Mozart con grazia > 年代記 > 1783年
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1783年

27歳

1月

4日、コンスタンツェの病気が快方に向かったらすぐに結婚すると決心し、結婚後、彼女を父と姉に会わせるために、「ハ短調ミサ曲 K.427」を持ってザルツブルクへ旅行することを父に伝えた。 そして父や姉との冷めていた関係を一気に解決しようと思っていたに違いない。

8日から11日頃、アロイジア・ランゲ夫人に

を作曲。

2月

5日、ドイツ語オペラを書きたいと、ゴルドーニの喜劇「二人の主人の召使」を選び、父に「どの国民にもその国のオペラがあり、我々がドイツ語オペラを持つことは何故いけないのか?」と訴えた。 ただし、この計画は実現しなかった。 このとき作っていた「ドイツ語喜歌劇 K.416a」は紛失してしまったが、そのアリアの一部 が残っている。

15日、前年7月に大急ぎで作ったハフナー・セレナーデの総譜をザルツブルクの父から送り返してもらったことの礼状を書いた。 急いで作ったせいで曲の内容を忘れていたのか、送られた自作を見て、その出来に自ら驚いている。 それを新しい交響曲に作り替え、3月23日の音楽会で演奏しようとした。

1783年3月





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3月

3日、謝肉祭の月曜に、 を上演した。 これには、アロイジアがコロンビーナ役を、モーツァルトはアルルカン、義兄ランゲがピエロ、ダンス教師のメルクがパンタローネ、画家のグラッシが医者を演じたという。

11日(ウィーン)、ランゲ夫妻が劇場で演奏会を開き、モーツァルトは「ピアノ協奏曲 K.175」を弾いた。 劇場は大入で、拍手が鳴り止まず、アンコールに「ロンド K.382」をもう一度弾いたほどだった。 さらに、「パリ交響曲 K.297」も演奏された。 アロイジアはアリア「どこから来るのか私は知らない K.294」を歌った。 演奏会に来ていたグルックは、交響曲とアリアをいくら誉めても誉め足りない様子で、モーツァルトを次の日曜に食事に招待してくれたという。

23日、ブルク劇場で音楽会が催された。 モーツァルトはフォルテ・ピアノで協奏曲と幻想曲を演奏した。 ヨーゼフ2世も聴きに来て、すばらしいコンサートに感激し、モーツァルトに25ドゥカーテンを贈った。 このとき、当時コミック・オペラ作家として活躍していたパイジェルロのオペラ「哲学者気取り」の中の「主よ、幸いあれ Salve tu, Domine」を主題にした

を即興した。

4月

12日、父へ
少し暖かくなったら、屋根裏を探して何かお父さんの教会音楽を送って下さい。 恥ずかしがることはまったくありません。スヴィーテン男爵やシュタルツァーも、お父さんや僕と同様、好みはたえず変っていくし、そうした好みの変化は教会音楽にまで及んでいくことも、真の教会音楽が屋根裏にしまいこまれ、ほとんど虫喰いになるということをよく知っています。

5月

3日、父へ
天気がいいので、早く帰宅する決心がつきません。 プラーター公園にいると、とても気持ちがいいのです。 僕らは外食して、こうして晩の8時か9時までいます。 僕らというのは、つまり妊娠している妻と、妊娠してはいないが肥えて健康なその夫です。 あれこれ作曲やアリアの変奏のことは、今日は勘弁して下さい。 プラーターではそれはできません。この好いお天気を、愛する妻のためにもフイにするわけにはいきません。

7日、 父へ手紙を書き、100冊以上のオペラの台本に目を通したが、一つとして満足できるものはないと伝えている。 モーツァルトはただ作曲と演奏だけの天才ではなく、ものすごく研究熱心で、人並み外れた読書家でもあった。 また、ダ・ポンテがモーツァルトに新作を書いてくれると約束したらしい。

27日、親友のロイトゲープに

を作曲。 楽譜には「ヴォルフガング・アマデ・モーツァルト、ロバ、牡牛、馬鹿のロイトゲープを憐れむ」と記しているほか、青・赤・緑・黒などの色とりどりのインクで書き分けてあるという。 さらに出来上がった楽譜を床の上にばらまいて、それをロイトゲープに順序よく拾わせる悪ふざけをしたと伝えられている。

この頃、

を作曲。 ウィーン時代唯一の、ミサ通常文に基づくこの作品は、新妻コンスタンツェを連れてザルツブルクへ行く際、この曲を持って行き、故郷の教会に奉献しようと考えて作られた。 ただし、結婚が延び、種々の事情でザルツブルクへ行けず、作曲は完成しなかった。

