Mozart con grazia > ピアノ・ソナタ >
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ピアノ・ソナタのためのアレグロ K.312 (590d)

作曲 1790年か91年 ウィーン

Allegro ト短調 3/4 未完 106小節。 作曲の動機ははっきりしないが、プロシャ王女フリデリーケのためかもしれない。 推定成立時期が正しければ、一文なしになって生活にも苦労するようになった晩年にいくらかでも金になればと書きかけたままに終ったもの。 自筆譜はオクスフォード・ボドリー図書館にあるという。 第3版の番号は 189iだった。 ただし、アインシュタインはみずから

1790年夏、モーツァルトはこれらのピアノ・ソナタのことを再び考えている(1790年6月12日プフベルクあて)、「・・・わたしのおかれている状況のもとで金をうるために・・・書きます・・・ピアノ・ソナタをも・・・。」 しかし、できたものはヘ長調ソナタのための数小節の開始部三つだけである(K.Anh.29, K.Anh.30, K.Anh.37)。 もちろん第一楽章全体、ト短調アレグロ(K.312)までこぎつけた場合もあるが、残念ながらわたしはこれを《ミュンヘンの》ピアノ・ソナタのなかに入れて、全くその位置づけをまちがってしまった。 なぜならこの楽章は、あの《やさしい》ソナタの楽章の一つであり、あの様式の融合において、また、モーツァルトが1774年頃にはまだとうてい達していなかった巨匠の手腕によって、はじめて完成されたものだからである。 ほとんど誰もこの楽章を知らず、また演奏しないということ、ピアノ曲の普通の版がほとんどどれもこの曲を入れていないということは、決して反証とはならない・・・。
浅井真男訳「その人間と作品」白水社 p.344
と訂正している。 ここで《ミュンヘンの》ピアノ・ソナタというのはデュルニッツ・ソナタ集(1775年、19歳の頃の最初のピアノ・ソナタ集)のことである。

それが、ケッヘル初版の位置づけ(21歳頃の1777年「マンハイム・パリ旅行」中に書かれたとする K.312)をはるかに飛び越して、最晩年の頃、1790年6月12日のプフベルクへの手紙にあるピアノ・ソナタらしいとされた。

最愛の友よ、今のこの差し迫った支出にさいして、いくらかでもご援助願えますなら、そうしてやって下さい。 倹約のため私はバーデンに留まって、よっぽどのことがないかぎり、町へは来ません。 今は私の四重奏曲(この骨の折れる仕事)を、こんな状況の中でお金を手にしたいばっかりに、二束三文で手放す羽目になりました。 そのためにも、今度はピアノソナタを書いています。 さようなら。 いちばん楽にご融通できる分だけ、送って下さい。
柴田治三郎訳「モーツァルトの手紙(下)」岩波文庫 p.172
しかも、ここに書かれている「ピアノソナタ」について、アインシュタインが「できたものはヘ長調ソナタのための数小節の開始部三つだけである」と先に推測していた断片は別のものとなった。 それらの断片をタイスンが調べたところ、1787年から1789年と推定された。 そして、この「アレグロ K.312」の自筆譜による推定時期が 1790年6月12日のプフベルクへの手紙の内容と符合することから、K.590d と位置づけられて現在に至っている。

誰かによって補筆完成(177小節)され、ウィーンで 1805年初版。 デンナーラインにより、1782年のフーガK.401 (375e)と近い関係があるという説もある。

演奏
CD [EMI TOCE-11557] t=2'54
ギーゼキング Walter Gieseking (p)
1953年8月
CD [KING K32Y 297] t=3'28
クロムランク Crommelynck (p)
1988年7月、ベルギー、ゲント
CD [KKCC-4123-4] t=2'11
オランダ・ソロイスツ・アンサンブル
1992年
CD [BVCD 34037] t=8'21
ホグウッド (hc)
2004年

 


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2007/04/15
Mozart con grazia