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ピアノのためのメヌエット K.2

〔作曲〕 1762年1月 ザルツブルク
1762年1月




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よく知られているように父レオポルトは娘ナンネルのクラヴサン(チェンバロ)練習用に40曲以上の小曲からなる『ナンネルの楽譜帳』を編集している。 それはナンネルが7才の1759年6月のことであった。 レオポルトは弟ヴォルフガングにも遊びのつもりでその『楽譜帳』を使ったところ、1760年から61年にかけてまたたく間に演奏できるようになった。 中にはたった30分で習得した曲もあったほどである。 しかも「誤ることなく、こうえなく綺麗に、拍子もきわめて正確に弾いた」といわれている。 それだけでなく、みずから作曲するようになり、レオポルトはそれを『楽譜帳』の余白に書き込んだので、モーツァルトの最初期の作品が後世に残ることになった。 6才の少年が書いた、ヘ長調、24小節、三部形式(中間はト短調)のこの小曲は上記の日付でレオポルトの手で書き残されたものである。


(譜例は下に紹介した動画からコピーしたもの)
『楽譜帳』はもともと48葉(96ページ)からなっていたが、のちにナンネルが一部ページを人にあげてしまったので、残念なことに完全な形では残っていなく、現存するのは36葉だという。 失われた12葉のうち8葉はバラバラに保存先が知られその存在がわかっているが、他の行方は不明。 ザルツブルクのモーツァルテウムは筆写楽譜帳を所有しているという。
1759年7月






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そもそもその『楽譜帳』は父レオポルトが娘ナンネルの8才の誕生日(1759年7月30日か31日、あるいは霊名の祝日の7月26日)にプレゼントしたものであり、その大切な贈物に弟の曲を書き込まれたときの心境はどうだったか? のちに彼女が弟の曲を含むページを切り取って人にあげてしまったことを「不幸なことに」と評しがちであるが、父が自分のために作ってくれた『楽譜帳』を彼女が生涯手離さなかったことから彼女がいかに大切に思っていたかがわかるだけに、むしろレオポルトが(無神経にも)書き込んでしまったことの方が「不幸なことに」と言うべきであろう。
 


『ナンネルの楽譜帳』 Nannerl Notenbuch
 
このことに限らず、父レオポルトの愛情・関心はますます弟ヴォルフガングの方へ偏っていき、姉ナンネルはその陰で忘れ去られていく。 しかし老いた父親の面倒を最後までみたのは娘の方であった。 ナンネルが結婚し(1784年8月23日)、ザルツブルクに(愛犬さえも失って)ひとり残った老父(65才)が今さらながらに嘆いている。
(1784年9月3日、娘へ)
私は、ほんとにいま、まったく独りきりで、8部屋に囲まれ、本当に死の静寂のなかにいます。 昼間はなんでもないのだが、でも、この手紙を書いている夜はかなり寂しい。 せめて犬の唸り声や吠え声だけでも、聞くことができればいいのだが。
[書簡全集 V] p.534
余談であるが、この小曲が書かれた1762年の9月18日モーツァルト一家はウィーンへ出発。 ザルツブルクからパッサウまでは馬車で、そこから船に乗り継いでリンツに到着。 リンツの貴族の前で演奏し、評判となった。 それから10月6日にようやくウィーン到着。 13日、シェーンブルン宮殿で、女帝マリア・テレージアや皇帝フランツ1世の御前演奏をはたし、神童の評判を高めた。 そして15日、女帝から大礼服を賜った。 1762年10月19日、ウィーンからレオポルトはザルツブルクの家主ハーゲナウアーに次のように伝えている。
ヴォーフェルの衣服がどんなにみえるか知りたいでしょうか? 藤色のすばらしく立派な織物のもので、胴衣はおなじ色の波紋絹布で、上衣とチョッキは金モールで幅広く、二重に縁づけしてあります。 これはマクシミーリアーン皇子のために作られたものです。
[書簡全集 I] p.35
このとき姉も同様に貴族の衣裳を賜り、レオポルトは次のように続けている。
ナンネルの洋服はさる皇女さまの宮中服です。 これはいろいろな種類の縁縫いをもった、白い錦模様の琥珀織りです。 残念なのは、それから作れるのは下着だけなことです。 ただ、胴衣がついています。
右は、ザルツブルクに帰郷後、その晴れ姿をロレンツォーニが描いたもので、モーツァルト博物館に所蔵されている。 人類史上まれにみる天才姉弟の幼少期の姿を「幸運なことに」現在こうして見ることができるのはレオポルトのお陰であり、これには感謝しなければならない。 このあと姉には晩年の肖像画しか残らないが、弟の方はさらに何度も肖像画が描かれる機会に恵まれる。
一方では父親のエゴで婚期の遅れた娘のナナールがいる。 彼女は幼い頃から自分がヴォルフガングという神童の「刺身のツマ」ないしは「つけ合わせ」であることを知っていた。 彼女は弟の演じる神童ショウの永遠の脇役なのであった。 このことは長じてからも心のトラウマとして残り、33歳で結婚してからは弟と完全に縁を切ってしまった。
[石井] p.310

ロレンツォーニ(Pietro Antonio Lorenzoni, 1721?-82)はザルツブルク在住の画家で、1765年に父レオポルトの肖像も描いたといわれている。 また、彼の弟子デラ・クローチェ(Johann Nepomuk della Croce)は1780年にモーツァルト一家(ただしそのとき母アンナ・マリアは亡くなっていた)の絵を描いた。

〔演奏〕
CD [EMI TOCE-11557] t=0'46
ギーゼキング Walter Gieseking (p)
1953年4月
モノラル録音(1956年モーツァルト生誕200年祭のために)
CD [PHILIPS PHCP-3594] t=0'54
スミス Erik Smith (hc)
1976年、ロンドン
CD [PHILIPS 32CD-3120] t=0'58
ヘブラー Ingrid Haebler (p)
1977年8月、アムステルダム、コンセルトヘボウ
CD [MEISTER MUSIC MM-1020] t=0'53
岩井美子 (p)
1996年1月、伊勢原市民文化会館

〔動画〕
[http://www.youtube.com/watch?v=oNlfUVdkOM4] t=1'04
K.2 から K.5b まで6曲含まれている動画(全体で10分42秒)の 0:21 から 1:25 までの間
演奏不明

〔参考文献〕

 

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2012/01/15
Mozart con grazia