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ピアノとヴァイオリンのための協奏曲 ニ長調 (断片) K.Anh.56 (315f)

  • Allegro ニ長調
〔編成〕 p, vn, 2 fl, 2 ob, 2 hr, 2 tp, timp, 2 vn, 2 va, bs
〔作曲〕 1778年11月 マンハイム

1777年9月23日、モーツァルトは母と二人で就職活動のためザルツブルクを出発。 10月30日マンハイムに到着し、4ヶ月半滞在するが、そこでマンハイム楽派の音楽に接することができた。 またアロイジア・ウェーバーに恋するようになったのは有名な話である。
12月30日、バイエルンの選帝侯マクシミリアン・ヨーゼフが天然痘にかかってミュンヘンで死去したことにより、マンハイムのプファルツ選挙侯(カール・テオドール侯)がその後継者となり、ミュンヘンに移った。 そのため宮廷楽団もマンハイムからミュンヘンに移転することになった。

1778年3月14日、モーツァルトは父に急かされるようにしてマンハイムを離れ、パリに向けて旅立った。 しかしさまざまな不幸が重なったことから彼はパリで生活する気持ちになれず、さらに7月3日に母を亡くし、9月26日モーツァルトは失意のうちにパリを離れ帰郷の途についたが、まっすぐザルツブルクに帰ることはできなかった。 ミュンヘンに引っ越した選帝侯への約束を果たす目的もあったが、11月6日、懐かしいマンハイムを再び訪れる。
ただしアロイジアは一家とともにミュンヘンに引っ越していたので再会はかなわなかった。 ミュンヘンに行かなかった元マンハイム宮廷楽団員には、コンサート・マスターのフレンツル(42歳)がいて、彼はマンハイムに残り、市民コンサート(愛好家演奏会)を創始していた。 モーツァルトはザルツブルクの父へ

1778年11月12日
ここでもパリのと同じように、『愛好家演奏会』が始まる予定です。 フレンツェル氏がヴァイオリンの指揮をしています。 そこでぼくはクラヴィーアとヴァイオリンのための協奏曲をちょうど書き始めたところです。
[書簡全集 IV] p.330
と伝えている。 このとき、フレンツルがヴァイオリンを、モーツァルトがピアノを演奏するはずの傑作が生まれるところだったが、惜しいことになぜか未完に終った。 自筆譜は120小節だけが残る。 そのうち74小節までは総譜が書かれている。 それがこの断片 K.Anh.56 である。 完成されなかった理由は何だったのだろうか?
1778年11月の数週間後にはマンハイム・オーケストラはもはや存在していなかった。 モーツァルトがなぜこの作品をミュンヘンで完成しなかったかが疑問になる。 しかし、彼は作曲をはじめたとき、明らかにフレンツルだけの演奏を頭においていたのであった。 こうして、われわれはバイエルンの選帝侯マックス・ヨーゼフの天然痘のために、傑作一つの損失をしたわけである。
[アインシュタイン] pp.377-378
テオドール侯と宮廷楽団がミュンヘンに去ってしまったことにより、マンハイムに残っていた演奏家はフレンツルを除いて技量が劣っていたのかもしれない。 ド・ニは「大規模な曲で演奏がむずかしいために、途中で放棄した」と言っている。 12月9日にモーツァルトはマンハイムをあとにしてミュンヘンに向かったが、マンハイムではこの曲を書き始めてから約1カ月間滞在していたので、その気があれば完成させることは容易だっただろう。 その後1779年1月7日にモーツァルトはミュンヘンで約束の「マンハイム・ソナタ」と呼ばれる6曲のピアノとヴァイオリンのためのソナタ集を選帝侯妃マリア・エリーザベトに献呈したが、その地でもこの曲を完成することはなく、すばらしいトルソーとして残されたのであった。 彼は否応なしに(レオポルトは帰りの馬車までも指定して帰郷を命じた)1月15日ザルツブルクに戻ることになったが、もし完成していたらと思うと大変残念である。
モーツァルトにヴァイオリニストとしてたいへん高く評価されたフレンツルと、モーツァルト自身のためのシンフォニア・コンチェルタンテである! 当時と後世にとって、どれほどの贈物となったことであろう!
フルート、オーボエ、ホルン、トランペット、ティンパニを含む大オーケストラ、リトルネルロの幅広く雄大な構想、堂々たるアラ・マルチアーーこれはピアノのための二つの『戴冠式コンチェルト』(K.459, 537)の2番目のもののまえの『戴冠式コンチェルト』である。
同書

この曲の補筆完成版には、レヴィン(Robert Levin)によるもの(ベーレンライターから出版)のほか、ウィルビー(Philip Wilby)によるものがある。 後者はピアノとヴァイオリンのためのソナタ K.306 (300l) の原曲と考えた補筆を行なった。 すなわち断片を補筆完成させ第1楽章とし、第2楽章 Andantino cantabile と第3楽章 Allegretto は K.306 から編曲転用したのである。

  1. Allegro ニ長調 4/4
  2. Andantino cantabile ト長調 3/4
  3. Allegretto 2/4
6曲のピアノとヴァイオリンのためのソナタ集、いわゆるマンハイム・ソナタ(プファルツ・ソナタとも呼ばれる)の中で、5曲が2楽章から成るのに対し、最後の K.306 だけが3楽章から成り、協奏曲と言っていいほどの大作であることからウィルビーがこのような編曲をするに至ったといわれる。
ウィルビーはモーツァルト自身が作曲した曲と同じくらいに満足のいくすばらしい再構成作品を私たちにもたらしてくれた。 これが本物の、「オーセンティック」なモーツァルトだとはウィルビーは決して言わないけれども、これは間違いなくモーツァルトの音楽であり、ウィルビーは音楽的に充実した美しい一作品をレパートリーに加えたと言えるだろう。
ポール・マイヤーズ(渡辺 正訳) CD[SONY SRCR 2595]

〔演奏〕
CD [PHILIPS PHCP-9270] t=25'38
シェリー Howard Shelley (p), ブラウン Iona Brown (vn) 指揮アカデミー Academy of St Martin in the Fields
1989年6月ロンドン
ウィルビー編曲版
CD [SONY SRCR 2595] t=27'33
五嶋みどり (vn), エッシェンバッハ Christoph Eschenbach (p) 指揮, 北ドイツ放送交響楽団 Norddeutschen Rundfunks Sinfonieorchester
2000年10月ハンブルク
ウィルビー編曲版

〔動画〕

〔参考文献〕

 

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2014/03/30
Mozart con grazia