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ピアノ三重奏曲 第2番 ニ短調 (断片) K.442

  1. 速度表示なし、ニ短調 (55小節 4/4)
  2. Tempo di minuetto ト長調 (151小節 3/4)
  3. Allegro ニ長調 (133小節 6/8)
〔編成〕 p, vn, vc
〔作曲〕 I-II. 1785〜86年頃 III. 1788年頃?(新全集) ウィーン

ケッヘル初版では1783年の作 K.442 に位置づけられていた。 3楽章とも未完成だったが、シュタトラーが補作完成し、

  1. Allegro ニ短調 (230小節)
  2. Andantino ト長調 (248小節)
  3. Allegro ニ長調 (228小節)
という構成のピアノ三重奏曲とし、1797年にアンドレが「作品56」として出版。 カウデリーは「未亡人のコンスタンツェの求めに応じたものであろう」と推測している。 ただしこれらをまとまった一つの作品としてモーツァルトが考えていたかは大いに疑問であり、3つの別々のピアノ三重奏曲の楽章をのちにシュタトラーが組み合せたものに過ぎず、それぞれの曲の成立について確かなことはわかっていない。

アインシュタインは第2曲はピアノ三重奏曲(第3番)K.496 のフィナーレ用かもしれないと言っている。

おそらくモーツァルトはフィナーレとして、アンダンテまたはテンポ・ディ・メヌエットを書いたのであろう。 これが印刷本では、K.442 の三重奏曲の中間楽章にされてしまっているが、勝手にこれといっしょにされた他の二楽章と同様、1783年にすでに成立していたことはありえない。
[アインシュタイン] pp.356-357
タイソンは第1曲と第2曲は1786〜87年、第3曲は1790〜91年と推定している。 第2曲(テンポ・ディ・メヌエット)が中間楽章でなく、フィナーレ楽章かもしれないと推測されているだけでなく、第3曲(アレグロ)は冒頭楽章を意図して書かれたものではないかとも言われている。 新全集では各楽章に別々の番号を与えるべきとしている。 また、成立については第1曲と第2曲は1785〜86年頃、第3曲は1788年頃とし、タイソンの推定と少し違っているが、筆跡やほかの作品との比較研究から、アインシュタインのいうように「1783年にすでに成立していたことはありえない」ことでは一致している。

〔演奏〕
CD [EMI CHS 7697962] t=22'48
クラウス (p), ボスコフスキ (vn), ヒューブナー (vc)
1954年
※シュタトラー補作版(第1曲 Allegro、第2曲 Andantino)
CD [KKCC-4123-4] t=10'31
オランダ・ソロイスツ・アンサンブル
1992年

〔動画〕

〔参考文献〕


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2014/04/30
Mozart con grazia