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ピアノ協奏曲 第21番 ハ長調 K.467

  1. Allegro maestoso ハ長調 4/4 ソナタ形式
  2. Andante ヘ長調 4/4 三部形式
  3. Allegro vivace assai ハ長調 2/4 ロンド・ソナタ形式
〔編成〕 p, fl, 2 ob, 2 fg, 2 hr, 2 tp, timp, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1785年3月9日 ウィーン
1785年3月

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自分の予約演奏会のために。 作曲の日付は自作目録に記載されたものである。 初演はその翌日、3月10日ブルク劇場で行われた。

1785年3月10日、木曜日、楽長モーツァルト氏は帝室王室国民宮廷劇場において自己のための大演奏会を催す。 彼は完成したばかりのフォルテ・ピアノ協奏曲を演奏する。 特に大型のフォルテ・ピアノ・ペダルが即興演奏に用いられる。 その他の作品は当日の大ポスターで見られたい。
[ドイッチュ&アイブル] p.175
このときの収入は559グルデンだったという。 「大型のフォルテ・ピアノ・ペダル」とは、モーツァルトがウィーンのコンサート用に特注した装置だという。
通常のピアノの下にもうひとつの脚のないピアノのような装置を置き、オルガンのように足でペダル板を踏むことによって演奏した。 モーツァルトは幻想曲を即興演奏するときやピアノ協奏曲を弾く際に、低音を補強するためにこれを用いた。
[全作品事典] p.175
この頃、モーツァルトはウィーンの売れっ子作曲兼演奏家として多忙をきわめていた。 父レオポルトが娘ナンネルに送った1月22日の手紙には次のように書かれている。
たった今、お前の弟から十行ばかりの手紙を受け取った。 その中に、最初の予約演奏会が2月11日に始まって、毎週金曜日につづけられること、四旬節第三週目の何曜かにはきっと劇場でハインリヒのための音楽会があって、私にすぐにも来いということ、この前の土曜日に6つの四重奏曲をアルターリアに売って、100ドゥカーテンを手に入れ、その曲を愛する友ハイドンやその他の親しい友人たちに聴かせたこと、が書いてある。 最後に、書き始めた協奏曲に、また取りかかります。 さようなら! とある。
[手紙(下)] pp.110-111
ここで「書き始めた協奏曲」とあるのは「ニ短調 K.466」である。 この後、レオポルトはウィーンを訪問し、実際に息子が大成功しているのを目にすることになる。 そして、その驚きと満足を娘ナンネルへ書き送っていて、その中には、ハイドンがレオポルトに直接「誠実な人間として神に誓って言いますが、あなたの息子さんは、私が名実ともに知っている最も偉大な作曲家です」と言ったことを伝える手紙もあることがよく知られている。 このような成功の慌ただしさの中にあって、モーツァルトの霊感はますます冴え、さらにまたフォルテピアノという新しい楽器からより高い音楽表現の可能性を見出し、ピアノ協奏曲のジャンルにおいて協奏曲の枠を越える交響曲のような双子の作品を生み出した。 それが「ニ短調 K.466」と「ハ長調 K.467」であり、のちの対照的な交響曲「ト短調 K.550」と「ハ長調 K.551」との関係に似た雰囲気を持っている。 すなわち、後者のハ長調にはジュピター交響曲 K.551 を彷彿とさせるギリシア的な晴朗さと構築の堅固さが感じられる。

第1楽章は管弦楽による行進曲風の主題で始まり、ピアノがそれに続く。 提示部ではト短調交響曲 K.550 の第1主題を想わせるエピソードが一瞬現われ、すぐ軽快なト長調の第2主題に移る。 100小節の中で20の転調がなされ、その絶妙な移ろいにオカールは言葉を失っているほどであるが、アインシュタインはその調性の妙について

