| Mozart con grazia > ホルンのための曲 > 協奏曲 断片 |
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K.494a ホルン協奏曲 ホ長調 (断片)Fragment in E to Concerto for horn■編成 hr, 2 ob, 2 hr, 2 vn, 2 va, bs ■作曲 1785年または86年? ウィーン |
アレグロ(アレグロ・モデラート?)ホ長調、4分の4拍子の断片91小節。
ただしオーケストレーションは81小節まで。
成立については詳細不明であり、いつ誰のために何の目的で作曲しようとしたのか、残りの部分が失われたのか、または作曲を途中で放棄したのか、などよくわかっていない。
かつては第1番(K.412)に関連づけて1782年末とされていたが、ケッヘル第6版では1786年6月26日に作曲された第4番(K.495)の直前と推定され、新全集もそれを踏襲している。
タイソンの自筆譜用紙の研究によれば1785年後半の可能性もあるという。
よく知られているように、モーツァルトのホルンの曲はロイトゲープのために書かれているものが多いが、この曲は別のホルン奏者のために作られたものと推定されていて、次の人物の名前があげられている。
新全集では(ギークリングは)アイゼン説を支持している。
シュティヒ (Jan Václav [Johann Wenzel] Stich, 1746-1803)
ヤン・ヴァツラフ(ドイツ名ヨハン・ヴェンツェル)が本名であるが、通称プント(Giovanni Punto)とも呼ばれていた。 開口部(朝顔)の中に右手を入れて自然倍音以外の音を出すなどの技法にも優れ、ホルンの名手だったと思われる。 1778年パリ滞在中のモーツァルトがザルツブルクの父へ送った手紙で彼の腕前を賞賛している。
1778年4月5日
ジュノム嬢も当地にいます。 いまぼくは、フルートのヴェンドリング、オーボエのラム、ヴァルトホルンのプント、ファゴットのリッターのためのサンフォニー・コンセルタントを一曲作曲しようとしているところです。 プントはすばらしい吹き手です。[書簡全集 IV]p.24
ヴィーン宮廷楽団の第2ホルン奏者であった。 「ホルンのための協奏風ロンド」(K.371)も彼のために作曲されたとする説がある。
■演奏
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CD[ミュージック東京 NSC166] t=3'06 ハルステッド (hr), グッドマン指揮ハノーヴァー・バンド 1987年7月、All Saints' Church, Tooting ※ジョン・ハンフリー&ロイ・グッドマン補筆/18世紀後半のフレンチ・ハンド・ホルンのコピーによる演奏 |
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CD[OLYMPIA OCD 470] t=8'53 Jeurissen (hr), グッドマン指揮オランダ室内管弦楽団 1996年11月、アムステルダム Jeurissen補完 |
■引用文献
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