Mozart con grazia > 年代記 > 1770年
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1770年

14歳

1月

5日、モーツァルトにとってイタリアで初めての演奏会をアカデーミア・フィラルモニカで行い、好評を博した。

7日には念願の聖トマソ教会のオルガンを弾く機会に恵まれた。

10日にヴェローナを出発し、マントヴァに到着。16日、ここでも演奏会を開き大成功を収めた。19日の「マントヴァ新聞」には奇跡が起こったことが詳しく伝えられた。

19日マントヴァを出発、

23日ミラノ到着。ロンバルディア総督カール・ヨーゼフ・フォン・フィルミアン伯爵の大歓迎を受けた。

1月23日から3月15日まで、ミラノに滞在する。この間、格安の金額(一ヶ月18グルテン)でサン・マルコのアウグスティーノ修道会の修道院に泊る。

26日(ミラノ)旅先からザルツブルクにいる姉へ宛てた手紙に

を作ったことが記されているが、紛失。

2月

ミラノで、2人のカストラートのために、イタリア・オペラ風の華やかな

を作曲。

7日、ミラノのフィルミアン伯爵邸で演奏。皆を驚嘆させた。伯爵からメタスタージオの作品9巻を贈られた。

12日、伯爵邸でモーツァルトの演奏を聴くためにミラノに赴いたモデーナ大公フランチェスコ3世とその孫娘の臨座のもとに演奏会が開かれた。

23日、伯爵邸でコンサートが開かれ、成功だった。

2月か3月、ミラノで、メタスタージョ詞によるアリア

を作曲した。

3月

12日、フィルミアン伯爵邸でコンサートが開かれた。伯爵はボローニャのパラヴィチーニ伯爵あての推薦状を書いてくれた。

15日、クリスマスに上演されるオペラの作曲依頼を受けて、ミラノを出発。
その日の夜に泊まったロディで最初の弦楽四重奏曲

を作曲した。意欲的にサンマルティーニ様式を模倣したものといわれる。

24日、パルマ、モデーナを経てボローニャに到着。 パルマでは、名女流歌手ルクレーツィア・アグヤーリ(姉への手紙ではバスタルデッラ)に会った。 ボローニャではジャン・ルカ・パラヴィチーニ伯爵の歓迎を受け、さらに今度はローマの枢機卿ラッザーロ・オピツィオ・パラヴィチーニ伯爵への推薦状を書いてくれた。

同日、ボローニャから姉への手紙で、ウィーンのメヌエットとイタリアのメヌエットの違いを書いた。 また、パルマでバスタルデッラと知り合ったことも伝えた。

26日、ジャン・ルカ・パラヴィチーニ伯爵の別荘で開いた演奏会に150名の貴族が集まり、その中にマルティーニ帥もまじっていた。

ボローニャ滞在中、大音楽理論家マルティーニ帥を訪問し、作曲の指導を受けた。

30日、フィレンツェ到着。 そこでは後のレオポルト2世をはじめ多くの名士に歓迎された。 行く先々で大歓迎を受け、しかも演奏会でその歓迎を裏切ることなく奇跡を演じて見せ、音楽の本家イタリアでもヴォルフガングの才能が高く評価された。もちろんそれに見合う金品がモーツァルト親子に与えられる。

1770年4月






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4月

6日、フィレンツェを出発。

11日、ローマに到着。

システィーナ礼拝堂でグレゴリオ・アレグリの「ミゼレーレ」を聴いて暗譜した。

13日か14日、ローマで

を作曲。

14日から5月8日まで、パラッツォ・スカティッツィ邸に泊る。

15日、教皇クレメンス14世に招かれ、サン・ピエトロ寺院に行った。

この頃、ローマで作曲したと思われる曲がある。

交響曲第10番はオペラ「ミトリダーテ」の序曲といわれる。

5月

4月から5月初、ローマで、メタスタージォ詞「デモフォンテ」から

を作曲。

14日から6月25日までナポリに滞在する。この間も格安の金額で修道院に泊る。

16日、フランスのルイ16世はオーストリアのマリー・アントワネットと結婚。

19日、ナポリから姉への手紙によれば、この頃、ザルツブルクのモーツァルト家ではカナリアを飼っていたことが分かる。 また、30日にヨメッリのオペラ「捨てられたアルミーダ」が始まることを伝えた。

6月

5日、ナポリから姉への手紙で、ヨメッリのオペラを見たことを伝えた。 それによると、古風で、面白くなかったらしい。ソプラノ歌手のデ・アミーチス以外はあまり良くなかったことを書いている。
なお、ヴェスヴィオ火山を見たことも手紙に書いているが、モーツァルトが自然現象について書いたのは非常に珍しい。

