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ピアノ・ソナタ 第12番 ヘ長調 K.332 (300k)

  1. Allegro ヘ長調 3/4 ソナタ形式
  2. Adagio 変ロ長調 4/4 展開部のないソナタ形式あるいは二部形式
  3. Allegro assai ヘ長調 6/8 ソナタ形式
〔作曲〕 1783年 ウィーンかザルツブルク

作曲の成立について大きく変更のあった作品である。 すなわちケッヘル初版では K.332 とされていたが、1778年の初夏に仕事を捜すためパリに滞在中に書かれた「パリ・ソナタ」の一つと考えられ、K.300k と位置づけられた。 その根拠は、ヴィゼワとサンフォワの「これら4曲はパリの様式を表していて、パリでしか書けない作品だ」と主張したことであり、それをアインシュタインが採り入れた結果である。 そのため、ケッヘル第3版以降、イ短調(K.310)、ハ長調(K.330)、イ長調(K.331)、ヘ長調(K.332)の4曲はパリで書かれたとされていた。 しかしその後主観的な様式研究に対する批判が起こり、自筆譜を根拠とする実証的研究(すなわちプラートによる筆跡研究とタイソンによる紙の研究)が進んだお陰でこれらのソナタの位置づけが大きく変更されることになった。 すなわちプラートにより「早くても1780年夏」であるとされ、さらにその後、タイソンにより「1783年ウィーンか、その年のザルツブルク訪問中」と修正されるに至った。 「新全集」ではプラートとレームの編集者はこの成立時期を、1783年ウィーンか、またはその年にモーツァルトが新妻コンスタンツェを伴ってザルツブルクを訪問したときと推定している。 したがって、ケッヘル第3版の二重番号 K.332→300k はまったく意味がなくなったので、改めて300番の終りか400番の初めに位置づけを変更しなければならないだろう。

1784年、ウィーンのアルタリア社からこれら3曲(K.330, K.331, K.332の3曲)が「作品 VI」として出版された。 短期間のうちに同じジャンルの作品を複数しかもそれぞれに違った性格もった曲を書き上げることはモーツァルトにとって珍しくないが、この曲は有名なトルコ行進曲の影に隠れて目立たない。 それどころかアインシュタインは「最も目立たないものの一つ」とさえ言っている。 しかしこの曲は「ピアノを習う子供なら誰でも知っている」というのである。 この矛盾した、一見とらえどころのない性格こそがモーツァルトの音楽の魅力でもあるが、目立たないと感じさせるのは(トルコ行進曲のような)はっきりとした主題が提示されないことによる。 アインシュタインの言う「成熟したモーツァルト(モーツァルトはなんと早く成熟したことか!)」は同じような性格の曲を相次いで2つ並べることは無粋なことに思われたのである。

このソナタの開始の魅力は、それが開始ではなく、第2楽章のように叙情詩的で歌に満ち、まるで空から落ちてきたもののようであるという点に存する。 それにつづいて愛らしい自然の音響のような楽節後部が、左手のホルン五度を伴って現われ、それからはじめて、分析的な版本が「エピローグ」と呼ぶニ短調の緊迫がくる。 それは短調の緊張に満ち満ちているが、そのなかから第2主題が、まるでエアリエルのお伴のなかから出てくる光り輝く姿のように浮かび上る。 思いつきから思いつきが生じる。 展開部は再び新しい「非主観的な」思いつきではじまり、再現部においては「力のない」進行全体が、心を奪うような優美さの新しい地平線上で反復される。
(中略)
ほかならぬベートーヴェンが、この空中から掴み取られた開始部の魅力を痛切に感じ、晩年の時代にいたるまで彼の流儀でそれを利用したのである。
[アインシュタイン] pp.202-203
このような「成熟した」音楽表現を「ピアノを習う子供」に求めても無理であろう。 一見すると(一聴すると)ふと思いついたかのように自然に流れる旋律の背後に作曲者が聴衆であるこちらの反応を確かめてニヤリとする顔がある。 吉田は前曲イ長調ソナタを詳しく分析しているなかで、ふと思いついたかのように次のように指摘している。
私をもっとハッとさせるのは、つぎの点である。
モーツァルトには、小節縦線を越え、それには左右されないリズムをもつ音楽の進行が出てくることが、必ずしも稀ではない。 別の言い方をすれば、リズムが同じ音楽の中で突然変るのである。 そういう例は、K332 のヘ長調ソナタ第1楽章の展開部に入ってからの箇所にあり、またト短調ピアノ四重奏曲にもある。
[吉田] p.131