ハ長調は決してやさしい調性ではない。 最も美しい平衡状態にあるのは、調性の確立とその確保が、まさしく調性の関係の豊かさによって保たれている場合、すなわちハ長調ピアノ・コンチェルト(K.467)である。 これはハ長調とト長調がいかに美しいかということを、この調性から繰り返し離れ、そこへ帰って行くことによって、飽くことなく立証しているのである。
[アインシュタイン] pp.230-231
と賞賛し、その第2主題には「芸術家として、人間としての経験の最後の獲得物たる第二の素朴を所有する偉大な人間にのみ可能な、最後の単純さを持つ」と最上級の賛辞を呈したうえ、次のように続けている。
このコンチェルト全曲、ことに暗い領域を貫いて明るみへ入ってゆく転調を持つ展開部は、モーツァルトの虹色に輝く和声法、彼にとってハ長調という調性が包括する範囲の広さを示す、最も美しい例の一つである。
同書 p.418
第2楽章は前曲「ニ短調 K.466」のよりもっとロマンチックな旋律がヴァイオリンで歌うように開始し、ピアノがそれを反復するように歌う。 長調でありながら哀しいというモーツァルト音楽の典型的な例であり、ランドンが「極めて定義しにくいモーツァルトの世界」というこの楽章のロマンチックな旋律は広く知られ、好まれている。
モーツァルト自身も、ある時の心の状態を、「悲しくもなければ嬉しくもない」と描写しているが、たとえばピアノ協奏曲ハ長調K467の第2楽章、あるいは最後のピアノ協奏曲変ロ長調K595のあの異様な第2楽章などは、われわれを一種の魔法の世界のような夢幻の国へ連れて行くのであるが、そこでは黒と白は混じりあって灰色となり、恋も悲しみも、午後の陽光も、すべてが一堂に会しているのである。
[ランドン] p.8
このあまりにも有名な楽章は、メシアンによれば「モーツァルトの音楽の、全音楽の最も美しいページの一つ」と称されているが、その上で、オカールは次のように表現している。
豊かでニュアンスに富んでいるオーケストラは不思議なエートスをつくり出し、その神秘的な強度がピッツィカートで奏される上昇分散和音の呪文めいた拍動によってたえず補強される。 このアンダンテには旋律性豊かな素晴らしいフレーズが走りぬけるのだが、それがその拍動を越えて繰り広げられるとはいえない。 各主題(この単一のフレーズの有機的な部分)が互いにほとんど区別されないからだ。 主題はゆっくりと旋回しながら出発点に連れ戻される。 しかし、流れ前進するのは、常に変化をあたえられる一つの波なのだ。
[オカール] p.107
この美しい旋律は、オカールによると、三つ目の(ヘ短調の)楽節の悲しみにおいて最高度の充実に達し、四つ目の(ヘ長調の)楽節のカデンツァの弱まりによって鎮められる。 モーツァルトは約23曲のピアノ協奏曲を書いたが、そのうち短調作品は2曲、第20番ニ短調(K.466)と第24番ハ短調(K.491)だけである。
ベートーヴェンやE.T.A.ホフマン、あるいは初期のロマン派の音楽家たちを感動させたのは、モーツァルトのこうした力強いというか荒々しいまでの側面である。 しかしモーツァルトにおけるロマンティシズムは、怒れるハ短調とか、暗く宿命的なニ短調ばかりとは限らない。
[ランドン] p.142
ランドンは「モーツァルトの最もロマンティックな側面は、ほとんどの場合、静かな、小さな声で語られる」といい、この第2楽章について次のように続けている。
揺れ動く多面性を持つ緩徐楽章であるが、ここでの強弱記号はほとんど f が使われておらず、両端楽章で使われるティンパニやトランペットも使われていない。 この陰翳を帯びた、深い憂愁に満ちたモーツァルトの一面は、ハ長調のシンフォニーや協奏曲に見られる華やかな威厳とか、『ドン・ジョヴァンニ』『レクイエム』に使われる畏怖に満ちたニ短調と同じように真実で、彼の特質となっているものである。

第3楽章の踊り跳ねるような楽想のロンド風フィナーレには、せっかくの美しい旋律にまどろんでいた直後に、突然揺り起こされた思いがして戸惑うが、オカールは次のように解説している。

