Mozart con grazia > ピアノとヴァイオリンのためのソナタ >
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ソナタ 第36番 変ホ長調 K.380 (374f)

  1. Allegro 変ホ長調 4/4 ソナタ形式
  2. Andante con moto ト短調 3/4 ソナタ形式
  3. ロンドー Allegro 変ホ長調 6/8 ロンド形式
〔編成〕 p, vn
〔作曲〕 1781年4月7日? ウィーン
1781年4月






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1781年1月、ミュンヘンで「イドメネオ」を初演し、モーツァルトは自由な生き方に希望を持ち始めていたが、前年11月29日に没した女帝マリア・テレジアの葬儀のためウィーンに滞在していた大司教によりすぐウィーンへ来ることを命じられた。 そして、6週間の予定の休暇が大幅に伸びて、ミュンヘンで自由に行動していたことが咎められ、モーツァルトは大司教の従僕としての身分を思い知らされることになる。
3月16日にウィーンに着いたモーツァルトはコロレド大司教の伯父カール・コロレド伯爵の館でドイツ騎士団の宿舎でもあった「ドイチェ・ハウス」に泊った。 ドイチェ・ハウスには大司教のほか大司教に仕える高官も泊り、 同行していた(ヴァイオリン奏者の)ブルネッティと(カストラート歌手の)チェッカレリは別の宿に泊っていたので、モーツァルトは決して粗末に扱われたわけではないが、自分の能力を信じ、自由な生き方を求めていた彼にとって、それは「牢屋」にいるのと同じことだった。
なお、そこには5月初めに大司教に追い出されるまで宿泊し、その後ザルツブルクには戻らず、モーツァルトはウィーンの人となる。

4月8日の夜、その館でコロレド大司教はザルツブルク宮廷音楽家による音楽会を主催し、そのためにモーツァルトは3つの新曲を急いで書いたという。

これを書いているのは夜の11時ですが、今日ぼくたちは、発表会を催しました。 そこでぼくの曲が三曲演奏されました。 もちろん新作です。 ブルネッティのための協奏曲に属するロンドと、(ぼくがピアノを弾く)ヴァイオリン伴奏つきのソナタ、−−これは昨夜11時から12時までに作曲したのですが、一応仕上げてしまうために、ブルネッティのための伴奏の部分だけを書いて、自分のパートは頭に入れておきました。
[手紙(上)] p.243
ここに書かれている「ヴァイオリン伴奏つきのソナタ」について、ト長調の曲(K.379)であると思われていたが、変ホ長調の曲(K.380)の自筆譜に「ソナタ第1番」と書かれていることと、ト長調の曲よりもピアノ協奏曲風なところがあるなどの理由で、現在はこのソナタ(K.380)であるとする説(カール・マルゲール)が支持されている。 最初は「アレグロ」(K.372)を「ソナタ第1番」として一連の作品集を構想しようとしたが、何らかの理由で(ブルネッティと関係することかもしれない)それを捨て、ウィーンでの第一作となるこのソナタ(K.380)を改めてその「第1番」としたことに作曲者の意図が感じられる。 アインシュタインは K.379 と K.380 について
第三曲(ト長調)と最後の曲(変ホ長調)の一対は強い対照をなしている。 後者は輝かしい曲で、半音階によっていちじるしく活気を与えられたト短調のアンダンテと、ピアノ・コンチェルトのフィナーレに用いてもよいような狩猟ホルンの主題によるロンドを持つ。 前者は壮麗で激動的なアダージョによって導入され、やや市民的で気楽すぎる変奏曲によって結ばれ、ト短調の情熱的なアレグロを持つ。
[アインシュタイン] pp.351-352
と、その性格の違いを評している。
なお、この演奏会は大成功だった。 そして余談であるが、27日にも開かれて、大司教は大いに「虚栄心をくすぐられた」が、逆にモーツァルトの方はウィーンで独立してやっていける自信を深めることになった。 ただし父のためには、大司教の従僕という屈辱に耐えて、ザルツブルクに戻ることもぎりぎり残っているように見せかけていた。
ザルツブルクの大司教が昨日ぼくを永遠に(もちろんあの人だけのことですが)失ってしまわなかったのは、ひとえにお父さんのおかげだったのです。 昨日ぼくたちのところで、おそらく最後の、大発表会がありました。 発表会は上乗の出来でした。 そして大司教猊下のいろいろな妨げがあったにもかかわらず、ぼくはけっきょくブルネッティよりもましなオーケストラを持ちました。
[手紙(上)] p.248
どんなことがあったかは手紙に書くより直接話す方がいいとし、チェッカレリからあとで聞くことができると父に伝えている。 そして「もし二度とそんなことが起こるとしたら、もう我慢ができない」とも。 たぶんモーツァルト自身はとっくに我慢の限界を越えていて、自立を決心していたが、ザルツブルクの父にその現実を受け入れる気持ちの準備をしてもらおうと考えていたのだろう。 大司教との縁を切ったことはまもなく、5月9日に父に伝えらるのであった。

〔演奏〕
CD [Music & Art CD-665] t=19'55
クラウス Lili Kraus (p), ゴールドベルク Szymon Goldberg (vn)
1937年4月、ロンドン、MONO, SP復刻版
CD [KICC-2205] t=15'56
フェルデシュ (p), シゲティ (vn)
1943年
CD [東芝EMI TOCE-6725-30] t=19'33
クラウス Lili Kraus (p), ボスコフスキー Will Boskovsky (vn)
演奏年不明
CD [COCQ 83885-88] t=17'16
シゲティ (vn), ホルショフスキー (p)
演奏年・場所不明
CD [ポリドール LONDON POCL-2084/7] t=17'25
ルプー Radu Lupu (p), ゴールドベルク Szymon Goldberg (vn)
1974年
CD [deutsche harmonia mundi 77556-2-RV] t=19'10
イマゼール Jos van Immerseel (pf), シュレーダー Jaap Schroeder (vn)
1982年、バーゼル
CD [Calliope CAL.9664] t=19'53
Stanislav Bogunia (p), Petr Messiereur (vn)
1985年
CD [キング KKCC-268/9] t=23'48
ヴェッセリノーヴァ Temenuschka Vesselinova (fp), バンキーニ Chiara Banchini (vn)
1993年7月
CD [TOCP 67726] (2) t=7'24

1997年
CD [KKCC525] t=19'25
マンゼ (vn), エガー (fp)
2004年

〔動画〕
[http://www.youtube.com/watch?v=_RRJmvwrb7U] t=21'16
Sigiswald Kuijken (vn), Luc Devos (fp)
[http://www.youtube.com/watch?v=h5arK8zy35c] (1) t=6'53
[http://www.youtube.com/watch?v=-98IaaV-Zpo] (2) t=9'02
[http://www.youtube.com/watch?v=tnq4gQromP8] (3) t=4'46
Anne-Sophie Mutter (vn), Lambert Orkis (p)

〔参考文献〕

 

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2012/03/18
Mozart con grazia