Mozart con grazia > アリア
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レチタティーヴォ「アルカンドロよ、私はそれを告白する」と

アリア「私は知らぬ、どこからこの愛情が来るのか」 K.294

Recitative "Arcandro, lo confesso."
Aria "Non so d'onde viene."
〔編成〕 S, 2 fl, 2 cl, 2 fg, 2 hr, 2 vn, 2 va, vc, bs
〔作曲〕 1778年2月24日 マンハイム
1778年2月






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歌詞はメタスタージォの名作『オリンピアデ Olympiade』第3幕第6場からとり、アロイジアのために書いたことが旅先のマンハイムからザルツブルクの父へ宛てた手紙(1778年2月28日)に詳しく説明されている。 それによると、初めはテノール歌手ラーフを想定して、練習のために書いたという。

きのう、ラーフのところへ行き、ぼくが最近彼のために書き上げたアリアを1曲届けました。
(中略)
ぼくはバッハによって実にすばらしく作曲されている「どこから来たのかわしにはわからない」云々のアリアも、練習のために書きました。 そのきっかけは、ぼくがバッハの曲をとてもよく知っているし、たいへん気に入っていたし、いつも耳のなかで鳴っていたからです。 それをすっかり無視して、バッハのとはまったくちがうアリアが作れるものかどうか、試してみたかったからです。 結局、まったく似ても似つかないもの、ぜんぜん違うものができ上がりました。
[書簡全集 III] pp.562-563
ところが、高い音の出だしがラーフには無理だと気づき、当地で知り合って恋心を寄せるようになったアロイジアのために書き直すことにしたという。 ただしその作業は後回しにして、まずラーフ用のアリア「私の唇・・・」を仕上げようとしたが、やはりアロイジアのことが頭から離れず、結局このアリア「私は知らぬ・・・」を書き上げることになった。 22歳の青年が、64歳の男のためより、18歳の娘のために熱心に仕事をしたいと思うのは当り前のことである。 父レオポルトに見透かされないようにこの曲が書かれることになったいきさつを伝えてはいるが、レオポルトにはすべてがお見通しだっただろう。 モーツァルトはこの曲を初めとし、生涯に7曲ほど彼女のために傑作を残すことになる。

この曲は演奏会用アリアで初めてクラリネットを使用している。 モーツァルト自身が2月28日の手紙に書いているが、この曲は小さなレチタティーヴォを持つアンダンテ・ソステヌートで、中間部に第2節「この胸に目覚める」がきて、再びソステヌートに戻るという構成になっている。 曲が完成すると、居ても立ってもいられずモーツァルトはアロイジアに会いに行く。 たぶん2月24日のことだろう。

ぼくはヴェーバー嬢に言いました。 「このアリア、自分で勉強してごらんなさい。 自分の趣味で歌ってみることです。 そのあとぼくに聴かせてください。 そのあとで、ぼくの気に入ったところと、気に入らなかったところを、率直に言いましょう。」
同書 p.564
彼女とふたりになれる機会を作り、モーツァルトはそのときが来るのを待ち遠しく思っていたに違いない。 たぶん2月26日のことだろう。
2日後に行ってみると、早速、彼女はぼくに歌ってくれました。 しかも彼女自身の伴奏で。 ところが、彼女はまさにぼくが望んでいた通りに、まさにぼくが教えようと思っていた通りに、ぴったりと歌ったことを認めざるをえませんでした。 これはいまや彼女のレパートリーのなかでいちばんいいアリアで、この曲なら、どこへ持って行こうと、彼女の名誉となることは請け合いです。
1778年3月






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しかしザルツブルクをたつときモーツァルトの旅の目的地はマンハイムではなくパリだった。 レオポルトは息子に一刻も早くマンハイムを離れ、本来の目的をはたすことを命じる。 いよいよ出発のとき(3月14日)が来たが、その前の12日木曜日の午後、カンナビヒ邸で送別のための演奏会が催された。 そのときアロイジアはこのアリアを歌い、大成功だった。

ぼくのいとしいヴェーバー嬢自身もぼくも、言葉に言いつくせないほどの名誉を受けました。 みんなは、こんなに感動したアリアを聴いたことがないと言っていましたが、彼女もまた申しぶんなくそれを歌いました。
[書簡全集 IV] p.15
そのとき初めて器楽伴奏で演奏されたが、「正確に、趣味よく、強弱を守って演奏された」ことにモーツァルトは大満足であり、マンハイムを離れなければならない悲しさは否が応にも増したであろう。 アロイジアは二対のレース編みの袖飾りをプレゼントしてくれたという。 そして3月14日土曜日、モーツァルトは母とふたりパリに向かって旅立った。 パリには23日月曜日午後4時に到着。

