| Mozart con grazia > 年代記 > 1769年 |
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1769年13歳 |
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14日、ザルツブルク大学教会でのミサのために
26日、ザルツブルクで
を作曲。この頃(または67年)
を作曲。 ザルツブルク大司教フォン・シュラッテンバッハに敬意を表したリチェンツァで、ミハイル・ハイドン夫人マリア・マグダレーナのために作られたらしい。
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8月6日若いモーツァルトが作曲した論理学部生たちのための終了祝賀音楽があった。 8月8日、同じく物理学部生たちのための終了祝賀音楽があった。このときの2曲のフィナールムジークは今までニ長調K.62aとト長調K.63と考えられていたが、最近の研究ではこのト長調K.63と次の変ロ長調K.63aと推定されている。
【フィナール・ムジーク】
ザルツブルク特有のジャンル。 毎年8月大学の学期末に2年間の予備課程を終えた学生により主催された終了式で使われた音楽。 楽士たちは行進曲を奏でながら大司教の夏宮殿のミラベルまで練り歩き、そこで大司教のためにセレナードを演奏する。 その後再び行進曲で退出し、大学へ戻り、教授たちのために演奏する。 さらにもう一度行進曲を奏でて楽士たちは退場し、ザルツブルク夏の恒例行事が終る。 学生の感謝と別れの音楽祭だが、市民にとっても楽しみな行事だった。 大学には2つの課程(論理学科と物理学科)があったので、毎年2曲がザルツブルクの有力な作曲家に委嘱された。
夏、ザルツブルクで
を作曲。この頃、父の手になる自筆譜で
15日、ナポレオンが生まれる。
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15日、「ドミニクス・ミサ」初演。評判がよく、その後も各地でのミサに使われたという。
ドミニクス師は日記に初演のときの様子を
今日、初ミサを行った。 ミサの音楽は14歳の少年モーツァルトによって作曲されたものだが、皆の意見ではまことに美しいものだった。 ミサは2時間以上続いたが、これは供犠が多大だったからで、献金は656フローリン55クロイツァーもあった。 食事は12時に行われた。 それからヴォルフガング・モーツァルト氏は半時間も大オルガンを弾いて、一座の者を驚嘆させた。と書いている。
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27日、ヴォルフガングはザルツブルク宮廷楽団の第3ヴァイオリン奏者(無給)に任命された。 さらにイタリア旅行の許可も降りて、旅費(120ドゥカーテン=600グルテン)が支給された。
28日、イギリスの法学者バリントン卿 Daines Barrington が自然科学者の目から見た神童モーツァルトを記述した論文が英国学士院「哲学紀要」に受理された。 この紀要は1771年6月に出版された。
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15日、インスブルック着。 泊った宿は「ツム・ヴァイセン・クロイツ(白十字館)」という現存する旅館。 そこでウォルフガングはザルツブルクにいる母へ手紙を書いた。
何もかも楽しいことばかりで、僕はもうすっかり有頂天です。 だって、この旅はとても面白いからです。馬車の中はとても暖かいからです。 御者は愛想のいい人で、道がちょっとでもいいと、とても速く走らせるからです。 道中のことはパパからもうママにお知らせしたでしょう。 僕がママに書くわけは、僕が深く深く尊敬しているママに、なすべきことをちゃんとわきまえていることを、見てもらうためです。では、さようなら。
17日、ティロル州副議長キューニグル伯爵邸で音楽会。
19日、インスブルックを出発。ブレンナー峠を越えてイタリアへ。
24日、ロヴェレート着。4日間滞在。 トデスキ男爵邸で音楽会を催したり、教会でオルガンを弾いたり、ここでも神童は人々の度肝を抜いた。
26日、ロヴェレートのサンマルコ教会でオルガンを演奏。
27日、ヴェロナ着。宿は「2つの塔館」で、年を越す。
27日から翌年1月6日以前の間(ヴェロナ)
アインシュタインによれば、次の曲はこの年に位置づけされている。
この年、ザルツブルクで
が作曲されたかもしれない。 作詞者や作曲の目的は不明。1960年代にプラートにより発見。69年終、ザルツブルクで
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