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ピアノ・ソナタ 第11番 イ長調 K.331 (300i)

  1. Andante grazioso イ長調 6/8 主題と6変奏(第3変奏はイ短調、ほかはイ長調)
  2. Menuetto イ長調 トリオはニ長調
  3. 変則的なロンド Alla turca, Allegretto イ短調 2/4 複合三部形式
〔作曲〕 1783年 ウィーンかザルツブルク

第3楽章の「トルコ行進曲」が有名で、モーツァルトの作品としては『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』(K.525)と並んで最もよく知られている曲である。 ただし、曲の成立については(自筆譜は一部残っているが)はっきりしないところがあった。 アインシュタインは「1777年にマンハイムで書き下ろされたか、完成された」と言っていたが、だいたいは近年まで1778年の「パリ・ソナタ」の一つと考えられていた。 ヴィゼワとサンフォワの「これら4曲はパリの様式を表していて、パリでしか書けない作品だ」とする説をアインシュタインが採り入れた結果である。 そのため、ケッヘル第3版以降、イ短調(K.310)、ハ長調(K.330)、イ長調(K.331)、ヘ長調(K.332)の4曲はパリで書かれたとし、それぞれ K.310→300d、K.330→300h、K.331→300i、K.332→300k に位置づけられた。 もう少しあとの出版物でも、たとえば 1970年のオカールの本でも K.330 から K.333 までの4つのソナタはパリで作られたとしている。 しかしその後主観的な様式研究に対する批判が起こり、自筆譜を根拠とする実証的研究(すなわちプラートによる筆跡研究とタイソンによる紙の研究)が進んだお陰でこれらのソナタの位置づけが大きく変更されることになった。 すなわちプラートにより「早くても1780年夏」であるとされ、さらにその後、タイソンにより「1783年ウィーンか、その年のザルツブルク訪問中」と修正されるに至った。

3曲「ハ長調 K.330」、「イ長調 K.331」、「ヘ長調 K.332」はこのようにして見直され、「新全集」ではプラートとレームの編集者はこの成立時期を、1783年ウィーンか、またはその年にモーツァルトが新妻コンスタンツェを伴ってザルツブルクを訪問したときと推定している。 このような見直しにより、1784年6月9日にザルツブルクの父に宛てた手紙に書かれている

ところで、アルターリアから出版するために、クラヴィーアだけのための三つのソナタを渡したところです。 お姉さんに以前送ったものですが、最初のはハ長調、二番目がイ長調、三番目がヘ長調です。
[書簡全集 V] p.513
という内容とも符合し、1784年にウィーンのアルタリア社からこれら3曲が「作品 VI」として出版されたという事実と一致することになった。 オペラ『後宮からの逃走』(K.384)の近くに位置づけられ、したがって、アインシュタインによるケッヘル第3版の二重番号 K.330→300h、K.331→300i、K.332→300k はまったく意味がなくなった以上、改めて300番の終りか400番の初めに位置づけを変更しなければならないだろう。

おそらくこの3曲のピアノソナタはモーツァルトが弟子たちの教材として、また同時に出版による収入(2フローリン30クロイツァー)を当て込んで作曲したのだろう。 また、海老沢は「これら連作は、ウィーン移住後まもなく入手した同地のピアノ製作者アントーン・ワルターの楽器の音色や機能を前提として書かれたものと考えざるをえない」と言っている。 その中でこのイ長調ソナタは、様式的にも当時ウィーンで流行していたトルコ風のエキゾチックな雰囲気が共通する作品として、以前とはまったく別の新たな解釈がなされ、敢えてソナタ形式を持たないソナタに仕上げた作曲者のサービス精神がたっぷりと発揮されているようである。
fortepiano
ヴァルター作のフォルテピアノ
モーツァルトが1782年頃に買った中古品
ヴァルターはモーツァルトの注文により、そのピアノの下に置く足鍵盤ピアノを作ったという。

