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ピアノ三重奏曲 第4番 変ロ長調 K.502

  1. Allegro 変ロ長調 4/4 ソナタ形式
  2. Larghetto 変ホ長調 3/4 ロンド形式
  3. Allegretto 変ロ長調 2/2 ロンド・ソナタ形式
〔編成〕 p, vn, vc
〔作曲〕 1786年11月18日 ウィーン
1786年11月


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オカールによれば、1786年はモーツァルトの音楽的生涯のうちで最も輝かしい年の一つである。

しかしながら、生活上の出来事という面では先行きがだんだん暗くなる。 まず、観衆の無関心。 彼は K.503 の作品で、偉大な協奏曲の系列に終止符を打つ。 6つのピアノ四重奏曲の連作は2番目で中断される。 彼は出版社にそれが人気を博さないと告げられたからだ。 『フィガロの結婚』の最初の成功は陰謀家たちによって排斥されたが、皇帝も彼らの肩をもつことを拒まなかった。 金銭的な困難もだんだん切迫してくる。
[オカール] pp.111-112
遡って、モーツァルトがザルツブルクとのいっさいの縁を断ち切ってウィーンで独立することを決心したとき、先行きを心配する父に対して、夢と希望にあふれ、才能ある若者なら誰もが口にすることを手紙に書いていた。
1781年6月2日
ヴィーンの人たちは、確かに、人をやっつけることが好きです。 でもそれは劇場でだけのことです。 それに、ぼくの専門がここではとても好まれていますから、ぼくはちゃんとやって行けます。 ここは本当にピアノの国です。 それなら、それを認めてやろうではありませんか。 それが駄目になることがあるとしても、何年か後のことで、それより前ということはありません。 その間に名誉とお金が得られます。
[手紙(上)] p.275
そして確かにザルツブルクでの給与の2倍以上の収入を得て、大成功を収めている。 しかし、この三重奏曲が書かれた頃から風向きが変ってくる。 モーツァルトが「何年か後のこと」と考えていた現実が目の前に迫ってきていたのである。 ソロモンは「どういうわけか、彼の異例なほどの高収入は蒸発してしまったのである」と言い、
ウィーンでの大成功に目の眩んだモーツァルトは、将来まさかの時のための金を別にしておかねばならぬとは思いもしなかった。
(中略)
ウィーンに住んでから三年ないし四年の間に、モーツァルトは自分が好きなようにする自由を味わい、自らコンサートの興行主となって事業を成功させ、利益を収穫する自由を味わってきた。 しかしここに至って再び、ウィーンでの音楽市場を中心にしているコンサート興行主や劇場の支配人たちの傘下に組みこまれることになった。 そして、再び、プロデューサー、出版社、貴族などからもらう金を当てにして生きる身となったのである。 本人はまだ気がついていなかったが、モーツァルトが個人事業主だった時代はすでに終っていた。
[ソロモン] p.468/p.477
と、この間の収支を詳しく調べた末に結論づけている。 やがて彼は、メーソンの同志ホフマイスターに最初の借金(1785年11月20日)を請い、その後はやはり同志のプフベルクに死の年まで借金するようになったのはよく知られている通りである。 モーツァルトは演奏会での収入で生活を維持しつつ、大作(オペラ)によって一気に挽回しようと考えていた。 このような状況の中で、演奏会に役立てるために、1786年においても、さまざまなジャンルの曲を大量に書いていることが自作目録に見ることができる。

ピアノ三重奏曲第3番ト長調 K.496 の4ヶ月後に書かれたこの作品では、弦はピアノと対話する本格的な三重奏曲となって完成している。 そのため、このジャンルでは第5番ホ長調 K.542 と並ぶ名作(アインシュタインによれば「このジャンルの最大傑作の2曲」)と評価が高い。

ピアノ三重奏曲の枠内で表現すべきいっさいをコンチェルト風に表現している。
第1楽章は調性だけでなく主題においても、1784年のピアノ・コンチェルト(K.450)と親近性を持っている。 そのラルゲットは、どれかのピアノ・コンチェルトの深い感情のこもった緩徐楽章を室内楽的なものへ移したように聴える。 そしてフィナーレはピアノ・コンチェルトのロンドのように、弱音の独奏部と応答する強音のトゥッティではじまる。 もちろんその際、室内楽的な精緻さは忘れられていない。 どの小節にも新鮮さと案出の高貴さがあり、輝かしいものと親密なものとの、《労作》と《ガラントなもの》との対立を、戯れつつ統一へと融合させる神技の幸福が感じられる。
[アインシュタイン] pp.358-359
1784年のピアノ・コンチェルトとは、ピアノ協奏曲第15番 変ロ長調 K.450 であり、その楽章構成と調性は、Allegro(変ロ長調)〜Andante(変ホ長調)〜Allegro(変ロ長調)のように平行している。 また、この三重奏曲の中間楽章については、ヘルヤーも
ラルゲットの壮麗な美は、モーツァルトがほんとうに真のロマン主義者であったことを示している。 その晴れやかな旋律は、ある種のシューベルトの音楽を髣髴とさせるほどに長大、雄大で、後期のピアノ協奏曲の中に置いても場違いではないだろう。
[全作品事典] p.355
と賞賛している。

この三重奏曲は、1788年に、「第5番ホ長調 K.542」と「第6番ハ長調 K.548」とともに「作品15」として、ウィーンのアルタリアから出版された。

〔演奏〕
CD[EMI CHS 7697962] t=22'26
クラウス Lili Kraus (p), ボスコフスキ Willi Boskovsky (vn), ヒューブナー Nikolaus Hübner (vc)
1954年、ウィーン楽友協会ホール
CD[NSC175] t=26'48
ニコルソン Linda Nicholson (fp), ハジェット Monica Huggett (vn), メイソン Timothy Mason (vc)
1983年4月
CD[TKCC-15110] t=21'44
ズスケ (vn), オルベルツ (p), プフェンダー (vc)
1988-89年
CD[TELDEC 4509-99205-2] t=22'36
シフ András Schiff (fp), 塩川悠子 (vn), ペレニ Milós Perényi (vc)
1995年1月、ザルツブルク、モーツァルテウム
CD[EMI TOCE-55837/38] t=22'50
バレンボイム Daniel Barenboim (p), ズナイダー Nikolaj Znaider (vn), ズロトニコフ Kyril Zlotnikov (vc)
2005年9月、ベルリン

〔動画〕

〔参考文献〕


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2015/03/01
Mozart con grazia