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レクイエム ニ短調 (未完)
K.626
Requiem in D minor for 4 voices, 2 violins, viola, 2 basset horns, 2 bassoons, 3 trombones, 2 trumpets, timpani, bass, organ
- 入祭文 Introitus
- Requiem aeternam 永遠の安息を与え給え Adagio ニ短調
- Kyrie 主よ、憐れみ給え Allegro ニ短調
- 続唱 Sequenz
- Dies irae かの日こそ怒りの日なり Allegro assai ニ短調
- Tuba mirum 妙なるラッパの響きにて Andante 変ロ長調
- Rex tremendae 仰ぐもかしこき御霊威の大王 Grave ト短調
- Recordare 慈悲深きイエズスよ Andante ヘ長調
- Confutatis 呪われし者を愧服せしめて Andante イ短調
- Lacrimosa かの日や涙の日なるかな Larghetto ニ短調
- 奉献唱 Offertorium
- Domine Jesu 主イエス・キリスト Andante ト短調
- Hostias いけにえと祈りを主に捧げん Andante 変ホ長調
- Sanctus 聖なるかな、万軍の天主なる主 Adagio ニ長調
- Benedictus 主のみ名によりて来たれる者は Andante 変ロ長調
- Agnus dei 世の罪を除きたもう神の子羊 Larghetto ニ短調
- 聖体拝領誦 Communio
- Lux aeterna 主よ永遠の光を彼らの上に照らし給え Adagio ニ短調
[ 作曲 ] 1791年7月〜死 ウィーン
モーツァルト自身の手で完成したのは冒頭の「入祭文」だけであり、あとは補筆である。
第1曲「入祭文レクイエム」は仕上がっていたが、次の「キリエ」は低音部、トランペットとティンパニ部が空白。
そのあとは、おもな旋律や主題を含むパートがスケッチとして残されただけ。そして有名な「涙の日」の最初の8小節で途切れた。
10月8日の手紙で「作曲に専念し、夜の1時半まで書いていた。昼食のあとすぐ帰宅して、オペラ(魔笛)に行くまでの時間にまた書き続けた」と、バーデンで保養中のコンスタンツェに伝えている。
モーツァルトの死後、弟子のジュスマイヤーにより完成されたことはよく知られている。
また、作曲依頼者はフォン・ヴァルゼック伯爵で、妻の命日に演奏するためということも。
彼は写譜した後、自分の作品として、1793年12月14日ウィーンのノクシュタット教会で自らの指揮により演奏した。
ただし、スヴィーテン男爵によりそれより早く、1793年1月2日ウィーンのヤーン邸で、モーツァルトの作品として演奏されている。
さらに近年、ワルター・ブラウンアイスによって、モーツァルトの死後すぐ(5日後)ミハエル教会で追悼ミサが行われ、弟子フライシュテットラーの補筆により「入祭文」と「キリエ」が演奏されたことが分かった。
cf : 海老沢著「モーツァルトは宇宙」(音楽の友社 1990) pp.245-268
cf : 海老沢敏「モーツァルトは祭」(〃 1994) pp.130-158
ジュスマイヤーの補筆に対してその稚拙さや非モーツァルト的書法から不満が噴出し、1971年ドイツのヴィオラ奏者バイヤーにより修正版が出た。
それより以前に1965年ウィーンの研究家ノヴァクにより総譜が編集され、第1巻は未完のままのもの、第2巻はアイブラーとジュスマイヤーによる補筆完成版となっていた。
そしてこの刊行後きびしい「レクイエム論争」が続けられていた。この曲に筆を入れた人物をリストすると以下のようになる。
- フランツ・ヤコブ・フライシュテットラー (1761-1841)
モーツァルトの弟子で、「キリエ」のオーケストレーションをかなり担当した。それがモーツァルトの死後すぐ、1791年12月10日に、追悼ミサで用いられたらしい。
- ヨーゼフ・レオポルト・アイブラー (1765-1846)
ハイドンの弟子で、師の死後コンスタンツェから曲の完成を依頼され、自筆譜に直接書き込んで「セクエンツィア」のオーケストレーションを行った。
未完の「ラクリモーサ」には手をつけられずに投げ出した。
- フランツ・クサヴァー・ジュスマイヤー (1766-1803)
