Mozart con grazia > ピアノのための小品 >
17
age
61
5
62
6
63
7
64
8
65
9
66
10
67
11
68
12
69
13
70
14
71
15
72
16
73
17
74
18
75
19
76
20
77
21
78
22
79
23
80
24
81
25
82
26
83
27
84
28

85
29
86
30
87
31
88
32
89
33
90
34
91
35
92

ピアノのための12の小葬送行進曲 K6.453a

  • Lento 2/2 ハ短調
〔作曲〕 1784年 ウィーン

16小節のまさに「小さい葬送行進曲 Kleiner Trauermarsch」。 ウィーンで、モーツァルトのピアノの弟子だったプロイヤー嬢(Barbara von Ployer 当時19才)の練習帳に「対位法の大家の葬送行進曲 Marche funèbre del Signor Maestro Contrapunto」と題された楽譜が書き留められてあったという。 1784年2月9日から始まったモーツァルト自身の「自作目録」には記載されていないが、やはりプロイヤー嬢のために書かれた「ピアノ協奏曲第17番ト長調 K.453」(これは「自作目録」の第5番として4月12日に記載されている)の冒頭と同じリズムで始まっていることから、同じ時期の作と思われている。 小さい曲でありながら、様々な技法を用いた大げさな内容が詰め込まれているので、真面目な葬送を風刺していると言われる。

しかし、対位法の大家(マエストロ対位法氏 Signor Maestro Contrapunto)とは誰を指すのであろうか。 ボローニャでマルティーニ神父が1784年8月3日に他界したことが関係しているのか。 それとも特定の人物はなく、真面目なおかしさを醸し出す冗談音楽としてモーツァルトが即興的に作ってみせたのか。 冗談と若い女性が好きで、そのためなら自分の才能を惜しみなく発揮するモーツァルトであるから、それも大いに考えられる。 プロイヤー嬢はなかなか優れた弟子だったが、単にピアノの生徒ではなく、対位法の作曲も習っていたというから、一緒に楽しんだのかもしれない。

なお、よく知られているように、翌1785年11月、モーツァルトは相次いで死去したメーソンの仲間(フォン・メクレンブルク公爵とエステルハージ伯爵)のために、同じハ短調で葬送曲(K.477)を書いている。

〔演奏〕
CD [EMI TOCE-11558] t=2'18
ギーゼキング Walter Gieseking (p)
1954年3月
CD [U.S.A. Music and Arts CD-660] t=2'18
キプニス Igor Kipnis (fp)
1986年10月、コネチカット州ウィルトン、St. Matthew's Episcopal Church
※グレプナー製フォルテピアノ(1793年)で演奏
CD [ミュージック東京 NSC207] t=1'55
カイト Christopher Kite (fp)
1990年
※シュタイン製フォルテピアノ(1784年)のレプリカ(Richard Sorenson, 1978年)で演奏
CD [BVCD 34037] t=2'14
ホグウッド Christopher Hogwood (hc)
2004年10月、ザルツブルク、モーツァルト生家
※1700年代後期のモーツァルト所有クラヴィコードで演奏

〔動画〕

〔参考文献〕


Home K.1- K.100- K.200- K.300- K.400- K.500- K.600- App.K Catalog

2019/01/20
Mozart con grazia