6月

中旬、ハイドン・セット第2番にあたる を作曲。 これは、セット中、唯一の短調作品。

17日、ウイーンでモーツァルトに長男が誕生した。 祖父の名をとって、ライムント・レオポルトと名付けたが、2ヶ月後の8月19日に死亡する。

20日、アンフォッシのオペラ「余計なお世話(軽はずみな変り者)」に出演したクロリンダ役のアロイジアのために

を作曲。 モーツァルトの曲だけが受けたので、サリエリが妬んで中傷したと父へ手紙で(7月2日)知らせている。
なお、アリア「ああ、明したまえ、おお神よ」にはクラヴィア版のみ現存する K.178 (417e)もある。

21日、同じくアンフォッシのオペラ「軽はずみな変り者」に出演したアダムベルガーのために、ロンド風の

を作曲。

ルドウィヒ・フィッシャーに(?)

を作曲。 メタスタージオ詞「テミストクレ」から。

6月か7月?、ハイドン・セット第3番にあたる

を作曲。

7月

月末、長男ライムントを乳母に預け、妻を連れてザルツブルクに出かけた。 妻を父と姉に紹介し、気まずくなった関係を修復しようと思っての帰郷だった。 しかし、コンスタンツェはあまり温かく迎えられなかった。

9月

3日、パリでアメリカとイギリスの講和条約が調印された。 これにより1764年にイギリス製品のボイコットに端を発し、1775年にレキシントンで植民地民兵がイギリス軍と戦闘を開始してから始まったアメリカの独立革命が達成された。 そして6年後の1789年7月14日にはフランス革命が起きる。 ヨーロッパではパリを中心に貴族社会が崩壊しつつあった。

28日、ザルツブルクで盲目のクラヴィア奏者マリア・テレジア・パラディスに会う。

この年の夏、ウィーンで2つの舞曲が作られたらしい。

10月

7月から10月にかけて(ザルツブルクとウィーン)、モーツァルトは意欲的に の作曲に取り組んだが、それに応じてヴァレスコは詞を作らなかったので、作曲を断念した。

大司教の依頼で、ミハエル・ハイドンが6曲のヴァイオリンとヴィオラのための二重奏曲を作らなければならないでいたところ、病気のため2曲ができずにいたので、モーツァルトは数日で

を作り、彼を助けた。

ザルツブルクとウィーン(?)で、ダ・ポンテ詞による

を作曲。 これは5月7日の手紙にある「約束」だろう。

26日、聖ペテロ教会でヴォルフガングが自作のミサ曲(ハ短調K.427)を指揮した。 宮廷楽団全員が参加した。 ソプラノのソロはコンスタンツェが歌ったという。 この教会付属の墓地には、1829年にザルツブルクで78歳の生涯を終えたナンネルが眠っている。

27日朝、ウィーンへ帰るためにザルツブルク発。 姉ナンネルとは最後の別れ。

30日(リンツ) 父へ

僕たちがリンツの城門に到着すると、召使たちが待っていて僕らをトゥン伯爵の屋敷に案内してくれました。 今僕たちはそこに泊まっています。 ここの家族たちがどんなに親切にしてくれるかは筆舌に尽くし難いほどです。 11月4日の火曜日にはここの劇場で僕が音楽会をやることになりました。 けれど今回はシンフォニーを1つも持って来ませんでしたので、とにかく大急ぎでそれに間に合うように1曲作っています。

11月

ザルツブルクからウィーンへ帰る途中立ち寄ったリンツで、トゥン伯邸に滞在中、伯爵の企画した音楽会のために を作曲。 10月31日に作曲依頼の話が決まり、4日の初演までの間に作られた。

4日、トゥン伯爵の企画した音楽会。

この交響曲「リンツ」の姉妹作とみられる

がある。 これは1778年パリでの作と見られていたものである。
同様に、1778年(母の死の年)夏の「パリ・ソナタ」と考えられていたピアノ・ソナタ も、この頃、ウィーンかザルツブルクでの作と見られている。

11月末か12月初め、4ヶ月ぶりにウィーンへ戻った二人は、3ヶ月も前に長男が腸閉塞で死んでいたことを知った。

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12月

この頃 を作曲。

6日、父に、オペラ「カイロの鵞鳥」の完成が近いことを伝え、「アリア・ブッファと四重唱と終曲は、我ながら満足な出来なので、これがお金にならなかったら残念です」と書いている。 しかし、完成しなかった。

22日、宮廷劇場で、設立された「音楽芸術協会」のための大演奏会が催された。 モーツァルトはフォルテ・ピアノを演奏したが、どの曲(協奏曲)か不明。

29日、

を作曲。 これは後に(1788年)アダージョを加えて弦楽合奏用に編曲した。 また、この曲の序奏として がある。


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2000/09/05
Mozart con grazia