モーツァルトの弟子。コンスタンツェは、アイブラーが投げ出したので、ジュスマイヤーに依頼し直した。
彼はアイブラーのオーケストレーションを書き直し、さらに、「キリエ」と「オッフェルトリウム」のオーケストレーションも行い、「ラクリモーサ」を完成させ、
「サンクトゥス」以下を創作した。
- フランツ・バイヤー
ミュンヘン大学教授で、ジュスマイヤーの補筆を根本的に見直し、洗練された作曲技法による版を1980年に出版した。
- リチャード・モンダー
イギリスの研究家。ジュスマイヤーの補筆部分を切り捨て、ジュスマイヤーの手に渡らなかったモーツァルトのスケッチをもとに「ラクリモーサ」をまったく新しく書き直し、1988年に出版した。
- ロビンズ・ランドン
しかしそれは行き過ぎとして、「セクエンツィア」はアイブラーの補完を採用し、「ラクリモーサ」以下はジュスマイヤーのものを、というように同時代の補筆を尊重した版を1990年に出した。
- ロバート・レヴィン
アメリカの音楽学者、ピアニスト。1991年「シュトゥットガルト・ヨーロッパ音楽祭」で演奏。
どれにしても(たとえ稚拙といわれるジュスマイヤーのものにしても)死者モーツァルトのレクイエムとして強く心を打つものがある。
未完成ながらすべての部分が彼自身の手になる「ハ短調ミサ曲」のように未完のまま残った方が良かった(オカール)という意見も多くある。
モーツァルトは晩年にバッハやヘンデルの作品と出会ったことで、バロック様式の伝統に回帰する傾向を見せたことはよく知られている。
それはまた作品を弟子たちとの共同制作で仕上げることも可能にした。弟子たちが師の示す骨格の上に伝統的な技法によって肉付けすることはバロック時代の伝統的なやり方だった。
たとえばオペラ「ティト」のオーケストレーションを弟子ジュスマイヤーが行ったように、この曲もまた同じように作られようとしていた。
「キリエ」の部分では、師モーツァルトが合唱と通奏低音を書き、トランペットとティンパニはジュスマイヤーが、ほかはフライシュテットラーが書いた。
「セクエンツィア」以下も同様で、管弦楽パートには師はスケッチを残すだけだった。したがってモーツァルトの早すぎる死だけがこの曲の補筆を促したのではない。
彼はこの曲を自分自身の死のためにと意識していただろうが、バロックの伝統に従って技量のある職人集団が師の指示のもと共同で一つの作品を仕上げるというやり方のお陰で、
個人的な問題を超越して「普遍的な本質に迫る作品」となったという見方がある。
- 1958年3月13日、シュターダー Maria Stader (S), フォレスター Maureen Forrester (A), ロイド David LLoyd (T), エーデルマン Otto Edelmann (Bs), ワルター指揮シカゴSO & Cho
CD [KING K30Y 310] t=57'43 ; ライブ
- 1965年、アメリンク Elly Ameling (S), ホーン Marilyn Horne (A), ベネルリ Ugo Benelli (T), フランク Tugomir Franc (Bs), ケルテス指揮ウィーンPO, ウィーン歌劇場Cho
CD [KING 223E 1127] t=53'09 ; ウィーン、ソフィエンザール
- 1971年、マティス Edith Mathis (S), ハマリ Julia Hamari (A), オフマン Wiestaw Ochman (T), リッダーブッシュ Karl Ridderbusch (Bs), ベーム指揮ウィーンPO, ウィーン歌劇場Cho
CD [CLASSIC CC-1066] t=64'26
- 1984年、ヴィーンス (S), シュレッケンバッハ (A), バルディン (T), ファウルスティッヒ (Bs), グロノスタイベルリン放送SO, 指揮リアス室内Cho
CD [COCO-78063] t=48'39
- 1986年3月27〜29日、アリオット・ルガズ Colette Alliot-Lugaz (S), ヴィス Dominique Visse (count T), ヒル Martyn Hill (T), ラインハート Gregory Reinhart (Bs), マルゴワール指揮、レジオナル・ノール・パ・ドゥ・カレーCho
CD [SONY SRCR-8893] t=45'30 ; フランス、クレ・ドゥト・スタジオ