よく知られているように、結果としてパリ旅行は失敗に終る。 しかも異国で母を失うという不幸まで重なった。 9月26日、モーツァルトは今度はひとりでパリを離れ郷里に向かうが、途中マンハイムに寄り道する。 アロイジアとの再会を夢見てのことだった。 ふたりを結びつけてくれる曲があるはずだった。 それがこのアリアであり、またアリア「不滅の神々よ、私は求めず」(K.316)であり、どちらも彼女にぴったり合うように仕立てた曲だった。

(1778年7月30日、パリ)
あなたがひとりで習得したアリア『わしは知らぬ、どこからやってくるのか』については、どこも直したり、改めたりするところはありませんでした。 あなたはぼくの望む趣味と唱法と表現法とであの曲を歌いましたね。そういうわけで、当然ぼくはあなたの能力と理解力に全幅の信頼を置いています。
(中略)
ぼくにとっていちばん仕合わせな心理状態、境遇は、あなたに再会して、心からあなたを抱擁する最高のよろこびが得られる日にあります。 この願望や念願にのみ、ぼくの唯一の慰めと安らぎを見出しています。
同書 pp.186-187
しかし再会はかなわず、失恋。 それでもこのアリアはその後アロイジアの重要なレパートリーとなり、ウィーンでも人気の曲となった。

『オリンピアデ』の内容は、男女の双子の父となったシチオーネの王クリステーネは神託により女児を残し、男児を腹心の部下アルカンドロに捨てさせたが、アルカンドロは哀れに思い、知人に預けた。 その子は成長してクレタ王の王子となり、クリステーネが主宰するオリンピア競技に出場するが、王子は代理を立てて勝利した。 その罪を問われて王子はクリステーネ王の前に引き出されるが、その姿を見て、王は不思議な感情に襲われ、アルカンドロにその心情を伝える。

このアリアのテクストは、男性の口で歌われてこそ、はじめて意味を得る。 クリステーネ王は一人の見知らぬ男の姿を見るが、実はそれこそ死んだと信じられている息子なのである。 そして王は、思わず知らずのうちに自分を捉える共感の異常な感情を覚えるのである。 モーツァルトにおいては、このテクストが恋の告白に変る。
[アインシュタイン] p.493

〔詩〕
Recitativo
Alecandro, lo confesso,
Stupisco di me stessa. Il volto, il ciglio,
La voce di costui nel cor mi desta
Un palpito improvviso,
Che lo risente in ogni fibra il sangue.
Fra tutti i miei pensieri
La cagion ne ricerco, e non la trovo.
Che sarà, giusti dei! Questo ch'io provo?
レチタティーヴォ
アルカンドロよ、私はそれを告白する
私は驚いている。その者の顔、その目、
その声は私の心を燃え立たせる
Aria
Non so d'onde viene
Quel tenero affetto,
Quel moto che ignote
Mi nasce nel petto,
Quel gel che le vene
Scorrendo mi va.
Nel seno a destarmi
Sì fieri contrasti
Non parmi che basti
La sola pietà.
アリア
どこから来たか、わたしは知らない、
あの優しい愛慕の思いが、
わが胸をはからずも満たすあの興奮、
わが血脈を走りめぐるあの寒気が。
これほど激しい相克を
わが胸のうちに呼びおこすには、
わたしはこう思われる、
普通の同情では事足るまい。

両者の楽譜の比較がR.L.マーシャル著『モーツァルトは語る』(pp.40-41)にある。 詳しい比較については、Stefan Kunzeの論文(Analecta Musicologica, 1965)があるという。

〔演奏〕
CD [POCL-2665] t=8'55
ラーキ (S), フィッシャー指揮ウィーンCO
CD [GLOSSA GCD 921104] t=10'27
シーデン (S), ブリュッヘン指揮18世紀オーケストラ
1998
CD [Brilliant Classics 93408/1] t=9'24
Francine van der Heyden (S), European Sinfonietta, Ed Spanjaard (cond)
2002年8月、オランダ、ハーグ

〔動画〕

 

〔参考文献〕

 

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2013/06/23
Mozart con grazia