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ピアノとヴァイオリンのためのソナタのアレグロ K.372

〔編成〕 p, vn
〔作曲〕 1781年3月24日 ウィーン
1781年3月



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変ロ長調、未完 65小節。 旧全集ではピアノとヴァイオリンのためのソナタ第31番。 自筆譜に表題「ソナタ第1番」と書かれ、上記の日付がある。 のちに展開部と再現部の133小節をシュタトラーが補作し、1826年にアンドレから「遺作第4番」として出版された。

ミュンヘンで『イドメネオ』(K.366)上演のあと、ひとときの自由を味わっていたモーツァルトはコロレド大司教の命令を受けて、ウィーンに向かった。 3月17日、犬のようにヘトヘトになって到着したことをザルツブルクの父に伝えている。 大司教の従僕の一人という身分に過ぎなかったモーツァルトがその地で望んでいたのは「うまく皇帝に近づくこと」だった。 自分がいかなる人物であるかを知ってもらうためには皇帝の好みの音楽をみずから演奏してみせようと意欲満々であったが、一方の大司教はモーツァルト一人が目立つことは望んでいなかったし、自分の命令でモーツァルトは演奏したり、新曲を発表したりするのが当然と考えていた。 このような境遇にあったとき、この曲が構想され、そして完成されずに放置されたのである。

モーツァルト自身が「ソナタ第1番」と書き始めたからには、連作をまとめていずれ出版しようと考えていたに違いない。 この「第1番」を発表する機会としてモーツァルトは4月3日のウィーン音楽芸術家協会の演奏会(ケルントナートーア劇場)を想定していたようである。

3月24日、ザルツブルクの父へ
御存知の通り、当地には、音楽家の未亡人たちのために演奏会を催す協会があります。 およそ音楽家と呼ばれる人はみんな、そこで無料出演をします。 ・・・
シュタルツァーが依頼を受けて、ぼくに出演を頼んできました。 そこでぼくは早速に承諾しましたが、あらかじめそれについてわが主君の意見を聞いておかなくてはならない、と彼に言っておきました。 ・・・
ところが彼はそれを許してくれなかったのです。 ・・・
ぼくは協奏曲ではなくて(皇帝が前桟敷にいますから)、まったくひとりでプレリュードを弾いたでしょう。 そのために、トゥーン伯爵夫人がシュタインのすばらしいピアノフォルテを貸してくれたでしょう。
[書簡全集 V] p.19
この演奏会でモーツァルトはフォルテピアノという最新の楽器で自慢の腕を披露したいと望んでいたのだろう。 伴奏役のヴァイオリンはザルツブルク宮廷楽団員のブルネッティがつとめるはずだったのだろう。 しかし大司教が命じたのは協奏曲の演奏だった。 そのためこの曲を完成する必要がなくなり、結果として断片のまま放置されたと思われている。

余談であるが、上記3月24日の手紙では、ザルツブルク大司教は演奏会でモーツァルトの一人舞台による出演を許可しなかったように書いてあるが、その後モーツァルトの希望がかなえられたようである。 彼の我がままをある程度許容することで自分の配下につなぎとめておけると判断して大司教側が歩み寄ったのかもしれない。 4月3日の演奏会のプログラムは

1781年4月3日火曜日、ケルントナートーア近くの帝室王室特典劇場で、設立された音楽芸術協会のために「大音楽会」が催される。 その最初にザルツブルク大司教の尊き慈悲に仕える騎士ヴォルフガング・アマデー・モーツァルトの作曲による交響曲が演奏される。
次にモーツァルト氏はピアノ・フォルテの独奏をする。 彼はまだ7才の少年の頃当地にいたことがあるが、当時既に作曲に関する考え方だけでなく技巧一般、演奏の巧みさ、趣味の点で聴衆の大喝采を博していた。
[ドイッチュ&アイブル] pp.156-157
というもので、そこでは協奏曲ではなくウィーン宮廷楽長ボンノの指揮により交響曲『パリ』(K.297)が演奏されたらしいという。 また、モーツァルトがピアノ・フォルテで独奏した曲はわからないが、もしかしたら『私はランドールによる12の変奏曲』(K.354)だったかもしれない。 上記3月24日の手紙で
(ぼくが出演したら)、一つのフーガを、それから『私はランドル』の変奏曲を弾いたでしょう。 今までもそれを公開するたびに、最大の喝采を受けたものです。 それはいろいろと巧いコントラストがあって、だれでも気に入るところが見つけられるからです。
[手紙(上)] p.239
と書いているからである。 シュタイン製のフォルテピアノを華麗に自在に操るモーツァルト。 華やかなパリの雰囲気に魅了されるウィーンの貴族たちを前にして得意満面の演奏者の姿が目に見えるようである。 結局のところ、モーツァルトは自分の主張をかなり押し通して、皇帝の御前演奏でウィーンの聴衆に強いインパクトを与えることに成功したのではないだろうか。 この自信がまもなく5月に大司教のもとを離れ、ウィーンで独立することにつながってゆく。

〔演奏〕
CD [キングレコード KKCC-4123/4] t=1'59
オランダ・ソロイスツ・アンサンブル The Nederlands Solistenensemble
1992年

〔参考文献〕

 

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2012/03/18
Mozart con grazia