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ミサ曲 ハ長調 K.262 (246a)

  1. キリエ Kyrie : Allegro
  2. グロリア Gloria : Allegro con spirito
  3. クレド Credo : Allegro
  4. サンクトゥス Sanctus : Andantino
  5. ベネディクトゥス Benedictus : Andantino
  6. アニュス・デイ Agnus Dei : Andante
〔編成〕 S, A, T, B, SATB, 2 ob, 2 hr, 2 tp, 3 tb, timp, 2 vn, bs, og
〔作曲〕 1775年6月か7月? ザルツブルク

父レオポルトの書き込みで自筆譜にタイトル「ミサ・ロンガ」があり、その通称で呼ばれている。 従来の通し番号では第12番目のミサ曲。 自筆譜には別人(アンドレ)の手により1776年とあるが、五線紙の研究で知られるタイソンは1775年6月か7月と推定した。 「ミサ・ロンガ」と呼ばれるとおり、彼の典礼音楽(ミサ、晩課などの曲)中もっとも長い曲の一つ。 ただしこの「ミサ・ロンガ」は荘厳ミサではなく略式ミサである。

その規模にもかかわらず荘厳ミサ曲(ミサ・ソレムニス)の種類に入るものではない。 それはやはり略式ミサ曲(ミサ・ブレヴィス)であり、独唱部によって活気を与えられた合唱ミサ曲なのであって、アリアを持ってはいない。
[アインシュタイン] p.456
ミサ・ブレヴィスでありながら異常に長いことから、ド・ニは「不思議な曲」と言っているが、なぜこのようなミサ曲が作られたのだろうか。 アインシュタインは「1776年5月の日付は外的ならびに内的理由から推して、かなり確実なものである」と言い、当時できあがったばかりのザルツブルクの聖ペーター教会のために作った曲であるとしていた。 このミサ曲の長さと楽器編成の大きさがその豊かなロココ建築にふさわしいと推測したからである。 ド・ニも2本のホルンが用いられているところから、アインシュタインの説に従い、聖ペーター教会(聖ペトロ教会)での典礼用であろうとしながらも、異常に長い曲になった理由はほかにあったのではないかと考えている。
楽器の編成をみれば、ザルツブルクの司教座聖堂以外の教会のために作曲されたということがわかる。 2本のホルンが用いられているところから、このミサ曲は大修道院付属の聖ペトロ教会のために作曲されたのではないかと思われるが、残念ながらどのような典礼の機会に作曲されたのかは正確にわからない。 というのは練りに練った対位法的な技法と、きわめて密度の高いドラマティックな内容の驚くべき結合(このようなことは初歩的にあのハ短調の『孤児院ミサ』に見られるだけである)は、単に彼の書法の変化や新しい工夫を凝らしたいという技術的な欲求だけではなく、何か外的な状況によっていると考えられるからである。
[ド・ニ] p.45
略式ミサにしては不思議に長い曲になった理由としては、1776年11月17日ザルツブルクでシュパウアー伯爵(von Spaur, 1725-97)の聖職受任式があり、そのために作曲されたからだろうと言われている。 モーツァルトは1777年9月、母と二人で就職活動のためザルツブルクを旅立ったが、パリ滞在中の1778年5月、ザルツブルクからレオポルトはいつものように長文の手紙を息子に書き送っている。 その中でこの「シュパウアー・ミサ」という呼称の記述がある。 旅先で遊んでいることを咎めている部分である。
1778年5月28日、ザルツブルクのレオポルトから
オルミュッツ大司教が17日に叙階式を挙げました。 おまえがマンハイムでそんなにたくさん他人のためにやることがなかったら、おまえのミサ曲は仕上げられただろうし、私に送ってくれることもできただろう。
奏楽の折にいつもブルネッティから話しかけられ、いったい誰が叙任式ミサを作るはずだったのか、それにハイドンが大司教から命令を受けるにちがいないはずだと思っていると喋ったものだった。 でも大司教は返事を与えなかったし、ブルネッティやハイドン夫人が問い合わせをしたチェルニーン伯爵やシュタールヘムベルク伯爵も、この人たちにすこしも返事をしなかったのです。 私はヴォルフガングのオルガン・ソロつきのミサを取り上げ、キリエはしかしシュパウアーのミサから取って、それらを写譜させ、実際のところ6ドゥカーテンもらいました。
[手紙 IV] p.80
ここで「オルガン・ソロつきのミサ」とは K.259 であり、「シュパウアーのミサ」とは K.258 であり、レオポルトはその2曲(どちらも2年以上も前に作曲された)をつなげてオルミュッツ大司教(Anton Theodor Colloredo-Mels und Wallsee、ザルツブルク大司教の従弟)の聖職授任式用ミサとして演奏したと従来言われていた。 しかし、のちにワルター・ゼーンはこの「ミサ・ロンガ」(K.262)の方がシュパウアーのためのものだったと主張し、その説が支持されて(新全集)いる。 そしてK.258 の方は「ピッコロミニ・ミサ」と呼ばれているのである。

しかし近年、紙の透かし模様の研究という実証的方法により、作曲されたのは1775年中頃(6月か7月?)と推定されるに至り、また、このような大規模なミサ曲がその頃に必要とされる特別な機会があったという事実は知られていないともいう。 結局のところ、作曲の動機・目的など成立について確実な証拠は不明のままであり、さらにこの曲が「シュパウアー・ミサ」と呼ばれる根拠もあいまいになったようである。

〔演奏〕
CD [koch schwann CD 313 021 H1] t=29'01
Regina Schudel (S), Ulla Groenewold (A), Peter Maus (T), Berthold Possemeyer (B), RIAS Kammerchor, PIAS Sinfonietta Berlin, Uwe Gronostay (cond)
1983年3月、ベルリン、イエス・キリスト教会
CD [SRCR-8544] t=30'47
テルツ少年合唱団、ヨーロッパ・バロック・ソロイスツ、シュミット・ガーデン指揮
1990年7月

〔動画〕

〔参考文献〕


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2017/04/02
Mozart con grazia