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交響曲 第5番 変ロ長調 K.22

  1. Allegro 変ロ長調 4/4 ソナタ形式
  2. Andante ト短調 2/4 三部形式
  3. Allegro molto 変ロ長調 3/8 ロンド形式
〔編成〕 2 ob, 2 hr, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1765年12月末 ハーグ
1765年12月






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レオポルトの写譜には、1765年12月完成とあるが、この頃ヴォルフガングは重症だったので、そんなときに作曲できたとは驚きである。
モーツァルト一家の3年半にも及ぶ西方への大旅行から帰途についたとき、オランダのハーグ(デン・ハーク)で姉と弟が相次いで重い病気にかかった。 レオポルトはザルツブルクの家主ハーゲナウアーに書き送っている。

1765年12月12日
私どもは、ありがたいことに、一同生きております。
(中略)
娘がベッドを離れて一週間、そしてひとりで部屋の床を歩き慣れたか慣れないうちに、11月15日、ヴォルフガングが病気に襲われまして、彼は4週間というもの、この病気のためにまことに惨めな状態におちいり、まったく意識がなくなったばかりか、柔らかな皮と小ちゃな骨骸のほかなんにもなくなったほどでした。
[書簡全集 I] p.249
少年モーツァルトはなんとか一命をとりとめ、レオポルトの記載によれば年末にこのシンフォニーを完成させた。 年が明けて1月22日当地で行われた姉弟の第2回音楽会でこの曲を(少年モーツァルトの指揮で)演奏したと思われ、ザスローはそのために作曲されたことはほとんど確実であると言っている。 1月26日頃には一家はアムステルダムに移動し、29日に乗馬学校で同じプログラムによる音楽会を催している。

ロンドンのシンフォニー群からほぼ1年後の作品。 曲の形や作り方は同じようでも、内容にはかなり差があり、はるかに感情表現が豊かで、技術の進歩が見られる。 ザスローは次のように驚嘆している。

アンダンテにおける感情表現の深さは、社交界向けの作品でここまでやってよいのか、と思われるほどである。 このためフィナーレは、別の方向へと傾斜することによって軌道修正を図る。
[全作品事典] p.213

〔演奏〕
CD [ポリドール FOOL-20360] t=6'30
ホグウッド指揮 Christopher Hogwood (cond), エンシェント室内管弦楽団 Academy of Ancient Music
1978年頃、ロンドン
CD [COCO-78044] t=6'50
グラーフ指揮 Hans Graf (cond), ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団 Salzburg Mozarteum Orchestra
1988年頃
CD [BVCD 34019/21] t=6'12
アーノンクール指揮 Nikolaus Harnoncourt (cond), ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス Concentus Musicus Wien
1999~2000年
CD [Membran 203300] t=7'40
Alessandro Arigoni (cond), Orchestra Filarmonica Italiana, Torino
演奏年不明

〔動画〕
[http://www.youtube.com/watch?v=lzicvVsKrRk] t=7'05
演奏不明
[http://www.youtube.com/watch?v=6s_BMoqHvN0] t=9'03
演奏不明

〔参考文献〕

 

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2012/05/06
Mozart con grazia