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ディヴェルティメント 第10番 ヘ長調 「ロドロン・セレナード」 K.247

  1. Allegro ヘ長調 4/4
  2. Andante grazioso ハ長調 3/4
  3. Menuetto ヘ長調 (トリオはニ短調)
  4. Adagio 変ロ長調 2/2
  5. Menuetto ヘ長調 (トリオは変ロ長調)
  6. Andante - Allegro assai ヘ長調 2/2
〔編成〕 2 hr, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1776年6月 ザルツブルク
1776年6月





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エルンスト・ロドロン伯爵夫人マリア・アントニア(当時38才)の霊日の祝日にあたる6月13日のために。 5日後の祝事で演奏され、ザルツブルク宮中顧問官シーデンホーフェンの日記に「6月18日に演奏された」こと、また、この曲は「モーツァルトがロドロン伯爵夫人のために作ったものである」ことが書き残されている。 そのため『ロドロン・セレナード』と呼ばれている。 この曲の前後で「行進曲 K.248」が演奏されたと思われる。

新全集の分類では「弦楽器と管楽器のためのディヴェルティメント」に置かれているが、モーツァルト自身は「伯爵夫人のためのカッサシオン」(1777年10月2日ほか)とも言い、父レオポルトは「ロドロン家の夜曲」(1777年12月11日ほか)と言っている。 のちにウィーンに出たモーツァルトはザルツブルクの父にこの曲の写譜を送ってくれるよう求めているが、それを受け取ったことを知らせる手紙(1781年10月24日)の中では「ディヴェルティメント」と書いている。 さらに細かいことにこだわれば、この曲を聴くうえでどうでもよいことではあろうが、1785年8月のウィーンの新聞に掲載された印刷譜の広告では「カッサツィオ」と書かれていて、この作品についてモーツァルト本人は「ディヴェルティメント」というより「カッサシオン」という言う方が感覚的にピッタリしていたようである。

2つのヴァイオリン、2つのホルン、ヴィオラとバスの6重奏曲であるが、アインシュタインは

2本のオブリガート・ホルンを伴う弦楽四重奏曲と呼んでよいものだが、かつて音楽の形式をとった最も純粋なもの、明朗なもの、このうえなく人を幸福にするもの、最も完成されたものに属する。
ザルツブルクばかりでなく、のちのヴィーン時代から見ても、この種の作品の調子と様式をすでに十分完成している。 二つの緩徐楽章の第一の方は『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』(K.525)のロマンツェを予感される。
全体の様式原理は四重奏曲のそれに似ている。 いぜんとして室内楽的であるが、少しコンチェルタントで、《あまり高い要求はない》。 そしてそれゆえにいっそう明朗、快適で愛らしい。
[アインシュタイン] pp.276-277
と激賞する一方で、「その分野での傑作であるとはいえ、ただの楽しい《フィナーレ音楽》である」と辛口の批評もしている。 アインシュタインの価値観の根底には、ただの楽しい音楽は傑作に値しない(偉大な音楽でない)という考えがあるようである。 ところで、モーツァルトの初期の作品にときどき「未来の偉大な作品のパッセージ」が現れることがある。 たとえば、5才のときに書いた『ピアノのためのアレグロ K.1c』の旋律が30年後の死の直前の大作『魔笛』の中でパパゲーノが歌うアリア「パパゲーノが欲しいのは」のメロディーと同じであることは有名である。 そして、このディヴェルティメントについては、オカールは「フィナーレへの重々しい前奏」に『魔笛』の「僧たちの行進」の響きを聴いている。

余談であるが、翌1777年の霊日の祝日にもモーツァルトは同夫人のために作曲するが、それは『第2ロドロン・セレナード』(K.287)と呼ばれている。 さらに1778年にも作曲しなければならなかったようであるが、そのときモーツァルトは母と二人でパリに旅立っていたので、ザルツブルクの父は「誰が夜曲を作るのだろう?」と嘆いていた。

〔演奏〕
CD [PHILIPS PHCP-1222] t=31'04
アカデミー室内アンサンブル
1985年6月、ロンドン
弦楽の最低音部に当時の演奏にならってコントラバスが使用されている)
CD [COCO-78057] t=31'44
ヴェーグ指揮ザルツブルク・カメラータ・アカデミア
1986年、ザルツブルク

〔動画〕
[http://www.youtube.com/watch?v=wYUwxFksSjQ] (1-2) t=16'13
[http://www.youtube.com/watch?v=sz1OxqTx9Qo] (3-4) t=14'07
[http://www.youtube.com/watch?v=MTgtiB2TLbs] (5-6) t=10'22
Stamic Quartet, Bedřich and Zdeněk Tylšar French Horns
1991, Prague

 
 
 

K.288 (246c) ディヴェルティメント ヘ長調

〔編成〕 2 hr, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1776年6月 ザルツブルク

Allegro、4分の4拍子、77小節の未完。 ヴィゼワとサンフォアにより、6月13日のロドロン伯爵夫人の霊名の祝日用に書かれようとしたとみられている。 ただし、別の作品になるもの(何らかの理由で作曲者が放置したもの)という説もある。 アインシュタインは次のように推測している。

モーツァルトは最初この《ホルンを伴う弦楽三重奏曲》をロードロン伯爵夫人のために書くつもりだったが、その後ヘ長調ディヴェルティメント(K.247)のもっと充実した草案の方を選んだものと思われる。
[アインシュタイン] p.276

〔演奏〕
CD [KKCC-4123-4] t=2'38
オランダ・ソロイスツ・アンサンブル
1992年

 
 
 

行進曲 ヘ長調 K.248

〔編成〕 2 hr, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1776年6月 ザルツブルク

成立時期が一致し、楽器編成が同じこと、調性も同じことから、ディヴェルティメント第10番 K.247 と関連づけられ、その演奏者の入退場のために書かれたとみられている。 4分の2拍子の簡潔なソナタ形式による行進曲とはいえ、非常に繊細な曲調である。 自筆譜には「2本のソロ・ヴァイオリンのための行進曲 Marcia a due violini soli」と書かれてあるというように、2つのヴァイオリンが導く旋律によって曲が進行する。

〔演奏〕
CD [キング KICC 6039-46] t=4'36
ボスコフスキー指揮ウィーン・モーツァルト合奏団
1964-66年
CD [PHILIPS PHCP-1222] t=4'30
アカデミー室内アンサンブル
1985年6月、ロンドン
CD [COCO-78047] t=4'16
グラーフ指揮ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団
1988年

〔動画〕
[http://www.youtube.com/watch?v=o_i3XGMSomo] t=4'20
Hans Graf (cond), Salzburg Mozarteum Orchestra


〔参考文献〕

 

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2012/03/25
Mozart con grazia