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モテット「エクスルターテ・ユビラーテ」 K.165 (158a)

    「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」

  1. Allegro ヘ長調 4/4 ソナタ形式
  2. Andante イ長調  3/4 ソナタ形式
  3. Allegro ヘ長調 2/4 ロンド形式
〔編成〕 S, 2 ob, 2 hr, 2 vn, 2 va, bs, og
〔作曲〕 1773年1月16日 ミラノ
1773年1月




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前年に作曲したオペラ『ルチオ・シラ』(K.135)で、主役のチェチーリオ役を努めたカストラートのラウツィーニ(Venancio Rauzzini, 1746?-1810)のために作曲された。 この曲の成立については、3回目のイタリア旅行で滞在先のミラノからザルツブルクへ宛てた手紙に記されている。

1773年1月16日
ぼくはプリモ・ウォーモのためのモテットを一曲書かなくてはなりません。 この曲は明日テアチノ派教会で演奏されます。
[書簡全集 II] p.369
ラウツィーニは『ルチオ・シラ』(1772年12月26日ミラノ初演)出演のため、前年11月にミラノに来ていたのであった。 彼は1766~72年にマンハイムの宮廷劇場第一歌手として活躍していた名男性ソプラノ歌手であり、レオポルトも「すぐれたカストラートだ」と高く評価していたが、モーツァルトが彼のために『ルチオ・シラ』で感動的なアリアをいくつも書き、そしてこの美しいモテットを作曲したことを考えると、彼の力量を認めていたことがわかる。 彼はミラノでオペラ『ルチオ・シラ』出演だけでなく、優れた力量のゆえにさらに別の機会にも恵まれていたようである。
ローマ生まれの当時25歳だった彼は、単にスター的歌手だったばかりでなく、才能あるピアニストであり、同時に作曲家でもあった。 テアチノ教会というのは修道院付属のサンタントーニョ・アバーテ教会のことで、当時のミラノで聖堂付きの聖歌隊をもっていた修道院の一つである。
(中略)
1月17日はテチアノ教会の守護の聖人である聖アントニオの祝日であったし、第2楽章のアンダンテの歌詞「おとめの宝冠、われらに平安を与えたまえ」から見て、「平和の元后聖母マリア」に捧げられた曲だと考えられる。
[ド・ニ] pp.80-81
のちにラウツィーニはロンドンに移り、1774~77年に王立劇場で歌手兼作曲家として活躍、またその後バースに移り、旺盛な音楽活動を続け、その地で1810年4月8日に没した。 余談であるが、ナンシー・ストレースに声楽を教えたこともあったという。

この曲は、17歳になるかならないかという少年の作とは信じがたいほどの傑作であり、古今東西の名曲の一つに数えられているが、それだけにラウツィーニは優れた歌手だったのだろう。 モーツァルトは優れた演奏家あるいは楽器があればその能力に応じた作品を書くことができたのである。 この曲は今日も、「野心的なソプラノ歌手に好んで歌われる」曲(アインシュタイン)として非常によく知られ、また終曲「アレルヤ」が単独で歌われることもよくある。

作品は3楽章から成り、ド・ニによれば、第2楽章の前に短いレチタティーヴォが挿入された「イタリア風シンフォニアの形式(急・緩・急)をもった、独唱とオーケストラのためのカンタータ」である。

中間楽章を導入する短いレチタティーヴォがなければ、この曲はアレグロ、アンダンテ、プレストあるいはヴィヴァーチェの3部を持つミニアトゥール・コンチェルトと異なるところはない。 光輝や優美さにおいて、真のコンチェルトにほとんど劣らない。
[アインシュタイン] p.443
独唱は独奏楽器のようにひたすら美しく旋律を奏でていき、オーケストラはそれを協奏的に支えていく。 三楽章の、まさに独唱協奏曲である。
[海老沢1] p.83

この曲の自筆譜についてはさまざまな版があるようである。 まず本来の自筆譜は第2次世界大戦以後行方不明となり、ザルツブルクに写譜が残るのみであった。 それが、1977年にポーランドでバッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマン、ブルックナーなどの自筆譜が大量に発見され、モーツァルトの作品は100曲を越え、その中にこの曲が見つかったというのである。

ベルリンにある旧プロイセン王立図書館には、第2次世界大戦まで、18世紀および19世紀のドイツの大作曲家たちの自筆楽譜が多数所蔵されていた。 これらの楽譜は、1941年にこの国立図書館が英国空軍機によって爆撃を受け、軽微な損害を蒙ってから、そうした被害を避けるためドイツ各地に疎開されることになった。
[海老沢2] p.69
このような事情で王立図書館にあった資料の一部が安全な東方まで運ばれ、ポーランド(当時ドイツのシュレージエン地方)で眠っていたのであった。 自筆譜の再発見により写譜の間違いが訂正されているという。
一方また、1979年には別の自筆稿が南ドイツのワッサーブルクで見つかった。 それはザルツブルクで演奏された際の自筆譜であり、楽器編成がオーボエでなくフルートとなっているほか、歌詞もいくらか変更がされているという。 この版による演奏→CD [POCL-2537]
さらにまたこれとは別に、ド・ニによれば、チェコのブルーノでこの曲にそっくりのモテット『空や海の風よ、稲光よ、嵐よ』が発見され、現在ブルーノ大学図書館に保存されているという。

