Mozart con grazia > リタニアとヴェスペレ >
17
age
61
5
62
6
63
7
64
8
65
9
66
10
67
11
68
12
69
13
70
14
71
15
72
16
73
17
74
18
75
19
76
20
77
21
78
22
79
23

80
24
81
25
82
26
83
27
84
28
85
29
86
30
87
31
88
32
89
33
90
34
91
35
92

ヴェスペレ K.321

Vesperae solennes de Dominica
  1. Dixit (Psalm 110 主はわが主に言われる) Allegro vivace ハ長調
  2. Confitebor (Psalm 111 わたしは心をつくして主に感謝する) Allegro ホ短調
  3. Beatus vir (Psalm 112 大いに喜ぶ人はさいわいである) Allegro 変ロ長調
  4. Laudate pueri (Psalm 113 主のしもべたちよ、ほめたたえよ) 合唱 ヘ長調
  5. Laudate dominum (Psalm 第117 主をほめたたえよ) Allegro イ長調
  6. Magnificat (主をあがめます) Adagio maestoso - Allegro ハ長調
〔編成〕 S, A, T, B, SATB, 2 tp, 3 tb, timp, 2 vn, bs, og
〔作曲〕 1779年、ザルツブルク(自筆譜に日付なし)

モーツァルトがザルツブルク時代の最後に残した2つのヴェスペレの一つであり、これは「主日のためのヴェスペレ」と呼ばれている。 もう一つは「証聖者の荘厳晩課」(K.339)である。 ヴェスペレとはラテン語の vesper または vespera に由来し、「夕方 evening」という意味であり、そこからローマ・カトリック教会では「日没時の祈り」すなわち「挽歌」を示すようになった。

しかし晩課の典礼の全体、すなわち冒頭の祈り、詩編の前の交唱(アンティフォナ)、詩編(プサルム)、賛歌(ヒムヌス)、聖母マリア賛歌(マニフィカート)とその交唱の全部が作曲されることは稀で、単旋律か、単旋律につけられたフォーブルドン風の和声的旋律の曲と、管弦楽器を伴った曲とが交互に演奏されるのが普通だった。 ザルツブルクに残された音楽資料を研究すると、盛儀晩課ではおもに第一番目の詩編「主に神のみことば」(詩編109番)と、「マニフィカート」だけが管弦楽曲として作曲されていたことに気がつく。
[ド・ニ] pp.98-99
このような事情から、モーツァルトは1774年に「ディクシットとマニフィカート」(K.193)を書いたのだろうが、芸術家としてのモーツァルトは「このような不完全な形式を好まなかった」とド・ニは言っている。 それから5年後、
1779年1月19日の辞令で、モーツァルトは年俸450グルデンをもって、ザルツブルクの宮廷オルガニストに採用された。 この辞令には特別の条項がついており「彼は可能な時にはいつでも、彼の創作になる新しい曲を教会と宮廷のために提供すること」となっていた。 1779年から80年にかけてのこの時期に、モーツァルトの手からおびただしい教会音楽が生まれてくるのは、この条項のせいである。
[ランドン] p.91
このような状況下で2つのヴェスペレが書かれ、旧約聖書詩篇(プサルム psalms)第110、111、112、113、117、および新約聖書ルカ伝「マニフィカト」が使われ、そのほか、各章に「Gloria Patri, et Filio, et Spiritui Sancto.(願わくは、ちちとこと聖霊として栄えあらんことを)」が加わる。 さらに冒頭に、詩篇第70第1節から「Deus, in adjutorium meum intende (神よ、みこころならばわたしをお救い下さい)」が歌われたり、当時の慣習にならって各章の間にグレゴリオ聖歌による交唱(アンティフォナ)が歌われることもある。 ド・ニは使われている詩篇を典礼規範に照らし合せて、2つのヴェスペレとも「司教でない証聖者のためのヴェスプレ Vesperae de Confessore non Pontice」であると結論づけ、そのオーケストレーションから、どちらもザルツブルクの大聖堂での儀式のためと考えている。
モーツァルトの解説書などを見ると、この2つの晩課が異なった目的のために作曲されたと思わせるような標題をつけている。 つまりK321は主日(日曜日のこと)のために作曲されたもので、もう一方のK339は証聖者の祝日のための曲だといった具合である。 前者の標題はモーツァルト自身がつけたものではなく、自筆の楽譜には「証聖者」のためと記されている。
[ド・ニ] p.99
1779年9月


