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オペラ Opera Part 2




K.111 劇場セレナータ「アルバのアスカニオ」

序曲と2幕33曲
Ascanio in Alba. Serenata teatrale in due atti

1771年、二つの大きな劇音楽が作られた。一つは、オラトリオ「救われしベトゥーリア」であり、もう一つは劇場セレナータ「アルバのアスカニオ」である。

編成:fl*2, ob*2, fg*2, hr*2, tp*2, timp, vn*2, va, vc, bs (第19曲でhr*4)
[ 71年8月21日〜9月23日 ミラノ ] A.G.パリーニ詞。1769年12月から1771年3月までのイタリア旅行で大成功を納めたので、ウィーン王室マリア・テレジア女帝の皇子フェルディナンド大公とモデナのベアトリーチェ王女の婚儀のために 祝祭オペラの注文を、高名な老作曲家ハッセとともに受ける光栄を得た。作曲依頼は3月末、台本は8月31日に受取り、すぐに作曲にとりかかった。 初演は10月15日の婚礼の翌々日に行われ、老ハッセのオペラ「ルッジェロ」を完全に食ってしまった。 ハッセは「この子は今に我々みんなを忘れさせてしまうだろう」と予言したという。 短い序曲の後、幕が開くと3人の女神のバレエ場面となる。続いてアレグロとなり、精霊たちが加わる。
rem : 野口秀夫氏の論文「アルバのアスカーニオのバレエ音楽 K.111再現の試み」1998
序曲と第1曲アンダンテを取り出し、フィナーレK.120を足してシンフォニーとした。

K.126 劇的セレナータ 「シピオーネの夢」

1幕12曲
Il sogno di Scipione. Serenata drammatica in 1 act; overture and 12 numbers.
編成:fl*2, ob*2, fg*2, hr*2, tp*2, timp, vn*2, va*2, vc, bs
[ 71年3〜8月 ザルツブルク ] メタスタージオ詞。その詩は1735年カール6世の誕生日を祝って書かれた。 1772年1月に予定されていた大司教シュラテンバッハ在位50周年記念のために上記時期に作ったが、突然の死によりそれをヒエロニムス・コロレド伯の大司教新任祝典のために書き直した。 5月初に初演。序曲はシンフォニーK.141aとなる。

あらすじ


K.135 オペラ・セリア 「ルチオ・シラ」

3幕23曲
Lucio Silla. Dramma per musica in tre atti; overture and 23 numbers.
編成:fl*2, ob*2, fg*2, hr*2, tp*2, timp, vn*2, va*2, vc, bs, 通奏低音
[ 72年10月〜12月 ザルツブルク、ミラノ ] ジョヴァンニ・ダ・ガメルラ Giovanni de Gamerra 詞。2年前のイタリア旅行のとき、1773年のカーニヴァル用として、このオペラの作曲を委嘱されていた。 当時ジュニア役の名歌手アンナ・デ・アミーチスのために全力投入したといわれる。 ジュニアが追放された恋人チェチリオと、父の墓場で、死の危険をもかえりみず出会う場面の二重唱や、ジュニアがローマ市民や元老院議員の前で独裁者シラを弾劾するくだりなど、魅力的なドラマ。

初演は12月26日に行われた。そのとき、フェルディナンド大公の遅刻のために開演が3時間も遅れたり、テノールの歌手の交代などがあったり、事故続出だったが、公演は大成功で、引続き20回も上演された。 ただし、このオペラに対する後世の評価は良くない。しかしオカールは「交響曲の分野で研究したばかりの経験を劇場に導入することができた。 ことに「墓場」の場面では調子が深刻になり、「イドメネオ」や「ティト」の最も美しい瞬間の芽生えを感じる」と評価。

序曲から作られたシンフォニーがある。


K.196 オペラ・ブッファ「偽の女庭師」

La finta giardiniera. Opera buffa in 3 acts.
編成:fl*2, ob*2, fg*2, hr*2, tp*2, timp, vn*2, va*2, bs(hc,vc、レチタティーヴォでの伴奏)
[ 74年9月〜75年1月 ザルツブルク、ミュンヘン ] イタリア語の原典はラニエロ・デ・カルツァビージ Raniero de Calzabigi 詞、マルコ・コルテリーニ Marco Coltellini 改訂という説があるが、新全集ではジュゼッペ・ペトロセリーニ Giuseppe Petrosellini?としている。

イタリアからのオペラ作曲依頼は1772年の「ルチオ・シラ」以後なく、その後モーツァルトはウィーンの宮廷との接触をはかっていた。 1774年9月ミュンヘンの選帝侯マクシミリアン3世から作曲を依頼され、同年12月に初演の予定だったが、年を越して1月13日ザルヴァートル劇場 Salvatortheater で初演された。 後にドイツ語のジングシュピールに書き直し(シャハトナーが翻訳)1780年アウクスブルクで上演した。その際、第19、21、22、27曲のレチタティーヴォをドイツ語用に書き直した。 新全集ではそのドイツ語の表題を、第3幕フィナーレの合唱直前にヴィオランテが歌う "la finta giardiniera per amore" のドイツ語訳から「愛ゆえの女庭師 "Die Gartnerin aus Liebe"」とした。 後に序曲を加筆しシンフォニーK.207aを作った。

あらすじ


K.208 祝典劇「イル・レ・パストーレ(羊飼の王様)」

序曲と2幕14曲
Il re pastore. Dramma per musica in due atti; overture and 14 numbers.
編成:fl*2, ob*2 (第10曲 ehr*2), 第12曲 fg*2, hr*2, tp*2, vn*2, va*2, vc, bs
[ 75年4月23日前 ザルツブルク ] メタスタージオ詞。ザルツブルク大司教の依頼。 4月23日、女帝マリア・テレジアの皇子マクシミリアン・フランツ大公のザルツブルク訪問を記念して初演された。 この曲は劇場用セレナータ(演奏会形式のオペラ)と呼ばれるジャンルに属する。 オペラ劇場のないザルツブルクでは、本格的なオペラは上演できなかった。 それで宮廷の一室を劇場に見立てて、歌手がそれらしい格好で、簡単な身振りをつけて歌う軽いオペラが上演された。 観客も役者もステージに見立てた台を囲むようにして周りに座った。 生前に再演された記録はない。自筆譜は第2次大戦中に紛失。 現在は旧ブライトコップ版全集の資料だけ。序曲からシンフォニーK.213cを作った。

あらすじ


K.336b (344) ジングシュピール「ツァイーデ」

2幕15曲(未完)
Zaide. Singspiel in two acts
編成:fl*2, ob*2, fg*2, hr*2, tp*2, timp, vn*2, va*2, vc, bs
[ 79年〜80年 ザルツブルク ] 原作はセバスチアーニ F.J. Sebastiani。J.A.シャハトナー編作。ザルツブルクに来演中のベーム劇団のために。現存する草稿は2幕15曲までで未完成。生前に演奏されたか不明。 モーツァルトの死後、残された楽譜の中から1799年に発見された。序曲もなく、タイトルも不明。 「ツァイーデ」とはこのオペラの女主人公の名による仮称で、正式なタイトルではない。 前曲K.345が「魔笛」の、そしてこれは「後宮からの逃走」の先行作と見られている。

あらすじ


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