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ピアノのための変奏曲 イ長調 K.460 (454a)

〔作曲〕 1784年6月 ウィーン
1784年6月

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サルティのオペラ『他人の喧嘩で得をする(漁夫の利) Fra i due litiganti』のミンゴーネのアリア「仔羊のごとく Come un agnello」から。 サルティ(Giuseppe Sarti, 1729-1802)はロシアの女帝エカテリーナ2世の招きで、パイジェルロ(Giovanni Paisiello, 1740-1816)の後任として、サンクト・ペテルブルクのロシア宮廷楽団長となったが、その地に赴く途中、ウィーンを訪問し、ヨーゼフ2世に謁見している。 ウィーン訪問中のサルティの前でモーツァルトはこの曲を演奏した。 ザルツブルクの父レオポルトへ以下のような手紙を送っている。

1784年5月8日
パイシェッロがいま当地にいます。 ロシアからの帰り途に立ち寄ったのです。 彼はここでオペラ一曲を書くでしょう。 サルティはロシアへ出発するのを、毎日、待たされています。
[書簡全集V] p.503
1784年6月9日
あす、郊外のデーブリングにある宮廷連絡官プロイヤー氏邸で、演奏会が開かれます。 ぼくの作品と弟子を聴いてもらうために、ぼくはパイシェッロを馬車で迎えに行きます。 もし、マエーストロ・サルティがきょう出発するはずでなければ、彼もぼくに同行したでしょう。 サルティは、まったく仕事熱心な律儀者ですよ! ぼくは彼のためにずいぶん演奏しました。 そして挙げ句の果てに、彼のアリアを主題に変奏曲まで書いて、彼に非常に喜ばれました。
[書簡全集V] pp.512-513
このような事情から生まれたと思われる変奏曲であるが、自筆譜には2つの変奏しか残されいない。 それが新全集に採録されている。 変奏が2つしかないまま曲が閉じるはずはないので、残されているものは断片ということになる。 それとは別に、モーツァルトの死後1803年アルタリアから出版された「8つの変奏曲イ長調」(筆写譜)があり、旧全集に採録され、現在まで広く演奏され継承されている。 この版について、すべてモーツァルト本人による変奏であるとする見解(バドゥラ・スコダ)もあるが、真正であるかどうかについて議論のまだ余地がある(クルト・フォン・フィッシャー)として新全集は採り上げていない。 フォン・フィッシャーは作曲者不明の「6つの変奏曲ト長調」(1787年出版譜)の存在を指摘し、これを新全集の疑義ある作品として収録し、アルタリア伝承「8つの変奏曲イ長調」の作曲者は解明されていないと主張している。

疑問が残る「8つの変奏曲イ長調」と断片ながら真正の「2つの変奏曲イ長調」は以下のCDなどで聴くことができる。 また「2つの変奏曲イ長調」と作曲者不明の「6つの変奏曲ト長調」は、野口秀夫氏のサイト「モーツァルト研究オンライン」で聴くこともできる。

〔演奏〕
CD [EMI TOCE-11558] t=7'40
ギーゼキング Walter Gieseking (p)
1953年8月、ロンドン Abbey Road
CD [BVCD 34037] t=3'56
ホグウッド Christopher Hogwood (hc)
2004年10月、ザルツブルク、モーツァルト生家
※1700年代後期のモーツァルト所有クラヴィコードで演奏

〔動画〕

〔参考文献〕


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2017/06/11
Mozart con grazia