〔歌詞〕
ド・ニによれば、歌詞は公式典礼のものではないが、おそらく夕方に行われた盛儀の聖体降福式のためのモテットであったと思われる。
Exsultate, jubilate
o vos' animae beatae,
dulcia cantica canendo,
cantui vestro respondendo,
psallant aethera cum me.
歌え、歓べ、
おお、汝ら祝福された魂よ、
甘き歌を歌いつつ。
汝らの歌に応え、
天もわれに和して歌う。
(Secco Recitative)(セッコ・レチタティーヴォ) 12小節
Fulget amica dies,
jam fugere et nubila et procellae;
exortus est justis inexspectata quies.
Undique obscura regnabat nox,
surgite tandem laeti,
qui timuistis adhuc,
et jucundi aurorae fortunatae
frondes dextera plena et lilia date.
幸先よく陽は輝き、
はや雲も嵐もおさまりぬ。
まさに予期せずして、平安が訪れたり。
暗き夜にあまねく支配されし折、
今こそ起きよ、喜びに充てる人々よ、
汝らこれまで恐れおののきしが、
幸せなる晩に歓びの声をあげ、
右手で緑したたる葉と百合の花を捧げよ。
Ti virginum corona,
tu nobis pacemdona,
tu consolare affectus
unde suspirat cor.
純潔の王冠たる汝よ、
われらに平安を与えたまえ。
いずこにか嘆き悲しむ心あれば
汝こそそれを慰めるべし。
Alleluya. アレルヤ
小林緑訳 CD [Teldec WPCS-22041]

〔演奏〕全曲
CD [Teldec WPCS-22041] t=14'40
ギーベル Agnes Giebel (S), タヘツィ Herbert Tachezi (og), ネボア Josef Nebois (og), ロンネフェルト指揮 Peter Ronnefeld (cond), ウィーン交響楽団 Wiener Symphoniker
1966年頃
CD [ERATO R25E-1011] t=15'06
ハンスマン Rohtraud Hansmann (S), アラン Marie-Claire Alain (og), グシュルバウアー指揮ウィーン・バロック合奏団
1966年
CD [UCCP-4080] t=15'14
テ・カナワ (S), デイヴィス指揮ロンドン交響楽団
1971年4月、ロンドン
CD [POCL-2537] t=13'23
カークビー Emma Kirkby (S), ホグウッド指揮 Academy of Ancient Music
1983年11月
※ 1979年に発見された自筆稿による。
CD [COCO-78064] t=15'35
ガブリエーレ・フックス (S), ヒンライナー指揮カメラータ・アカデミカ
1985年
CD [WPCC-3801] t=14'49
ボニー Barbara Bonney (S), アーノンクール指揮ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス
1988年9月、Casino Zoegernitz, Wien
CD [Campion Records, CAMEO 2003] t=15'10
ラウニヒ Arno Raunig (Sopranist), コベーラ指揮 Amadeus Ensembre Vienna, Wien-Landstrasse Chamber Choir
1989年8月、Bergkirche Wien-Rodaun
CD [PILZ 44-9274-2] t=15'33
ウィーン少年合唱団、カメラータ・アカデミア・ザルツブルク
1993年
CD [CLASSICO CLASSCD 396] t=14'36
Inessa Galante (S), Antonio Piricone (og), Douglas Bostock (cond), Czech Chamber Philharmonic
2001年9月、the historic church of St Wenceslas, Lanskroun, East Bohemia

〔演奏〕アレルヤ
CD [TOCE-1551] t=2'20
アンドレ Maurice Andre (tp), パーカースミス Jane Paker-Smith (og)
1977年5月
※デュファイエ編曲 Jean-Michel Defaye arranged.
CD [BVCF-5003] t=2'58
ニュー・ロンドン・コラール
1984年

〔動画〕

アレルヤ
 

モテット「空や海の風よ、稲光よ、嵐よ」 ト長調 K.deest

  1. アリア (Allegro) "Venti, fulgura, procellae"
    叙唱 "Misera, quod sum ego?"
  2. アリア (Andante grazioso) "Gaude cor meum"
  3. アレルヤ (Allegro)
〔作曲〕 1773年3月6日?

ド・ニによれば、チェコのブルーノでモテット『エクスルターテ・ユビラーテ』(K.165 / 158a)にそっくりのモテット『空や海の風よ、稲光よ、嵐よ』が発見され、現在ブルーノ大学図書館に保存されているという。 表紙には「17・・年3月6日」と記されていて、何回か書き直された作曲年は、1773年、1779年、1780年とも読めるもので、確定できていない。 裏付けとなる資料はないが、1971年8月モーツァルテウムにおいてモーツァルトの真性な作品であると認められた。

この『ヴェンティ・フルグーラ・プロチェーレ』は『エグスルターテ・ユビラーテ』と文字どおり一対幅をなすものなのである。 同じ音楽構成、同じ管弦楽器の用法であり(ただし緩徐楽章において「ヴェンティ」ではオーボエのかわりにフルートを用いてもよい)、速度もほとんど同じである。 最終楽章のアレルヤにいあたっては、どちらも158拍と、拍子の数まで同じになっている。
[ド・ニ] pp.83-84
ド・ニは様々な理由から1773年と1779年を排除したうえ、1773年の作と推定している。 そして彼はまた、このモテット『ヴェンティ・フルグーラ・プロチェーレ』を番号なしの K.deest(または 158b)に置くことを提案している。

〔動画〕


 

〔参考文献〕

 

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2016/08/07
Mozart con grazia