1784年のアルタリア初版譜には、自筆譜にはない装飾が書き込まれているといい、そこからモーツァルトの即興的な演奏を知る上で貴重な手がかりが得られるという。

第2楽章は全部で40小節だが、初版譜を見ると、ちょうど後半の21小節からモーツァルト自身の装飾がつけられている。 装飾付きの初版譜を弾いて感じるのは、モーツァルトの装飾がたいへん控えめで上品であることである。 この20小節の間に、細かい音符で一気に駆け上がるパッセージは第26小節の一箇所しかない。 いくらでも指が回ったモーツァルトなのに、華やかなパッセージをたたみかけるのではなく、ただ一箇所だけ華やかにさらっと弾く。 押しつけがましさを嫌ったモーツァルトの美学の一端を見るようだ。
[久元] pp.178-179
そして第24小節以降の装飾について解説したうえ、次のように続けている。
たったこれだけのことで、動きが生き生きとしてきて、魅力的になる。 旋律がすっきりと聞こえながら、優雅な変化が感じられる。
ここまで繊細な耳をもち、さらに演奏してもらえれば作曲者モーツァルトは大喜びに違いない。 なお、自筆譜と初版譜を以下のサイトで聴き比べることができる。
久元 祐子 『モーツァルトのピアノ音楽研究』(音楽之友社)
 「本」を「音」に 第7章 即興とカデンツァ
即興的修飾
  (sound18)  ピアノ・ソナタ ヘ長調 K332 第2楽章 から (自筆譜)
  (sound18-2) ピアノ・ソナタ ヘ長調 K332 第2楽章 から (初版譜)

〔演奏〕
CD [COCQ-84578] t=19'44
クラウス (p)
1950年
CD [DECCA UCCD-7023] t=13'33
バックハウス Wilhelm Backhaus (p)
1961年10月
CD [PHILIPS 17CD-8] t=20'41
ヘブラー Ingrid Haebler (p)
1964年11〜12月
CD [SONY SRCR 2625] t=13'06
グールド Glenn Gould (p)
1965-66
CD [CBS SONY 25DC 5223] t=18'03
クラウス (p)
1968
CD [DENON CO-3860] t=16'25
ピリス Maria Joao Pires (p)
1974年1〜2月、東京イイノ・ホール
CD [ACCENT ACC 8851/52 D] t=18'05
ヴェッセリノーヴァ Temenuschka Vesselinova (fp)
1990年2月 Vereenigde Doopsgezinde Kerk, Haarlem (オランダ)
アウクスブルクのシュタイン・モデル(1788)によるケレコム製(1978)フォルテピアノで演奏
CD [WPCC 4279] t=19'40
マトウ Tini Mathot (fp)
1990年5月20〜25日、ユトレヒト、 Eglise Maria Minor
フォルテピアノはリーン・ホスラー Rien Hasselaar 1983年製作。
CD [MEISTER MUSIC MM-1020] t=18'56
岩井美子 IWAI Yoshiko (p)
1996年1月5〜6日、神奈川伊勢原市民文化会館
CD [KKCC-524] t=21'18
シュタイアー Andreas Staier (fp)
2004年3月、ベルリン

〔編曲演奏〕
CD [PHCP-11026] II. t=5'04
シルヴァーマン Tracy Scott Silverman (vn, keyboard), Thea Suits Silverman (fl)
1995年
T. S. Silverman編曲

〔動画〕

〔参考文献〕

 

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2012/09/23
Mozart con grazia