Mozart con grazia > 年代記 > 1768年
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1768年

12歳

1月

9日、ブリュノを出発。

10日、ウィーン着。

16日、ウィーンで

を作曲。 モーツァルトのシンフォニーとして初めて、この曲からトランペットとティンパニが登場。 メヌエット楽章を除いた部分をオペラ「ラ・フィンタ・センプリチェ」序曲に使っている。

この頃

を作ったらしい(アインシュタイン説)。

19日、宮殿で女帝マリア・テレージアに謁見。1月末、皇帝ヨーゼフ2世の勧めでオペラ「ラ・フィンタ・センプリーチェ」を作曲し始める。

4月

4月から6月にかけて、ウィーンで、ヨーゼフ2世の依頼による を完成。 交響曲第7番K.45を改編してこのオペラの序曲とした。

3年に及ぶ西方への大旅行は大成功だったが、このウィーン旅行の方は実りがなかった。 オペラ「見てくれのばか娘」に対してもウィーンの音楽界の妨害があり、父レオポルトは皇帝に訴えたほどだった。 結局このオペラのウィーン上演はならず、初演は翌1769年ザルツブルクにおいてとなる。

5月〜6月

ウィーンで を作曲。 聖霊降臨祭の典礼に奉献するためと「孤児院ミサ」習作のためとの2説ある。 約2年前の奉献歌K.34と比べて格段に進歩を遂げている。

この頃

を作っていたらしい。 ニッセンの記述によると、医師アントン・メスメルの依頼で。ただし作曲時期や動機は不明。 台本はジャン・ジャック・ルソーの「村の占師」や、そのパロディー化したファヴァール・アルニーの「バスティアンとバスティエンヌの恋」。

7月〜8月

ジングシュピール「バスティアンとバスティエンヌ」の第11曲アリア「いとしい人のきれいな頬を」の歌詞を変え、ピアノ伴奏にして を作曲。

9月

1日、ウィーンで を作曲。 1925年に自筆譜が一緒に閉じられて発見され、ヴァイオリンとチェロの二重奏ソナタと推定されている。

21日、レオポルトはオペラ「見てくれのばか娘」に対する妨害について、皇帝に「供述書」を書いて訴えた。 このとき今までにヴォルフガングが作曲した作品目録を作ったという。 この最初の「モーツァルト作品目録」は姉ナンネルが1799年にライプツィヒのブライトコップ&ヘルテル社に送られ、現在はパリ国立図書館にある。

この頃、パールハマー氏の依頼により

を作曲したらしい。 12月7日ウィーンのレンヴェークの孤児院の新教会献堂式のためのものらしい。

10月

10月か11月、レンヴェークの孤児院の新教会献堂式のため を作曲。

同じ頃

を作曲。 目的は不明。

11月

ウィーンで、かつて 天然痘にかかたとき治療してくれたオルミッツの医師ヴォルフのために を作曲。 これは最初の歌曲で、またフリーメーソンの歌詞による最初の曲でもある。

12月

7日、レンヴェークの孤児院の献堂式が皇帝列席で行われ、ヴォルフガングの作品 が演奏され、賞賛を博した。

13日、ウィーンで

を作曲。 目的は不明。

12月末、モーツァルト一家はウィーンを離れ、メルク、リンツを通り帰郷の途に着いた。 ザルツブルクに戻るのは翌1769年1月5日。


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2000/12/23
Mozart con grazia