そうすると、パリで作曲されたならばシュタインの楽器を使って書いたことになりますが、ウィーン時代だとするとワルターの楽器を想定して書かれたといっていい。 そういわれてみれば確かにあれはウィーンの響きなんですね。 特に K.331 などは、ソナタ形式の楽章が全く含まれていないソナタで、第1楽章が変奏曲、第2楽章がテンポ・ディ・メヌエット、第3楽章がロンドでしょ。 これはソナタの慣例的なありきたりの定型を壊して、ウィーンの聴衆を愉しませるような工夫をしているというように、作品の意味も明らかになってくるし、様式が逆に外的条件から規定される。 そのことで作品像に変更がもたらされる。
[海老沢] pp.77-78
「アッラ・トゥルカ」(トルコ風に)という指定がついた終楽章は、文字どおりトルコ風の音楽。 トルコの軍楽隊が使う打楽器をイメージした箇所、たとえば『後宮からの誘拐』の中の「近衛兵の合唱」と音型、リズムともそっくりの箇所も出てきて、異国趣味に満ち、華やかで勇壮な雰囲気にあふれる。
[久元] p.106

なお、第2楽章主題はハ長調ソナタ(K.309 / 284b)第1楽章主題に似ているともいわれる。 第3楽章、嬰ヘ短調のパッセージCは霊感あふれる。

1991年1月、NHK-TVにおいてワルター・クリーン氏によるこの曲の解説と演奏指導が放映された。(30分×4回)

〔演奏〕
CD [COCQ-84578] t=22'16
クラウス (p)
1950年
CD [UCCD-7023] t=14'08
バックハウス Wilhelm Backhaus (p)
1955年
CD [DENON COCO-6605] t=15'25
クラウス (p)
1960年
CD [PHILIPS 17CD-8] t=24'52
ヘブラー Ingrid Haebler (p)
1963年4月
CD [CBS SONY 30DC-738] & [SONY SRCR 2625] t=18'38
グールド Glenn Gould (p)
1965-68年
CD [CBS SONY 25DC 5223] t=20'47
クラウス (p)
1967年
CD [DENON CO-3859] & [WPCC-5277] t=25'27
ピリス Maria Joao Pires (p)
1974年1・2月、東京イイノ・ホール
CD [PHILIPS PHCP-9251] t=24'40
グルダ Friedrich Gulda (p)
1977年
CD [PHCP-20328]
※上と同じ
CD [PHCP-10371] t=23'58
内田光子 (p)
1983年10月
CD [U.S.A. Music and Arts CD-660] t=23'41
キプニス Igor Kipnis (fp)
1986年10月
※グレプナー製フォルテピアノ使用
CD [ACCENT ACC 8851/52D] t=23'18
ヴェッセリノーヴァ Temenuschka Vesselinova (fp)
1990年2月
※アウクスブルクのシュタイン・モデル(1788)によるケレコム製(1978)フォルテピアノ
CD [KKCC-9049] t=23'50
チッコリーニ Aldo Ciccolini (p)
1990年
CD [KKCC-524] t=22'23
シュタイアー Andreas Staier (fp)
2004年3月、ベルリン

〔編曲演奏〕
CD [KICC 2376] t=
クナッパーツブッシュ指揮ヘッセン放送
1962年
※レーガー「変奏曲とフーガ作品132」
CD [BVCF-5003] (3) t=3'07
ニュー・ロンドン・コラール
1984年
CD [APOLLON APCZ-2006] III. t=7'37
セントラル・パーク・キッズ Central Park Kids
1990年4月
CD [SONY CSCR 8360] III. t=3'12
御喜美江 (classic accordion)
1990年9月、カザルス・ホール
CD [Victor VICC-104] III. t=2'29
モーツァルト・ジャズ・トリオ Mozart Jazz Trio
1995年4月
CD [PHCP-11026] III. t=4'31
フレック Bela Fleck (banjo)
1995年
CD [BICL 62193] I. t=3'31, III. t=3'31
近藤研二 (ukulele)
2006年

〔動画〕

〔動画〕トルコ行進曲

〔参考文献〕

 

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2012/09/23
Mozart con grazia