Mozart con grazia > なんでも手帳(ハンディ索引) > モーツァルトの弟子
 
モーツァルトは自分の演奏と作曲だけに専念し自由気ままに生きた天才ではなく、ピアノ教師としてあるいは作曲指導の優れた教育者でもあった。 ピアノの弟子(生徒)はたくさんいるが、音楽家として名が知られた人物は以下の通りである。
 

Franz Jacob Freistädtler

1761 - 1841

彼がモーツァルトに師事したときの練習帳が残っている。また、レクイエムの作曲を手伝ったことも知られている。

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Thomas Attwood

1765年11月23日(洗礼)ロンドンで生れ、1838年3月24日ロンドンで没。

1783-85年ナポリで音楽を学び、1785年8月から1787年2月までモーツァルトの弟子。 イギリスに帰国して、1793年に結婚。1796年セント・ポール寺院のオルガニストになった。 王室礼拝堂の作曲家として教会音楽を残した。 モーツァルトにロンドンへの演奏旅行を勧めたりもしたが、実現しなかった。

マイケル・ケリーの回想録の中で、モーツァルトは彼について「非常に礼儀正しい。これまでのどの弟子よりも僕のスタイルに近いものをもっているので嬉しくなる。 彼は本物の音楽家であることをいずれ証すに違いないと予言する」と語っている。

メンデルスゾーンとも親交があった。

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Franz Xaver Suessmayr

1766年シュヴァーネンシュタットで生れ、1803年9月17日ウィーンで没。

父に音楽の手ほどきを受け、1779〜84年クレムスミュンスター修道院で学ぶ。 1787年秋、その地を離れるまで、アルトとテノールの歌手として、またヴァイオリンとオルガンの奏者として活動していた。

1788年7月、同じ修道院にいたフォーグル(Johann Michael Vogl, 1768 - 1840)とともにウィーンに移住した。

1790年頃、モーツァルトの弟子となり、作曲の手伝いや写譜をしたり、コンスタンツェの療養の世話をしていた。

師の死後はサリエリの弟子になった。 1794年、ウィーン宮廷劇場ドイツ語オペラの楽長に就任。約30曲の舞台作品があるという。 しかし何といっても、彼の最大の仕事は師の「レクイエム」補筆完成である。

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モーツァルトの死後ジュスマイヤーがサリエリの弟子になったことを悪く言う必要はない。 サリエリにモーツァルトほどの才能がなかったにもかかわらず宮廷音楽界の中心にあり、その当時のオペラ作家として最高の名声を博していたことは事実である。 そしてモーツァルトの作品の発表を妨害したことも。 モーツァルトの手紙にはそんな不満も確かに書かれてある。 しかし実際には二人は決して不倶戴天の敵同士ではなかった。 親しく交際していたし、モーツァルトの死後はサリエリは彼の息子たちの面倒を見た。

ジュスマイヤーの作品
CD[Camerata 30CM-469]
オーボエ五重奏曲 ニ長調
インデアミューレ (ob), ウィーン・フィルハーモニア弦楽三重奏団
1997年

 


Johann Nepomuk Hummel

1778年11月14日スロヴァキアのブラチスラヴァ(当時プレスブルク)で生れ、1837年10月17日ワイマールで没。

1786-88年まで、モーツァルトの家に住み込んで教えを受けた。 師の死後、アルブレヒツベルガー、サリエリ、J.ハイドンに教えを受けた。 1804-11年の間、ハイドンの後任としてエステルハージ侯の楽長を務めた。 また、ピアニストとしても有名となり、ベートーヴェンと並び称されるほどになった。 晩年にはモーツァルト伝を書き、そしてワイマールで59歳の生涯を閉じる際には、モーツァルトの「レクイエム」で葬儀が行われたという。

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フンメルの作品
CD[MVCR-186]
トランペット協奏曲 変ホ長調
サンドヴァール (tp), ハーザ指揮ロンドン交響楽団
1993年
CD[CHANDOS CHAN-9656]
ファゴット協奏曲ヘ長調 W23
ポポフ (fg), ポリャンスキ指揮ロシア国立交響楽団
1998年
CD[Teldec WPCS-11406]
ファゴット協奏曲ヘ長調
ナカリャコフ (tp), ソンデスキス指揮リトアニア室内管
2002年
※トランペットによる演奏

 



 
2009/02/15
Mozart con grazia