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交響曲 第21番 イ長調 K.134

  1. Allegro イ長調 3/4 ソナタ形式
  2. Andante ニ長調 2/4 ソナタ形式
  3. Menuetto イ長調 3/4 複合三部形式
  4. Allegro イ長調 2/2 ソナタ形式
〔編成〕 2 fl, 2 hr, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1772年8月 ザルツブルク
1772年8月





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イタリア旅行からザルツブルクに戻った1771年12月以後の約1年間に交響曲に打ち込み、16才の少年モーツァルトは以下の表のように8つの作品を残した。 よく知られているように、1772年3月にヒエロニムス・コロレド伯(40歳)がザルツブルクの新大司教に就任したことから、モーツァルトは(父レオポルトの指示によるのかもしれないが)イタリア風だけでなくドイツ風の交響曲も書くことができることをアピールしようとした。 第18番以降では1曲毎に管楽器の組合せを変えていることがわかる。 第21番は一連の交響曲の最後の作品になり、このシリーズの中で最も充実しているともいわれる。 また、この曲以外にフルート2、ホルン2という楽器編成をもつ交響曲は第27番(K.199)しかないのも特徴的である。

作曲月
楽章数楽器編成
1771.12第14番 K.114 42 fl, 2 ob, 2 hr, 2 vn, va, bs
1772. 2第15番 K.124 42 ob, 2 hr, 2 vn, va, bs
1772. 5第16番 K.128 32 ob, 2 hr, 2 vn, va, bs
1772. 5第17番 K.129 32 ob, 2 hr, 2 vn, va, bs
1772. 5第18番 K.130 42 fl, 4 hr, 2 vn, va, bs
1772. 7第19番 K.132 42 ob, 4 hr, 2 vn, va, bs
1772. 7第20番 K.133 4fl, 2 ob, 2 hr, 2 tp, 2 vn, va, bs
1772. 8第21番 K.134 42 fl, 2 hr, 2 vn, va, bs

この一連の作品で、自筆譜にモーツァルトは「シンフォニア」と書き、父レオポルトはイタリア語で「騎士ヴォルフガンゴ・アマデーオ・モーツァルト作」と作曲年・場所を書き加えている。 この作品の場合は

Sinfonia
del Sgre Caval: Amadeo Wolfg: Mozart
in Salisburgo nel Agosto 1772
(「Sgre」と「Caval:」と「Wolfg:」はそれぞれ「Signore」と「Cavaliere」と「Wolfgango」の略)となっている。 短期間に8曲もの(1772年5月以後は6曲)まとめ書きをした理由として、何か差し迫った事情があったのか、6曲まとめて一つの作品にする意図があったのか、いろいろ推測されているが、確かなことはわかっていない。 ザスローは「新作の交響曲を必要とする差し迫った事情があったに違いない」ことは認めつつも、1772年5月以後の6曲をまとまった一つの作品と見ることには疑念を呈している。
現在に伝えられた手稿譜はそうしたかたちではなく、2つの独立した作品(K.128と129)と、19世紀に一緒に綴じられた残りの4作品とからなっている。
「全作品事典」 p.236
1771年12月からの8つの交響曲を並べた上記の表をながめると、楽章数の違いからも、2つの作品(K.128と129)はほかの曲とは異なる動機のもとに書かれたものと考えるのが自然かもしれない。

なお、これらの交響曲に限らず、この年には多くの教会音楽・機会音楽が作られているが、その陰には父レオポルトの綿密な作戦があったと思われる。

こうした音楽活動とも関係づけられるものであろうか、8月21日付で宮廷の訓令があり、モーツァルトは従来の無給のコンツェルトマイスターという名誉職から、実質的な給与を伴う有給のコンツェルトマイスターに昇格するのである。 年給150グルデンがその内容であった。
[書簡全集 II] p.331
閣下には慈悲深き9日の指示により、従順なる宮廷付コンサートマスター、ヴォルフガング・アマデーウス・モーツァルトに給料として年間150グルデン下げ渡された。 従って財務局は日々それに見合う額を支払うべきこと。
[ドイッチュ&アイブル] p.111
もちろん、レオポルトの目的はこれで終りというものではなく、これを足がかりにして次の旅行に有利に働くことを目論んでいたに違いない。

〔演奏〕
CD [PMG CD 160 114] t=19'06
リッチオ指揮モーツァルト・フェスティヴァル管弦楽団
CD [ポリドール FOOL 20368] t=19'12
ホグウッド指揮エンシェント室内管弦楽団
1979-81年
CD [TELARC PHCT-5007] t=16'21
マッケラス指揮プラハ室内管弦楽団
1989年
CD [Membran 203300] t=14'10
Alessandro Arigoni (cond), Orchestra Filarmonica Italiana, Torino
演奏年不明

〔動画〕

〔参考文献〕

 

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2018/04/29
Mozart con grazia