、調停離婚をしたが、親権者は母親になったという。 その後、Aちゃんの母親は、Aちゃんの父親がストーカーをするという妄想を抱くようになり、Aちゃんのお父さんや自分の親族と音信を絶ったという。
Aちゃん親子は障害基礎年金と、生活保護を受けて暮らしていたが、平成11年、Aちゃんの母親が、「眠れず、疲れがひどい」と児童相談所に訴え、Aさんは児童養護施設に入ったという。Aちゃん5歳のときだ。


3 平成13年、Aちゃんの母親は、Aちゃんの近くに住みたいということでAちゃんが入っている施設の近くに引っ越してきた。
このころから、Aちゃんの母親は孤立を深めていったという。
Aちゃんと母親に関する情報は、Aちゃんの母親が住んでいた市に伝えられたが、市は「児童相談所が介入して娘は施設にいる」ということで、市や要対協の支援対象にはしなかったという。


4 Aちゃんの母親は、精神科を定期的に受診していた。市の生活保護の担当者は、3か月に一度、母親宅を家庭訪問していたという。
しかし、このような情報が、市の児童相談担当や児童相談所、児童養護施設で共有されることはなかったという。
児童相談所による母親への面談や訪問も2013年以降途絶えていたという。


5 報告書によると、児童相談所は、県の聞き取りに対し、「母親は、単身での生活が維持され、(母子)関係は良好と考えていた」と答えているという。


6 昨年6月、児童養護施設で暮らしていたAちゃんは、迎えにきた母親に駆け寄り、一緒にタクシーに乗った。 Aちゃんは、回転寿司店で食事をし、ファーストフード店で、ソフトクリームを食べ、母親が住むアパートへ。 年に数回の外泊で、週末の2日間、親子水入らずの時間を過ごす予定になっていたという。
しかし、Aちゃんは、施設に戻る約束の時間になっても戻らなかった。
通報を受けた警察が、アパートに立ち入ると、Aちゃんは、タオルケットにくるまれ、ベッドの上で冷たくなっていた。 母親は、その隣で意識を失って倒れていたという。腹に3ケ所の刺し傷があったという。


7 警察による司法解剖の結果、Aちゃんは弱い力で十数分間以上首を圧迫され、窒息死したとわかった。抵抗した跡はなかったという。


8 Aちゃんの母親は、意識を回復し、無理心中を図って娘を殺害した疑いで逮捕されたという。


9 Aちゃんの年数回の母親宅での外泊は、児童相談所から任された児童養護施設が母親の様子をみて判断していたという。
Aちゃんは亡くなる1~2ケ月前、「ママと話してアメリカの大学に行くことにしたの」と話し、算数の勉強に力を入れ始めていたという。
Aちゃんの母親は、亡くなる10日ほど前の日記に「地上の生活はあまりに夢がない。」「一緒にママと幸せな国に行こう」と書かれていたという。
遺書には「元夫が親権をしん奪おうと自分を犯罪者に仕立て上げるという現実にはないことが書かれ、追い詰められ自殺するしかなかった」と書かれていたという。


10 読売新聞の2017年6月11日の記事には、次のようなことが書かれていたという。
殺人罪に問われていたAちゃんの母親の裁判で、Aちゃんの父親は、法廷で絞り出すように「ショックのあまり言葉も涙も出ず、体が震えるだけだった」と話したという。
スーツ姿で現れたAちゃんの父親は、まっすぐ前を見て意見陳述した。2009年に調停離婚が成立して以降、Aちゃんと月1回面会ができることとなっていたが、母親が応じなかったため、一度も会えなかった。長年待ち望んでいた7年ぶりの再会は、穏やかな表情とはほど遠い、変わり果てた姿だった。


11 私は、Aちゃんのこの記事を読んで、お父さんの気持ちを思い、裁判所の責任はないのかと自問した。
私は、裁判所に、裁判所が責任を持って、親権者を決めたのなら、裁判所が決めた親権者が、きちんと子どもの監護・養育をしているのか、せめて、3年置き、5年置きの間隔で調査してほしい。そうすれば、幼い子どもが3年間、5年間で、成長し、子どもとしての意見を持つことができ、それを、監護親ではない人にぶつけることができる。
そして、離婚のときに、裁判所が決めたことがきちんと守られているのかを調査してほしいと言っている。

 Aちゃんの場合、調停離婚ということなのだから、母親を親権者とする離婚の合意ができたことは間違いないだろう。
しかし、Aちゃんの父親は、月に一回、子どもに会える、そのときに子どもの状態を知ることができる。そうして、母親が、Aちゃんをきちんと監護・養育していないことがわかったら、親権者の変更の申立てもできると考えていたに違いないと思う。
しかし、離婚してから、一度も、Aちゃんのお父さんは、Aちゃんには会えなかった。
Aちゃんが施設に預けられているとAちゃんのお父さんが知ったならば、親権者の変更してAちゃんを監護・養育することができた。

 母親が、Aちゃんに会いたいと言えば、会わせることもできた 。
記録を見ていないので、どうだったか断定は、できないが、少なくとも、出産後入退院を繰り返していた母親が、幼いAちゃんを監護・養育できると判断した理由は、どういうことなのだろうか。

お父さんの無念は‥‥‥‥‥‥‥‥

誰も慰めることはできない。


母親は、一審と二審で懲役4年の実刑判決を受け、最高裁に上告しているという。一審判決では、妄想性障害などとする鑑定が採用されたが、判断力は失っていなかったとされたという。