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喜劇風三重唱「いとしいマンデル、リボンはどこに」 K.441

Comical trio "Liebes Mandel, wo is's Bandel?"
  • Andante sostenuto ト長調 2/2
〔編成〕 S, T, B, 2vn, va, bs
〔作曲〕 1786年? ウィーン

曲のタイトルは作曲者自身によるものではなく、歌詞の最初の1行がそのままタイトルがわりになっている。 通称「リボンの三重唱 Das Bandel Terzett」と呼ばれているが、当時のモーツァルトを取り巻く親しい友人の間では「きれいなリボン das schöne Bandel」ぐらいの呼び方で通じ合っていたかもしれない。 歌詞はたぶんモーツァルト自身によるものだろう。 いつ作曲されたのか不明。 その成立時期に諸説あり、モーツァルトがウィーンで生活し始めた1783年ころと考えられ、ケッヘル番号 441 に位置付けられているが、タイソンによる自筆譜用紙の研究では1786年の作と思われている。 歌詞の内容から、妻コンスタンツェと友人のゴットフリート・フォン・ジャカンのために作曲したのだろうと推測される。 ジャカンとの親交が深まってゆくちょうどそのころに書かれたことになる。 なお、1784年2月9日から記録が始まった自作目録(その第1番は「ピアノ協奏曲第14番変ホ長調 K.449」)には載っていない。 モーツァルトはジャカンとの友好の証にいくつかの曲をプレゼントしているので、私生活に密着した内容のこの曲(このような曲を「家庭音楽」というようである)も自作として記録に残すつもりがなかったのだろう。

当然のことながら、この曲についてはジャカンとの間にツーカーの了解があり、一瞬にして愉快な気分を共有し合うことができたであろう。 後日談になるが、1787年1月、プラハ滞在中のモーツァルト夫妻はトゥーン伯爵の歓迎を受けていたとき、手紙でジャカンに次のように伝えていることからもそれを窺い知ることができる。

1787年1月15日
食後には、伯爵閣下の音楽が忘れずにある。 そして、ちょうどその日、ぼくは自分の部屋にとても立派なピアノフォルテを運んでもらえたので、早速その晩それを使って弾かずにはいられなかったのは、きみにも容易に想像してもらえるだろう。 むろんぼくらは《純愛の間》で、ちょっとした四重奏曲(と『きれいなリボンをぼくらも持ってる』)をこっそり演奏した。
[書簡全集 VI] p.340
その日の音楽会とは1月12日(モーツァルト夫妻がプラハに到着した翌日)のことであり、「ちょっとした四重奏曲 ein kleines Quatuor」とは「ピアノ四重奏曲第2番変ホ長調」(K.493)と思われ、また『きれいなリボン das schöne bandel』とはこの「リボンの三重唱」のことである。 もしかしたらこのときは歌のないピアノフォルテだけの演奏だったかもしれないし、その場にいた人たちは(妻コンスタンツェを除いて)誰も何の曲かわからなかったに違いない。 モーツァルト得意の「知る人ぞ知る」という遊び心であり、想像を逞しくすると、コンスタンツェと目配せし合ってニヤリとしている場面が目に浮かぶようである。

このときプラハでは『フィガロ』が大当たりしていたので、モーツァルトは最高に気分をよくしていた。 自分も含めて友人たちにおどけたあだ名をつけているのも、この手紙においてであることはよく知られている。 それによると、モーツァルト自身はプンクティティーティ Pùnktititi、コンスタンツェはシャブラプムファ Schabla-Pumfa、そしてジャカンはヒンキティホンキー Hinkiti-Honky である。 モーツァルトの Pùnktititi は自分自身の「小柄で丸っこい体型 punkert」からきているといわれている。

テキストは当時のウィーンなまりで書かれ、実際にあった話に基づいていると言われている。 ある日、モーツァルトが着替えをしていたときリボンが見つからなかったので、妻に「リボンはどこ?」と尋ねた。 そこに友人のジャカンが来て、三人で大騒ぎとなったというのである。 ただし、歌では妻コンスタンツェが大事なリボンをなくしたことになっている。 二人が探しても見つけられないでいるところにジャカンが登場するが、二人に邪魔者扱いされる。 ジャカンが「お役に立ちたい」と言うので、二人は「リボンを探している」と答える。 すると「それなら私が手に持ってる」とジャカンが探し物を差し出し、二人は大喜び。 ジャカンは「私は忙しいので、これで失礼」と立ち去る。
このエピソードの真偽は定かでないが、ウィーン方言との関係で[野口]に非常に面白い解説がある。 タイトルにある「マンデル Mandel」とは「小さな男」という意味(「リボン Bandel」と韻を踏んでいる)であり、それを踏まえて[野口]はこの曲のタイトルを「いとしのチビさん、リボンはどこなの」と訳している。

〔歌詞〕
Konstanze:
Liebes Mandel, wo is's Bandel?
Mozart:
Drin im Zimmer glänzt's mit Schimmer.
Konstanze:
Leuchte mir!
Mozart:
Ja, ja, ich bin schon hier und bin schon da.
G. v. Jacquin:
Ei was Teufel tun dö suchen,
Ein Stück Brodel? od'r ein' Kuchen?
...
コンスタンツェ
ねえ、あなた、リボンはどこ
モーツァルト
部屋の中に、ほら、光って見える
コンスタンツェ
明かりを取って
モーツァルト
はいはい、ただ今、ここと思えばまたあちら
ジャカン
なんだい、何を探そうっていうの
パンかい、それともお菓子かい
・・・
石井宏訳 CD[ARCHIV POCA-2066]

〔演奏〕
CD [ARCHIV POCA-2066] t=3'31
ギヨーム Margot Guilleaume (S), クレプス Helmut Krebs (T), ヴンダーリヒ Fritz Wunderich (T), ネッカー Hans Günter Nöcker (B), ノイマイア Fritz Neumeyer (hammerflügel)
1956年4月、フライブルク
CD [EMI TOCE-6596] t=3'33
ケート Erika Köth (S), シュライヤー Peter Schreier (T), ベリー Walter Berry (B), ケリー指揮 Erich Keller (cond), ミュンヘン・コンヴィヴィウム・ムジクム合奏団 Convivium Musicum München
演奏年不明

〔動画〕

〔参考文献〕


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2017/02/19
Mozart con grazia