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1782年7月にセレナードとして書かれた。 この年の夏、ザルツブルクのハフナー家が貴族に列せられることになり、その祝祭用セレナードの作曲を父を通して依頼された。 この年の夏、ウィーンで一人立ちしようと決心したモーツァルトの方は多忙を極め、7月16日のブルク劇場でのオペラ「後宮からの誘拐」初演、さらに26日には3回目の上演があった。 そのため、7月27日の手紙で父へ
最初のアレグロしかお目にかけないので、びっくりなさるでしょう。 でも、ほかに仕様がなかったのです。 急いで夜曲を一つ、といってもただの吹奏楽用に(さもなければお父さんのために使えたでしょうが)、書かなければならなかったので。 31日の水曜日に二つのメヌエットとアンダンテと終曲を−−できれば行進曲も−−お送りします。と書いている。 ここで「アレグロ」とか「二つのメヌエットとアンダンテ」などと書いているのは、「ハフナー・シンフォニー」K.385のことである。 また、「夜曲」とはセレナード 第12番 ハ短調 「ナハトムジーク」K.388である。柴田治三郎「モーツァルトの手紙(下)」岩波文庫 p.64
その後、楽譜をウィーンへ送り返してもらい、1783年3月にシンフォニーに改作した。 自筆譜はアメリカのある個人が所有し、長い間閲覧できなかったが、その後ニューヨークの国立オーケストラ協会の所有となり、1968年に復刻された。 それによると、ザルツブルクへ大急ぎで送ったセレナードの楽譜の空いた部分にフルートとクラリネットのパートを書き加えている。 アンダンテをはさんで、メヌエットが2つあったはずであり、そのうちの1つは改作のとき切り捨てたが、それが紛失してしまったのでセレナードの復元は不可能となった。 ただし、当時はメヌエット第1といえば「メヌエット」であり、メヌエット第2は「トリオ」を意味していたらしく、メヌエットは2つでなく、この曲に含まれている1つのみであるという説(ザスロー)もある。
初演は1783年3月23日の予約演奏会で。 なお、ほかにも旧作のシンフォニーを6つウィーンへ送ってくれるよう父に頼んでいるので、この頃の音楽会で序曲として使うつもりだったらしい。
■演奏
■参考
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