Mozart con grazia >ピアノ協奏曲 >
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K.242 ピアノ協奏曲 第7番 ヘ長調 「ロドロン」

  1. Allegro ヘ長調 4/4 協奏風ソナタ形式
  2. Adagio 変ロ長調 4/4 ソナタ形式
  3. Tempo di Menuetto ヘ長調 3/4 ロンド形式

〔編成〕 3 p, 2 ob, 2 hr, 2 vn, va, bs
〔作曲〕 1776年2月 ザルツブルク

1776年2月



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3台のピアノのためという極めて珍しい構成の協奏曲。 ザルツブルクの貴族エルンスト・フォン・ロドロン伯爵夫人マリア・アントニア(旧姓アルコ)とその二人の娘アロイジアとヨゼファのために書かれ、通称「ロドロン協奏曲」と呼ばれる。 捧げた3人の技量に合せて、曲は平易に作られ、特にヨゼファのための第3ピアノの負担は軽く、旋律の強化や他の2台に付き添うように書かれている。 華やかな社交の場にふさわしい雰囲気の作品であり、このような作曲の動機から、アインシュタインはこの曲を「ただ《ガラントな》だけである」と切り捨て、「23曲あるピアノとオーケストラのためのコンチェルトのなかで、完全に《標準価値のある》ものとみなすことのできない唯一の曲」と極端に低い評価を与えている。 その原因として「モーツァルトがこれを書いたのは、自分自身ないし有能な女流独奏者のためではなく、伯爵家の三人の女性ディレッタントのためであった」ことをあげているが、力量の異なる3人が楽しく演奏できる曲として他に類を見ない非常にユニークな作品であり、これ以上のものを誰が作りえたであろうか。 オカールは「もう一つの新しい音楽言語である清澄な印象主義」に注視し、

中心部では、アダージョの展開部の7小節が純粋な夢幻の世界に通ずるミュジック・コンクレート的な流れをつくり出している。 その秘やかな音のせせらぎが同じアダージョの終わりのほうでもう一度取り上げられている。
[オカール] p.51
と指摘し、一定の評価を与えている。

よく知られているように、1777年9月23日、モーツァルトは母と二人で就職活動のためパリを目指してザルツブルクを出発。 途中、父レオポルトの生地アウクスブルクでモーツァルトはフォルテピアノという新しい楽器と出会い、衝撃を受ける。

1777年10月17日
さっそくシュタインのピアノから始めます。 シュタインの仕事をまだ見ていないうちは、ぼくはシュペートのピアノがいちばん好きでした。 でも今ではシュタインの方がまさっていると言わざるをえません。 この方がレーゲンスブルク製のものよりも、いっそう共鳴の抑えが利くからです。 強く叩くと、指をのせておこうと離そうと、鳴らした瞬間に、その音は消えてしまいます。 思いどおりに鍵盤を打っても、音はいつも一様です。 カタカタするとか、強くなるとか弱くなるとかということはなく、まして音が出ないなどということはありません。 一言で言えば、すべてが一様なのです。
[手紙(上)] p.70
フォルテピアノの製造家として有名なシュタインがちょうどその楽器3台を完成したばかりで、その楽器を使ってこの協奏曲を演奏するという絶好の機会がすぐ催された。
1777年10月


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明10月22日水曜日、騎士モーツァルトはフッガー伯爵家の広間で演奏会を催す。 諸経費のために入場料は一等席1フローリン、二等席は30クローネ。 曲はすべてモーツァルトの作曲になるもので、次の通りの予定。 一、様々な楽器による交響曲。 二、3台のピアノフォルテによるクラヴィーア協奏曲。 非常にめずらしい構成であるが偶然にめぐまれて演奏される。 三、無伴奏のクラヴィーアソナタ。 四、簡単なクラヴィーア協奏曲。 五、もし時間があれば教会様式の自由なフーガによる幻想曲。 六、終りの交響曲。 モーツァルト氏は当地の人々が数時間心から楽しみを得られるよう、最大の努力をするであろう。
[ドイッチュ&アイブル] p.133
このとき、第一クラヴィーアをオルガン奏者デムラー(Johann Michael Demmler, 1748-85、当時29才)、第二をモーツァルト(21才)、第三をシュタイン(49才)が弾いた。
フォルテ・ピアノでの演奏は、まことに小気味よく、まことに純粋であり、まことに表情に富みながらも、しかも同時にまことに異常なほど早く、まずなにに注目すべきものか誰にも分からず、すべての聴き手は恍惚としたものであった。 ここには楽想の傑作あり、演奏の名妓あり、楽器の扱いの名品あり、しかもそれらすべてが一体となっていた。 その一つが他のものをこの上なく高めたがために、多くの聴衆が不満に思うものは、彼らの満足がもっと長くは続かなかったということ以外なにひとつなかったのであった。
[書簡全集 III] p.181
ところで、アウクスブルクでモーツァルトにはシュタインのフォルテピアノと並んで、もう一つの重要な出会いがあった。 すなわち従妹のテークラ(当時19才)であるが、この協奏曲とはまったく関係ないので、ここではその話を飛ばして先へ進むことにしよう。

