Mozart con grazia > オーボエのための曲 >
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オーボエ四重奏曲 ヘ長調 K.370 (368b)

  1. Allegro ヘ長調 4/4 ソナタ形式
  2. Adagio ニ短調 3/4
  3. Rondeau (Allegro) ヘ長調 6/8 ロンド形式
〔編成〕 ob, vn, va, vc
〔作曲〕 1781年初 ミュンヘン
1781年1月
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1780年11月、モーツァルトはザルツブルクを飛び出す機会を得た。 ミュンヘンの選帝侯カール・テオドールから1781年の謝肉祭用にオペラ『クレタ王イドメネオ』(K.366)の作曲が依頼されていたが、その稽古のためにミュンヘンへ出発することになったのである。 『イドメネオ』は年が明けて1781年1月29日に初演され、そのときザルツブルクから父レオポルトと姉ナンネルも聴きに出て来ていた。 3月7日、父と姉は帰郷したが、モーツァルトはミュンヘンに居残り続け、できればその地で就職したいと思っていた。 ザルツブルク大司教は、前年11月29日に没した女帝マリア・テレジアの葬儀のためウィーンに滞在していたが、使用人であるモーツァルトに「ウィーンに出て来て、主人のために働け」と命じたので、モーツァルトは否応なしに3月12日にミュンヘンをたった。

時間が戻るが、バイエルン選帝侯(マクシミリアン3世ヨーゼフ)が死去したことにより、その任を兼ねることになった選帝侯カール・テオドールはマンハイムから1778年にミュンヘンに引越し、そのとき宮廷楽団も一緒に移住したのであったが、1777年にモーツァルトが母と二人でマンハイムを訪れた際、その宮廷楽団員とすっかり意気投合したのであった。 そのときフルート奏者ヴェンドリングのために「フルート四重奏曲ニ長調」(K.285)を、またオーボエ奏者フリードリヒ・ラム(1744-1811)には「オーボエ協奏曲ハ長調」(K.314)を書いている。 ラムの演奏は柔らかく、表情豊かで、「疑いなく当時の偉大なオーボエ奏者であった」という。

彼はオーケストラに14歳という驚くべき若年で入り、やがて彼の表現の豊さと音の質により、年上の同僚であるオーボエ奏者ルートヴィヒ・アウグスト・ルブランを凌駕する地位に就いた。 ラムは独奏者として、ヴィーン、ロンドン、ベルリンのような遠方の土地を訪れ、国際的な生きたキャリアを身につける贅沢を選帝侯から許されていた。
[全作品事典] p.331
モーツァルト自身もラムの演奏を高く評価しているが、しかしなぜか名前を忘れている。 その演奏家に曲をプレゼントしたというのに、しかもずば抜けた才能をもっている演奏家であるにもかかわらず、確かな記憶力をもっているモーツァルトが父への手紙で「忘れた」と書いていることが謎を秘めているように思える。
1777年11月4日
それから名前はもう忘れましたがオーボエ奏者で、彼はとてもうまく吹き、きれいで繊細な音をもっています。 ぼくは彼にオーボエ協奏曲をプレゼントしました。 これはカンナビヒの部屋で写譜されています。 その男は狂喜しています。
[書簡全集 III] p.212
ただし10日後の手紙にはラムの名前を書いているので、このときは単なるど忘れにすぎなかったのかもしれないが。 とにかく3年ぶりに、このような旧知の名演奏家たちとミュンヘンで再会できたモーツァルトがおいそれとザルツブルクに戻るはずがない。 この「オーボエ四重奏曲」はその4ケ月間の充実したミュンヘン滞在中にラムのために書かれた。 演奏者の高い力量に合わせて、その名人芸が存分に発揮されるように作られているが、ザルツブルクの束縛から解放された若く才能あふれた作曲者の喜びが作品の質を高めている。 アインシュタインは次のように絶賛している。
ニ長調フルート四重奏曲(K.285)に対応する作品であるが、芸術と精神のいっそう高い段階に立つ。 これもまたいくぶんコンチェルタントであり、さらにアダージョ(ニ短調)には小さなカデンツァの機会があり、ロンド・フィナーレにはモーツァルトにはきわめて珍しい工夫がある。 三つの弦楽器が8分の6拍子でややのんびり進行しているあいだ、オーボエは4分の4拍子のカンティレーネと装飾音を受け持ち、やがてごく自然な仕方で再び通常の合奏に戻る。 これは傑作である。 コンチェルタントな精神と室内楽的精神の結合という点で、これに比較しうるのはモーツァルト自身の晩年のクラリネット五重奏曲(K.581)だけなのである。
[アインシュタイン] pp.251-252
カンティレーナ(cantilena)すなわち叙情的な旋律がオーボエでしみじみと奏される第2楽章は37小節と短く、その余韻に浸っている間もなく躍動感あふれる第3楽章に入ってゆく。 なお、その第2楽章の冒頭は弦楽器で静かに主題が提示されて始まるが、それは弦楽四重奏曲第8番ヘ長調(K.168)第2楽章で借用したハイドンのフーガ主題の変形である。

〔演奏〕
CD [ANC 2014] t=15'58
カメッシュ Hans Kamesch (ob), ウィーン・コンツェルトハウス四重奏団員
1950年
CD [UCCG-5097] t=17'11
コッホ Lother Koch (ob), アマデウス弦楽四重奏団員 / Norbert Brainin (vn), Peter Schidlof (va), Martin Lovett (vc)
1975年12月、ミュンヘン
CD [PHCP-9029] t=14'31
ホリガー Heinz Holliger (ob), クレバース Herman Krebbers (vn), ショウテン Karl Schouten (va), デクロース Jean Decroos (vc)
1977年1月、アムステルダム
CD [PHILIPS PHCP-10366] t=13'46
ブラック Neil Black (ob), アカデミー室内アンサンブル Academy of St Martin in the Fields' Chamber Ensemble
1979年9月、ロンドン
CD [CTA PD-1013] t=13'59
ザルツブルク・モーツァルト・アンサンブル Zalzburg Mozart Ensemble / ルプレヒト Otfried Ruprecht (ob), シーグラー Michael Sigler (vn), ネラート Harald Nerat (va), シュナイダー Josef Schneider (vc)
1986年6月、浦安文化ホール
CD [ミュージック東京 NSC167] t=14'40
キャンター Robin Canter (ob), ロンドン・バロック London Baroque / Ingrid Seifert (vn), Richard Gwilt (va), Charles Medlam (vc)
1987年11月、Finchcocks、古楽器使用
CD [Camerata 30CM-469] t=13'34
インデアミューレ Thomas Indermuhle (ob), ウィーンフィルハーモニア弦楽三重奏団 Das Wiener Philharmonia Trio / ヴェヒター Peter Wächter (vn), レンベルク Martin Lemberg (va), ノージュ Robert Nagy (vc)
1997年1月、ウィーン Studio Baumgarten
CD [DENON COCQ-83287] t=16'36
本間正史 (ob), 高田あずみ (vn), 森田芳子 (va), 松岡陽平 (vc)
1998年5月、福島市音楽堂
CD [NAXOS 8.557361] t=14'15
アートヴェズ Max Artved (ob), ボトネス Elise Båtnes (vn), ゴロヴァノフ Dimitri Golovanov (va), ヨハンセン Lars Holm Johansen (vc)
2002年1月、コペンハーゲン

〔動画〕

〔参考文献〕


 

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2017/06/04
Mozart con grazia