- 1986年9月22〜24日、ボニー Barbara Bonney (S), オッター Anne-Sofie von Otter (A), ブロホヴィッツ Hans Peter Blochwitz (T), ホワイト Willard White (Bs), モンテヴェルディCho, アディソン Susan Addison (tb), イギリス・バロックO, ガーディナー指揮
CD [PHILIPS PHCP-3597] t=46'19 ; ロンドン、セントジョンズ・チャーチ
- 1989年10月、シュリック Barbara Schlick (S), ワトキンソン Carolyn Watkinson (A), プレガーディエン Christoph Pregardien (T), デル・カンプ Harry van der Kamp (Bs), オランダ・バッハ協会Cho, コープマン指揮アムステルダム・バロック
CD [WPCC-3279] t=46'48 ; ユトレヒトでのライブ
- 1991年12月5日、ボニー Barbara Bonney (S), フォン・オッター Anne Sofie von Otter (Ms), ジョンソン Anthony Rolfe Johnson (T), マイルズ Alastair Miles (Bs),
モンテヴェルディCho, ガーディナー指揮イギリス・バロック管弦楽団
LD [PHILIPS PHLP-9048] t=49'26
※ 没後200年を記念してバロセロナのカタルーニヤ音楽堂で行なわれたライブ映像
- 1993年、ウィーン少年Cho, グロスマン指揮ウィーン・コンサートハウス・オーケストラ
CD [PILZ 44-9274-2] t=53'33
- 2001年5月、 Iride Martinez (S), Monica Groop (A), Steve Davislim (T), Kwangchul Youn (B), Chorus Musicus Koeln, Das Neue Orchester, シュペリンク Christoph Spering 指揮
CD [Opus111 OP 30307] t=50'01 ; ケルン、Sendesaal Deutschlandfunk
※ 全曲のほかに9曲の自筆断片(
Dies irae [t=1'47], Tuba mirum [t=2'57], Rex tremendae [t=1'38], Recordare [t=6'09], Confutatis [t=2'28], Lacrimosa [t=0'50], Domine Jesu [t=3'17], Hostias [t=3'45], Amen [t=0'26]
)を含む。
【バイヤー版】
- 1981年10月30日〜11月3日、ヤカール Rachel Yakar (S), ヴェンケル Ortrun Wenkel (A), エクヴィルツ Kurt Equiluz (T), ホル Robert Holl (Bs), アーノンクール指揮ウィーン・コンツェルトゥス・ムジクス、ウィーン歌劇場Cho
CD [TELDEC 30P2-2225] t=48'24
- 1986年10月6日、シュミットヒューセン Ingrid Schmithusen (S), パトリアス Catherine Patriasz (A), マッキー Neil Mackie (T), ヘーレ Mathias Hoelle (Bs), オランダ室内Cho, シギスヴァルト・クイケン指揮ラ・プティット・バンド
CD [KICC-33] t=52'13 ; ベルギー放送協会大ホール
【モンダー版】
- 1983年9月、カークビー Emma Kirkby (S), ワトキンソン Carolyn Watkinson (A), ジョンソン Anthony Rolfe Johnson (T), トーマス David Thomas (Bs), ホグウッド指揮AAM & Cho
CD [POCL-2510] t=43'13 ; ロンドン、キングズウェイ・ホール
【ランドン版】
- 1991年12月5日、オジェー Arleen Auger (S), バルトリ Cecilia Bartoli (Ms), コール Vinson Cole (T), パーペ Rene Pape (Bs),
ウィーン国立歌劇場Cho, ショルティ指揮ウィーン・フィル
LD [LONDON POLL-9040] t=93 (儀式含む)
※ 没後200年を記念して行なわれたウィーン聖シュテファン大聖堂におけるライブ映像。ミサ・儀式も含む。
【編曲版】
[Home|Top] 2002/09/29