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交響曲 (第37番) ト長調 K.444

  1. Adagio maestoso - Allegro con spirito (序奏、ト長調 3/4)
  2. Andante sostenuto
  3. Allegro molto
〔編成〕 2 ob, 2 hr, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1784年2〜4月? ウィ−ン

この曲は現在は「他の作曲家のもの」の部 Anh.A53 に置かれているが、モーツァルトの死後、遺品の中から見つかったものであり

それは彼の筆跡による前半(序奏、アレグロとアンダンテの半分)と別人の筆跡による後半(アンダンテの残りの部分、メヌエットとトリオ、フィナーレ)を含んでいた。
[全作品事典] p.260
これについてアンドレは根拠のないまま次のように推定した。 すなわち、モーツァルトが新妻コンスタンツェを伴って1783年10月にザルツブルクからウィーンに戻る途中リンツに立ち寄った際、トゥン伯爵のための音楽会に間に合わすために大急ぎで書いた交響曲であると考えたのだった。 それをもとにケッヘル初版で K.444 として収録され、旧全集では「交響曲第37番」と位置づけられ K.425a という番号が与えられた。 リンツで大急ぎで書いたシンフォニーは「第36番ハ長調 K.425」であることが確認されたが、この曲もそのときに作られたものというアンドレの推定は継承され、「第36番」の直後に置かれたのである。 序奏(Adagio maestoso)20小節の部分を除いた他はミハエル・ハイドンの作品P.16(1783年5月23日、ミヒャエルボイエルン修道院の新院長就任を祝って作曲されたもので、ハイドンの交響曲では第25番)であることが1907年に研究家ペルガー(Lothar Perger)によって判明してからも作曲時期については、トゥン伯爵のための音楽会(1783年11月4日)と関連づけられ、アインシュタインも
同じように《大あわてで》、モーツァルトは同じリンツでの機会、すなわちトゥルン伯爵のための音楽会用に、ミヒャエル・ハイドンのト長調シンフォニーへの短かくて《堂々たる》導入部を書いた。
[アインシュタイン] p.319
と述べていた(1945年)ように、「1783年11月頃リンツ」成立説が長い間支持されていたのである。

しかしアンドレに由来するその説の根拠はなく、現在は否定的である。 ハイドンの作品の成立からして、1783年5月以後に書かれたものであることは間違いないが、 その後、タイソンの用紙分析により、1784年2月〜4月のものと推定されるようになり、現在ではザスローの説、すなわち、その頃ウイーンで忙しく活動していたとき、不足気味の交響曲の作品を補うために借用したものとみられている。 当時の音楽会では始まりと終わりに交響曲か弦楽四重奏曲が演奏され、いわゆる「額縁」(フレームワーク)の役割を持たされるのが慣習だったため、モーツァルトは他の作曲家のシンフォニーも含めて多くの交響曲を必要としていたからである。

〔演奏〕
CD [ポリドール FOOL-20372] t=13'27
ホグウッド指揮 Christopher Hogwood (cond), エンシェント室内管弦楽団 Academy of Ancient Music
1979-80年
CD [カメラータ・トウキョウ 32CM-174] (1) t=5'30
デーラー指揮 Joerg Ewald Daehler (cond), 草津フェスティヴァル交響楽団
1987年8月、草津町

〔動画〕

〔参考文献〕


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2014/03/23
Mozart con grazia