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フルート四重奏曲 第1番 ニ長調 K.285
■作曲 1777年12月25日 マンハイム |
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1777年9月23日、モーツァルトは母と二人で就職活動のためザルツブルクを出発。
10月30日、マンハイムに到着し、そこに4ヶ月半滞在する。
選帝侯カール・テオドールは文化活動を奨励し、ドイツにおける文化全般の中心地を作り上げていた。
モーツァルトはマンハイム楽派の音楽に接し、歌手のアントン・ラーフ(63歳)、フルート奏者ヨハン・バプティスト・ヴェンドリング(54歳)、オーボエ奏者フリードリヒ・ラム(33歳)などと親しくなり、さらにまたアロイジア・ウェーバー(17歳)に恋するようになった。
モーツァルトはその地で仕事にありつけることを願っていたが、夢がかなわず翌年3月、母と遠くパリへと旅立つことになる。
1777年12月10日、モーツァルトの母マリア・アンナは故郷ザルツブルクに残る夫レオポルトに「でも、どうしたらよいのでしょう。パリまでのとても長い道のりを旅するなんて、私の年(57歳)では辛いことです」と寂しい心境を伝えている。
その手紙の中で、モーツァルトはヴェンドリングから「例のオランダ人(ドゥジャン、46歳)にフルートのための3つの短い協奏曲と、2つの四重奏曲を書けば、200フローリンもらえる」ともちかけられていることを父に伝えた。
ドゥジャン(Ferdinand Nikolaus Dionisius Dejean, 1731 - 97)はボンに生まれ、東インド会社に長く勤めた。
また医師でもあった。
裕福でヨーロッパ各地を気ままに旅行し、ちょうどこの頃マンハイムに滞在していた。
音楽愛好家で、フルートが上手だったらしい。
彼の依頼で、モーツァルトは2つのフルート協奏曲(K.313, K.314)と、3つのフルート四重奏曲(K.285, K.285a, K.285b)を書くことになる。
その5曲のうち、フルート四重奏曲ニ長調 K.285 は最初の作品である。
1777年12月18日の手紙では「本物の博愛家であるインド人ことオランダ人のための四重奏曲を1曲もうじき仕上げます」とあり、そして自筆譜には「マンハイム、1777年12月25日」と書かれている。
しかし、その5曲についてドゥジャンが支払ったのは半分以下の 96フローリンだった。
レオポルトには既にお見通しだったようで、「もしヴェンドリングさんがお前をからかい、おまけにドゥジャンさんが約束を守らなかったらどうするのだ」と叱りつけ、早くパリへ旅立つことを命じている。
父親から独立しようとして希望に燃えていた青年モーツァルトであったが、よく知られているように、就職に失敗し、失恋し、母を失い、負け犬となって否応なしに父親のもとに戻る(1779年1月)ことになる。
フルート協奏曲を3曲完成できず、約束の 200フローリンをもらえなかったのは、自分が今いるところは作曲できる環境ではないことと、フルートという「我慢できない楽器」
のための作曲には気が乗らないからだとモーツァルトは父に説明している。
それにもかかわらず洗練された名曲が生まれたことで、注文主に(たとえその価値が到底理解できなかったにしても)感謝したいほどである。
それはドゥジャンやヴェンドリングの腕前が良かったせいか、それともアロイジアへの恋心からか。
この曲はフランス風の優美さとモーツァルト一流の憂愁を帯び、瑞々しい感性に溢れている。
ゲオンは、第1楽章を「走る悲しさ tristesse allante」と言った。
また、第2楽章についてアインシュタインは「かつてフルートのために書かれた最も美しい伴奏つき独奏曲」と評した。
第2、3楽章は休みなく演奏される。
ドゥジャンについて、モーツァルトは De Jean あるいは Dechamps と書いていて、その人物はオランダ人で音楽愛好家のデジョン Willem van Dejon であると考えられていたこともある。 しかし現在は上記の Ferdinand Nikolaus Dionisius Dejean であるとされている。 さらに Dejean はのちにウィーンへ移住し、そこでもまたモーツァルトとの交流があった。
■演奏
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CD [CBS SONY 30DC 778] t=12'37 ランパル Jean-Pierre Rampal (fl), スターン Isaac Stern (vn), シュナイダー Alexander Schneider (va), ローズ Leonard Rose (vc) 1969年12月、ニューヨーク |
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CD [DENON 33CO-1019] t=14'04 ニコレ Aurele Nicolet (fl), カントロフ Jean-Jacques Kantorow (vn), メンデルスゾーン Vladimir Mendelssohn (va), 藤原真理 (vc) 1983年3月、武蔵野音大ベートーヴェン・ホール |
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CD [CBS SONY DC 5562] t=13'38 ランパル Jean-Pierre Rampal (fl), スターン Isaac Stern (vn), アッカルド Salvatore Accardo (va), ロストロポーヴィチ Mstislav Rostropovich (vc) 1986年、パリ、クレ・デュト・スタジオ |
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