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田園舞曲「ご婦人の勝利」 K.607 (605a)

  • 変ホ長調、4分の2拍子
〔編成〕 fl, ob, fg, 2 hr, 2 vn
〔作曲〕 1791年2月28日 ウィーン
1791年2月

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ウィーン宮廷の侍従長フォン・ローゼンベルク伯爵(Franz Xaver Wolf Graf Rosenberg-Orsini, 1723-96)の上申書に基づき、「ローマ帝国皇帝にしてハンガリー、ボヘミア王、オーストリア大公」ヨーゼフ2世(1790年2月没)の特別の慈悲による計らいで宮廷音楽家に(1787年末に)採用が決まったモーツァルトの仕事は宮廷舞踏会用のダンス音楽を作ることだった。

ウィーン宮廷が決まった時期に、しかも多量に必要とした音楽のジャンルの一つに、謝肉祭の折に王宮の大小のホールで催される宮廷舞踏会のための舞曲があった。 1791年の舞踏会は、主の御公現の祝日(1月6日)に始まった。
[ランドン] pp.61-62

この曲は自作目録に2月28日の日付で「6つのレントラー K.606」とともに記載された。 自筆譜(現在行方不明)では16小節4部から成るが、53小節までの断片。 残りは紛失。 当時の売れっ子作家アンフォッシ(Pasquale Anfossi, 1736?−97)のオペラ・ブッファ『ご婦人の勝利 Il Trionfo delle Donne』から主題を得て作曲。 そのオペラは1786年5月にウィーンで初演されていた。 なお、モーツァルトは1783年にアンフォッシのオペラ『軽はずみな変り者』のためにアリア(K.418, 419, 420)の作曲を手伝っていることも知られているが、もっと早い時期から、イタリア・オペラの作曲の際に、アンフォッシのオペラを詳細に研究していた。

〔演奏〕
CD [キング KICC 6039-46] t=1'23
ボスコフスキー指揮ウィーン・モーツァルト合奏団
1965年
※スミス補筆完成。
CD [POCG 50023] t=1'14
オルフェウス室内管弦楽団
1989年12月、ニューヨーク
CD [UCCG 6010] t=1'14
※上と同じ
CD [CRCB-3011] t=14'24
ハーゼルベック指揮ウィーン・アカデミー合奏団
1990年1月、オーストリア、アイゼンシュタット
11曲のコントルダンスと合わせて

〔動画〕

〔参考文献〕


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2015/03/08
Mozart con grazia