12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930


主日のための晩課における最後の詩編は、113番の「イスラエル人がエジプトを出たとき」でなければならず、また司教証聖者のための晩課の最後の詩編は、131番の「主よ、ダヴィデを思い起こされよ」でなければならないという。 ローマで教育を受けたコロレド大司教は、ローマ典礼を遵守することにやかましかったことも考えあわせると、この2つの晩課の目的は同じであるとド・ニは言っている。 そのうえで、作曲の時期についてもド・ニは次のように推測している。
ザルツブルクにおける「司教でない証聖者」の重要な祝日といえば聖ヒエロニムス、つまり大司教の洗礼名の聖人の祝日が9月30日であることから、モーツァルトの3曲の晩課はどれも、この日の盛儀典礼のために作曲されたと信ずるに十分に足りるのである。

余談であるが、のちにモーツァルトはこの曲を思い出している。 ウィーンで自立し、活躍しはじめた頃、毎日曜日にスヴィーテン男爵の所へ通うようになっていたが、1783年3月12日、ウィーンからモーツァルトはザルツブルクの父へ手紙で、男爵に聴かせてやりたいからという理由で、この曲の総譜を送ってくれるよう頼んでいる。

ラムのために書いた『オーボエ協奏曲』を、ぼく宛に、大至急送ってください。 その際に、何かほかのもの、たとえば、ぼくのミサ曲や、二つのヴェスプレの総譜を、入れてくれてもかまいません。 それらを、ただヴァン・スヴィーテン男爵に聴かせたいからです。 男爵が高声部を歌い、ぼくが(伴奏しながら同時に)アルトを、シュタルツァーがテノールを、イタリアから来た若いタイバーがバスを歌います。
[書簡全集 V] p.347

〔演奏〕全曲
CD [PHILIPS 422 749-2] t=26'15
白井光子 (S), リース Heidi Riess (A), ビュフナー Eberhard Büchner (T), ポルスター Hermann Christian Polster (Bs), ライプツィヒ放送合唱団 Rundfunkchor Leipzig, ケーゲル指揮 Herbert Kegel (cond), ライプツィヒ放送交響団 Rundfunk Sinfonie Orchester Leipzig
1979-81年
CD [UCCP-4078] t=26'15
※上と同じ
CD [Teldec WPCC-4302] t=33'00
ボニー Barbara Bonney (S), フォン・マグヌス Elisabeth von Magnus (A), ハイルマン Uwe Heilmann (T), カシュマーユ Gilles Cachemaille (B), オルトナー合唱指揮 Erwin Ortner (chor cond), アーノルト・シェーンベルク合唱団 Arnold Schoenberg Chor, アーノンクール指揮 Nikolaus Harnoncourt (cond), ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス Concentus musicus Wien
1990年7月、教区教会、シュタインツ

〔演奏〕一部
CD [Teldec WPCS-22041] V. t=5'43
ギーベル Agnes Giebel (S), タヘツィ Herbert Tachezi (og), ネボア Josef Nebois (og), ロンネフェルト指揮 Peter Ronnefeld (cond), ウィーン交響楽団 Winer Symphoniker
1966年頃
CD [COCO-78063] V. t=5'44
ガブリエーレ・フックス Gabriele Fuchs (S), ヒンライナー指揮 Ernst Hinreiner (cond), カメラータ・アカデミカ・ザルツブルク
1985年
CD [PILZ 44 9274-2] V. t=5'43
シンライナー指揮カメラータ・アカデミカ・ザルツブルク
※ 演奏時期、ソプラノ歌手、詳細不明。(たぶん上記 COCO-78063 と同じ)

〔動画〕

 

〔参考文献〕

 

Home K.1- K.100- K.200- K.300- K.400- K.500- K.600- App.K Catalog
 
2012/12/09
Mozart con grazia