Mozart con grazia > 舞曲 >
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6つのメヌエット K.104 (61e)

  1. ハ長調 (MH135, P.79 の第1曲)
  2. ヘ長調 (MH135, P.79 の第3曲)
  3. ハ長調 (MH.deest, P.deest の第1曲 / トリオは MH136, P.deest の第1曲のトリオ)
  4. イ長調 (MH.deest, P.deest の第2曲)
  5. ト長調 (MH.deest, P.deest の第5曲)
  6. ト長調 (MH136, P.deest の第3曲)
〔編成〕 2 ob, 2 hr, 2 tp, picc, 2 vn, vc, bs
〔作曲〕 1771年か72年 ザルツブルク

1769年12月13日、父に連れられて初めてのイタリアへの旅に出たが、1770年3月24日ボローニャからザルツブルクにいる姉ナンネルに

それからハイドンのメヌエットが姉さんのお気に入ったか、今度のが最初のものよりいいかどうかも、書いて下さい。
[手紙(上)] p.11
と手紙に記し、さらに5月19日にはナポリから
ハイドン氏のメヌエットは、もっと暇が出来たら、そちらへお送りします。 第1番は、もう送りました。
・・・(略)・・・
姉さんが送ってくれたハイドンのメヌエット第12番はとても気に入りました。 姉さんがつけたバスも比べるものがないくらいうまくて、少しのミスもありません。 こういうものを時々やってみるよう、おねがいします。
同書 pp.14-15
と書いていることから、この頃(14歳の)モーツァルトは先輩ハイドン(1770年当時37歳)の作品を熱心に研究し、その作品を手本に編曲の練習をしていたことがうかがわれる。 そんな中からこの曲は生まれたのだろう。 すなわち、この曲はハイドンの「12のメヌエット MH135 (P.79)」、「6つのメヌエット MH.deest (P.deest)」、「12のメヌエット MH136 (P.deest)」から抜粋して編曲したもであることが知られている。 さらに、上の手紙の内容から、編曲したのはモーツァルトひとりとは限らないかもしれない。 どこかに姉ナンネル(1771年当時20歳)の手になる編曲が含まれていても不思議ではない。

〔注〕 MH はシャーマン・チャーチル番号(1993年)、P はペルガー番号(1907年)、また deest は番号なし。

第4を除く5曲はトリオつき。 ピッコロは第2、第5、第6曲のトリオで使われる。 これはモーツァルトの舞曲で初めての試み。 イタリア旅行で身につけた新たな作曲書法をさっそくハイドンの作品を使って試し、(モーツァルトにとって試作=傑作はよくあることだが)イタリアの青い空のように澄みきったメヌエットに仕立ててしまったと言える。 従来は1769年の作とされて、K.61e という番号で位置付けられていた。 しかし、その後は 1770年から1771年の間と推定されている。 第3曲のトリオの元となったハイドンの「12のメヌエット MH136 (P.deest)」の第1曲トリオは K.61g の第2曲トリオとしても使われている。

〔演奏〕
CD [キング KICC 6039-46] t=10'30
ボスコフスキー指揮 Willi Boskovsky (cond), ウィーン・モーツァルト合唱団 Vienna Mozart Ensemble
1964-65年

〔動画〕

〔参考文献〕

 

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2013/08/25
Mozart con grazia