Mozart con grazia > 年代記 > 1780年
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1780年

24歳

1〜3月

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この年の初めから3月までに、ザルツブルク大司教のために教会ソナタとミサ曲

を作曲。 教会ソナタはこれで最後となる。またミサ曲も大司教のためのものとしては最後となる。

1780年4月





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1780年6月



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5月

1日、ベーム劇団がアウクスブルクで「ラ・フィンタ・ジャルディニエラ」をシュティールレのドイツ語訳で上演した。

1780年7月





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1780年8月

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8月

29日、ザルツブルク時代最後のシンフォニーとなる

を作曲。

9月

この頃、

を作曲。

17日シカネーダーの劇団がザルツブルクで公演。 シュミット作「領主の好意」。 シカネーダーは上演期間中、モーツァルト家に全席自由の入場を許したという。 その後、モーツァルトは彼と親しくなる。

1780年10月






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10月

31日、アロイジアがウィーン宮廷俳優ヨーゼフ・ランゲと結婚。

ザルツブルクを抜け出す機会を待っていたモーツァルトに、ミュンヘンの選帝侯カール・テオドールからオペラの作曲が依頼された。 1781年の謝肉祭のオペラ「クレタ王イドメネオ」である。ミュンヘンにはマンハイム旅行のとき親しくなった人たちがいる。 10月からザルツブルクで作曲を始めていたが、完成のためには現地へ行かなければならない。 大司教に6週間の休暇を申し出ると、選帝侯の依頼による作曲のためならば、大司教も認めざるを得なかった。

11月

1780年11月


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5日、オペラ「クレタ王イドメネオ」の仕上げ稽古のためにモーツァルトは大喜びでミュンヘンに出発し、翌日到着した。

8日、ミュンヘンに着いたモーツァルトはザルツブルクにいる父へ手紙を書き、イドメネオの作詞者ヴァレスコ師にアリアを書き換えてもらえるように頼んだ。

ザルツブルクで興業中のシカネーダーのために

をミュンヘンで作曲。 父へ11月22日に送ったことになっているが、紛失。

29日、女帝マリア・テレジア没。そのため大司教はウィーンに滞在。
1780年12月




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12月

1日、オペラの試演があった。 それから初演まで計3回の稽古が行われた。

5日、ミュンヘンから父へ

あの若くて美しく気が利いて頭の良いルイーズ・ロドロンさんがあのような太鼓腹と結婚することになったと聞いて大いに気の毒に思っています。 察するところ彼女は彼と一緒に張りきって僕がクリスチャン・バッハから習ったメヌエットの第2部の最初を弾き出すだろうと思いますが、 終りのところは救い難くなり、とにかく不愉快なものでしょう。
当時19歳のルイーズ嬢は61歳の宮廷侍従ロドロン伯と結婚した。 メヌエットとはK.315gの第4曲のこと。その曲はニワトリが鳴く模写で終る。 フランス語で Cocu とは女房に浮気される男のことを意味する。19歳の妻に61歳の旦那では必ず浮気されるだろうということ。
さらに、女帝の死は自分のオペラとまったく関係なく、劇場も閉鎖されていないことを伝えている。ただし喪服期間のため、オペラは来年1月20日以前には上演されないこと、自分の喪服を送って欲しいことも書いている。

Family in 1780

16日、ミュンヘンから父へ手紙を送った。 18日(月曜日)に6週間の休暇が終るが、ザルツブルクにいるのは父のためだけで帰りたくないこと、大司教が「お前はもう要らない」と言ってくれたらどんなに嬉しいか、そして父にミュンヘンに出て来てオペラを聴いてから、息子がザルツブルクを嫌悪しているのが間違っているのかどうかを言って欲しいと書いた。

さらに30日、父からの15フローリンが届いたこと、服の仕立て直しに金がかかり、まだ金が欲しいことなどをザルツブルクに書き送った。

この年の暮れ、ヨハン・クローチェによって描かれた「ザルツブルクでのモーツァルト一家」の絵がある。 ただし、母アンナ・マリアは2年前にパリで客死したので、壁に肖像画として収まっている。 さらに、ウォルフガングもザルツブルクにいなかったので、クローチェは別の絵から写したと思われる。 なお、この絵のモデルになるために、ナンネルはザルツブルク宮廷侍従長フォン・メルクの小間使いに髪の毛を縮らせてもらったという。


この年の作品かもしれないものとして がある。
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2000/09/16
Mozart con grazia