26日、ナポリからローマに戻り、7月10日まで再びパラッツォ・スカティッツィ邸に泊る。

1770年7月






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7月

2月から7月の間に(ミラノ、ボローニァ)

を作曲。 ただし写譜が2種類あり、ベルリン国立図書館のはレオポルトの作曲、ウィーン楽友協会のはヴォルフガングの作曲になっている。

5日、ローマ教皇クレメンス14世から法王庁騎士に任ぜられ、「黄金拍車勲章」を授かる。 これがあると、いつでも自由に教皇庁に出入りでき、裁判権が免除されるなどの特権があった。 ただし、モーツァルトは生涯この称号を用いることはなかったという。 音楽家でこれと同じ勲章をもらったのは200年前のレネサンスの巨匠オルランド・ディ・ラッソ(1532頃〜94)だけ。
右は1777年(21歳)のときに描かれたもの。

27日、オペラ「ポント王ミトリダーテ」の台本を受取った。

1770年8月


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8月

10日から10月1日まで、ボローニャのパッラヴィチーニ伯爵の別邸に泊る。

7月か8月、ボローニァで

を作曲。 これは10〜20小節の小品で、マルティーニ神父の指導を受けた対位法の習作。

この頃、ボローニァで

を作曲したらしい。

21日、ボローニァから姉へ「ロバに乗ったこと」を伝える手紙を送った。 その中で、ドミニコ会の神父ピエトロ・ゼロヴニツキの過剰なほどの飲食を克明に描写している。

9月

9月か10月初、ボローニァで

を作曲。

22日、ボローニァから姉への手紙で、ミハエル・ハイドンの6曲のメヌエットは、以前の12曲よりも気に入ったので、伯爵夫人に何度も聴かせることになったと伝えた。 そして、ドイツ風のメヌエットに対する好みをイタリアに持ち込みたいと言っている。 イタリアのメヌエットは、まるでシンフォニーをすべて演奏するほど長いと不満を述べている。

29日、ボローニァから母への手紙

神様のお助けで彼女がきっとまた元気になるよう望んでいます。 でも、もしそうならなくても、ひどく失望してはいけません。 神様のご意志は常に最善ですし、この世にいる方がいいか、あの世に行くのがいいかは、神様がきっとよくご存知だからです。 しかし彼女は自らを慰めるべきです。 そのとき雨から天気へと行けるのですから。
これはザルツブルクの家主ハーゲナウアーの娘マリア・マルタが肺病となり、痩せ細ったという知らせに、書き送った手紙の一節。 彼女は1ヶ月後に死亡する。 モーツァルトは何故か親しい人の死を(自分自身の死も含めて)直観的に予感することが多く、またそのとき、死を安らぎとして受け入れるようにと語ることを必ず忘れない。

この手紙で、レオポルトは妻に「ヴォルフガングがオペラ『ミトリダーテ』のレチタティーヴォを書き始めた」と伝えている。

10月

9日、ボローニァのアカデミア・フィラルモニカの試験があり、一室に閉じこもって

を、並の人なら3時間以上かかるところ、半時間で仕上げ、難なく合格。 満場一致で名誉会員に推された。会員資格はこのアカデミアで学んだ20歳以上の者でなければならないが、モーツァルトの場合は特別。

12日、マルティーニ神父から審査の結果に間違いないことの証明書が発行された。

13日、ボローニャを出発。

18日、ミラノ到着。

20日、ミラノから母へ手紙を書き、オペラ「ポント王ミトリダーテ」のレチタティーヴォをたくさん書いたため指が痛いと伝えている。 またこの頃、声変わりで不快。「千一夜物語」を愛読していたらしい。

12月

9月29日〜12月末、ボローニァからミラノにかけて、オーストリア領のミラノの総督フィルミアン伯爵の注文により

を作った。 台本を7月27日に受取り、9月末から作曲。初演は12月26日、ミラノの大公家宮廷劇場(テアトロ・レッジオ・ドゥカーレ)で。 作曲は10月下旬から12月上旬までの約1ヶ月半の間に行なわれ、ほとんど1日に1〜2曲というスピードで作曲したことになる。

17日、ボンでベートーヴェンが生まれる。

26日、ミラノでオペラ「ポント王ミトリダーテ」の初演。


追記

1769年から71年にかけて、ザルツブルクで

を作曲したかもしれない。

1770年か71年、ザルツブルクで

を作曲。 作曲時期についてアインシュタインは1769年と推定したが、新全集のエルヴァースは1770年から71年としている。

この年の2月か3月、ミラノで

を作曲したとされていたが、新全集では1765〜66年の西方大旅行中、または68年のウィーン旅行中の作ではないかと推測されている。

この年の4月(ローマ)か69年(ボローニァ)で

を作曲。
 

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2003/11/30
Mozart con grazia