Mozart con grazia > なんでも手帳(ハンディ索引) >
 
 

Pietro Antonio Domenico Metastasio

1698 - 1782

ヴェネツィアに生まれた。ウィーンの宮廷詩人で、オペラの台本作家。マリア・テレジア女帝の庇護を受け、隠然たる力を持っていた。 「18世紀最大の音楽詩人」(ロマン・ロラン)と呼ばれ、スカルラッティ、ヘンデル、ハイドン、グルック、ハッセなどにオペラの台本を提供した。 フランス・オペラにリュリが占めたのと同じ絶対権をイタリア・ドイツのオペラ界に半世紀にわたり占めていた、と言われる。

関連するモーツァルトの作品


 
 

Marco Coltellini

1740? - 75

1740年頃トスカーナのモンテ・プルチアーノで生まれ、1758年からウィーンで作家活動した。 1768年、ウィーンで少年モーツァルト(12才)がゴルドーニの台本をもとにオペラ『ラ・フィンタ・センプリチェ』(K.51 / 46a)を書いたとき、コルテリーニはその台本に手を加えている。 それに対し、アインシュタインは次のように言っている。

リブレットはゴルドーニの作品であって、1764年にサルヴァドーレ・ペリルロの音楽によってヴェネツィアではじめて舞台にのせられたものである。 原作のリブレットは当時無名で公けにされていた。オペラ自体は不成功で、ヴェネツィアより先へはひろまらなかった。 こういうわけで、コルテルリーニが当時の帝室劇場請負人アフリシオ(彼は全くのならず者だった)と了解のもとに、他人の功を奪ったということは大いにありうることである。 彼は2、3のアリアを新しいものと取り替えたにすぎない。 そして僅かに第3幕だけはややうまく改作しており、ことにフィナーレは大いに新しく仕上げいるから、 ゴルドーニと並べて自分の名前をなのる権利は少しは持つであろう。
[アインシュタイン] p.532
1769年以後、メタスタージオの後継者と言われていた宮廷詩人。
娘チェレスタ(Cölestine [Celesta] Coltellini, 1760 - 1828)は歌手で、モーツァルトは彼女のために を書いている。
 

〔参考文献〕

 

2012/09/16
Mozart con grazia