フィナーレのリフレインの主題は私たちを突然オペラ・ブッファのただなかに投げ込む。 一部の者たちのように、このことを嘆かわしく思うべきだろうか。 それどころか、モーツァルトがアンダンテの凝縮のあと、やがて『フィガロの結婚』と『コシ・ファン・トゥッテ』とともに偉大な思想的深みをもたらしてくれる音楽言語の明るく輝くくつろぎに身を任せているのは、きわめて意味深長である。 重々しいところや気取ったところがまったくないこのフィナーレの簡潔で力強い快活さが、そのくつろぎにいささかも対立しない。
[オカール] p.108

自筆譜はピアモント・モーガン図書館(ニューヨーク Heinemann コレクション)にある。 そこには「1785年2月」と記されているという。 モーツァルトはこの曲にカデンツァを書き残し、それをウィーン滞在中の父レオポルトがザルツブルク帰郷の際、持って行ったと思われるが、そのカデンツァは残っていない。

Elvira Madigan

余談であるが、この曲の第2楽章の美しい旋律は1967年のスウェーデン映画『みじかくも美しく燃え』で使われた。 そのため、主人公の名前(映画の原題でもある)「エルヴィラ・マディガン Elvira Madigan」が、この協奏曲のあだ名として呼ばれることがある。

〔演奏〕
CD [WING WCD 46] t=27'54
ヘス Myra Hess (p), ストコフスキ指揮ニューヨーク・フィル
1949年2月、ニューヨーク、カーネギーホール
CD [DENON 28C37-31] t=27'47
グルダ (p), スワロフスキー指揮ウィーン国立歌劇場
1963年
CD [PHILIPS PHCP-10144] t=29'03
ヘブラー (p), ロヴィツキ指揮ロンドン交響楽団
1968年1月、ロンドン
※カデンツァはヘブラー
CD [ANF S.W. LCB-137] t=26'35
カーゾン (p), クーベリック指揮バイエルン放送
1976年
CD [Venus TKCZ-79232] t=28'35
ブルメンタール (p), ハーガー指揮モーツァルテウム
CD [PILZ 9302] t=27'12
ジウリーニ (p), リッツィオ指揮モーツァルト・フェスティバル
CD [ロイヤル・クラシック CD 6412 (RC8)] t=30'46
エッシェンバッハ (p) 指揮ロンドン・フィル
1979年頃
※カデンツァはエッシェンバッハ
CD [PHILIPS GPA-2009] t=26'15
ブレンデル (p), マリナー指揮アカデミー
CD [ポリドール GCP-1029] t=30'14
ゼルキン Rudolf Serkin (p), アバド指揮ロンドン交響楽団
1982年10月、ロンドン
※カデンツァはゼルキン
CD [AVCL-25662] t=26'20
ヤンドー (p), リゲティ指揮コンツェントゥス・ハンガリクス
1989年6月、ブダペスト
※カデンツァはカサドシュ

■ 第2楽章編曲演奏
CD [BVCF-5003] (2) t=3'48
ニュー・ロンドン・コラール
1984年
CD [PHILIPS PHCP-10120] (2) t=5'14
ザンフィル (panpipe)
1986年
CD [AVCL-25662] (2) t=8'00
西崎崇子 (vn), ヴィルトナー指揮カペラ・イストロポリターナ
1990年4月、ブラティスラヴァ
※サン・サーンス編曲
CD [APOLLON APCZ-2006] (2) t=10'04
セントラル・パーク・キッズ
1990年
CD [Victor VICC-104] (2) t=4'42
モーツァルト・ジャズ・トリオ
1991年
CD [PHCP-11026] (2) t=6'20
カーティス (p)
1995年
CD [BICL 62193] (2) t=5'03
近藤研二(ウクレレ)
2006年
CD [PCCY 30090] (2) t=4'16
ディール (p), ウォン (bs), デイヴィス (ds)
2006年3月、ニューヨーク

〔動画〕

■ 第2楽章演奏

〔参考文献〕


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2014/11/23
Mozart con grazia