モーツァルト母子はさらに旅を続け、1777年10月30日、マンハイムに到着し、そこに4ヶ月半も滞在する。 長期滞在になったのにはマンハイム楽派の優れた演奏法に接したことで、そこで親しく交際した人たちに歌手のアントン・ラーフ、フルート奏者ヨハン・バプティスト・ヴェンドリング、オーボエ奏者フリードリヒ・ラムなどがいる。 またアロイジア・ウェーバーとの出会いが大きかったこともある。
1778年3月






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息子の無計画な行動に苛立って、父レオポルトは一刻も早くパリへ旅立つよう厳命し、モーツァルトは後ろ髪をひかれる思いでマンハイムを離れるが、その直前の1778年3月12日にはカンナビヒ邸で、3人の若い女性でこの協奏曲が演奏された。 ローザ・カンナビヒ(Rosina Theresia Petronella Cannabich, 1764-?、当時14才)が第一、アロイジア・ウェーバー(18才)が第二、テレーゼ・ピエロン(Therese Pierron、15才)が第三を弾いた。 そのときは、「3回練習して、とてもうまく演奏できた」とモーツァルトは伝えている。

モーツァルトは3月14日にマンハイムをたち、10日かかって目的地パリには23日に到着している。

のちにモーツァルトはその第3ピアノをカットして、2台のピアノのための協奏曲に作り直した。 それを1780年9月3日ザルツブルクで姉ナンネルと二人で演奏している。 ただし、その2台のピアノのための編曲自筆譜の所在は不明。 1781年6月27日ウィーンからザルツブルクの父へ「2台のクラヴィーアのための協奏曲を写譜して至急送ってください」と頼んでいるので、その自筆譜があったことは知られている。 ウィーンに出たモーツァルトはピアノの弟子(トゥーン伯爵夫人、アウエルンハンマー嬢)と共演するために2台用の編曲を演奏会で使っていたのである。

自筆譜はベルリンの Deutsche Staatsbibl.にあるという。 写本(パート譜は父レオポルトの筆、訂正が本人の筆になる)がアメリカのスタンフォード大学 Memorial Library of Music にある。 また、第1と第2楽章に第3ピアノのためのカデンツァがあるが、その所在は不明。

〔演奏〕
CD [ポリドール F28L-28067] t=23'22
アシュケナージ Vladimir Aschkenazy (p), バレンボイム Daniel Barenboim (p), ツォン Fou Ts'ong (p), バレンボイム指揮イギリス室内管弦楽団
1972年4月、ロンドン
CD [TELDEC WPCS-10098] t=23'19
カール・エンゲル Karl Engel (p), ティル・エンゲル Till Engel (p), ハーガー Leopolt Hager (p, cond) 指揮ザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団
1978年頃
CD [PHILIPS PHCP-101] t=25'08
ラベック姉妹 Katia Labesque (p), Mariell Labesque (p), ビシュコフ Semyon Bychkov (p, cond)指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1989年2月、ベルリン

〔動画〕
[http://www.youtube.com/watch?v=JOhVmHqaUlY] (1) t=9'03
[http://www.youtube.com/watch?v=4Rgda62Sscg] (2) t=8'12
V.Sofronitsky (fp), L.Nicholson (fp), M.Aschawer (fp)
fortepiano by Paul McNulty after Anton Walter
[http://www.youtube.com/watch?v=g-1LEQwGhVo] (1) t=8'20
Solti (p,cond), Barenboim (p), Schiff (p)
[http://www.youtube.com/watch?v=YJj49TikZxI] (1) t=6'17
A.Romanovsky (p), A.Nosè (p), A.Muzà (p), Ola Rudner (cond), Haydn Orchestra of Trento and Bolzano
[http://www.youtube.com/watch?v=-HpG6QmM76w] (3) t=6'04
Vladimir Ashkenazy (p), Daniel Barenboim (p,cond), Fou Ts'ong (p), English Chamber Orchestra
※音源はCD[ポリドール F28L-28067]と同じと思われる。


ロドロン伯爵夫人

ザルツブルクの世襲地方大臣エルンスト・フォン・ロドロン伯爵(Ernst Maria Joseph Nepomuk Graf Lodron, 1716-97)の後妻となった夫人マリア・アントニア(Maria Antonia, 1738-80)。 旧姓アルコ。 二人の娘アロイジア(Aloisia, 愛称 Louise)とヨゼファ(Giuseppina, 愛称 Josepha)がいた。 この協奏曲 K.242 は苦虫かみつぶした表情の男性によってではなく、やはり若い女性によって明るく華やかに演奏されるのが似合っている。 なお、この曲のほかに、モーツァルトは伯爵夫人マリア・アントニア(の霊名の祝日用)のために3曲のディヴェルティメントを書いている。


〔参考文献〕

 

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2011/12/11
Mozart con grazia